書籍に巻かれる「帯」にまつわるエトセトラ
◉帯、この薄くて軽くて、重いもの
書店に並ぶ書籍に、当たり前のように巻かれている、帯の話をしたいと思います。
帯にはどんな目的があるかと問われれば、本の内容を書店で目にした(未来の)読者に伝えるため、が第一でしょう。要は、「宣伝媒体」の働きをしているわけですね。帯があるのとないのとでは、読者へのリーチ率が違うといってもよいと思われます。
ここに一冊の本があります。2024年6月に刊行された『原爆裁判:アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子』(山我浩・著/毎日ワンズ)といいます。
帯には
「数ある「虎に翼」本のなかで
唯一、三淵嘉子の歴史的判決を
深堀りしたのが本書なのである」と。
この帯がなければ、「三淵嘉子」という名前だけで、彼女がHNKの連続テレビ小説『虎に翼』のモデルだとすぐに気づく人がどれだけいたでしょうか? この帯文のおかげで、本書が『虎に翼』の関連書籍だと明確にわかり、ドラマに関心を抱いている人にも届く働きがあったと思われます(実際に、ボクが手にした奥付では、初版の発行日から八日後ですでに三刷になっています)。
そう、帯があるのとないのとでは、読者へ届く確率がかなり違うのではないかと思います。
薄くて、軽い、一枚の帯。でも、その一枚が、本を売るためには、どんな役割を果たすのか、そんなことを考えてみたいと思います。(使い方によって、時には毒にも薬にもなってしまうかもしれません)。
本を作っている編集者の立場からいえば、本の企画が一番重要ですが、次に、タイトル(サブタイトルも含めて)、それから宣伝文にあたる「帯文」もとっても大切なものなのです(もちろん、カバーデザインも大切です)。
本の原稿は著者が書くものですし、翻訳の場合は訳者が本文(訳文)を作りますね。タイトル(やサブタイトル)は、大手の出版社ですと営業部や宣伝部の意向も強いようですが、弊社のように小さな出版社ですとそれぞれの編集担当が著者や訳者と話し合い(たいていは著者や訳者から提案がありますし、著者や訳者の意向を汲むことは最大限重要です)、最終的には社内で話し合って決めていきます。(まあ、大手もそうかもしれませんが)。
では、帯文は誰がどのように書くのでしょうか?
◉帯文は誰が書くのか?
ボクがまだ若くて駆け出しのころ、大先輩からこんなことを言われました。
「帯文はね、裏方の私たち編集者が、唯一、自分の言葉で表現できる場所なの!」と。
そうか、帯文は、編集者が作るものなのか。
まあ、実際に書籍の編集をしていて、タイトルも決まり、校正も初校、再校と進み、ほぼページ数も確定し、発売時期も営業部などと詰めると、いわゆる「書誌情報」を版元のサイトなどで公開しますが、そのときに、宣伝文を作りますね。編集者の大切な仕事です。出版社が独断で作るところもあるようですが、基本的には本の著作権を有する著者/訳者に相談するのが筋でしょう。弊社の場合には、ほぼこの宣伝文を帯文に利用することが多いです。また、書誌情報を公開したら、装丁も作らなければなりません。カバーデザインはデザイナー/装丁家の方に依頼するわけですが(編集者が作ってしまう版元もあるようです)、帯も装丁の一部ですから、帯文が確定していなければデザインしてもらうわけにはいきません(仮の帯文でデザインを進めてもらい、あとで変更するということも多いかと思いますが、デザイナーの手間を増やしてしまうだけなので、なるべく最初に決めておきたいと心がけています)。
帯文は編集者が書くものだとしても、著者/訳者には必ず相談します。なぜかって? そりゃ、その本は、著者/訳者が自分の名前を世に晒して、出版するのですから、もっとも書籍に対して思い入れがあるわけです。そうした方への相談なしに、いくら宣伝文だからとて、進めるわけにはいきません(と、ボクは思います)。
で、提案した帯文がすんなりと著者/訳者と共有できるときもあれば、ダメ出しされることもあります。また、ここのフレーズはちょっとこうではないでしょうかね、と、微調整を提案されたり、本の急所を編集者が取り違えていたりする場合、指摘をされます。こうした著者/訳者とのやりとりはとっても大切な本づくりの営為だと思っています(ボクの場合、ちょっとくどいのではないかと指摘されることがたまにあります)。
ですから、誰が作るのか、といえば、編集者が提案して、著者/訳者と擦り合わせる、というルートが理想です。デザイン案がデザイナー/装丁家から届いたら、著者/訳者に確認をとることも必須です。これに関しては、ある思い出があります。かつての上司がお付き合いしていたこともあり、打ち合わせなどに同席させてもらった、京都在中のフランス文学者の杉本秀太郎先生がご存命中に、某出版社からある翻訳書を出したのですね。見本が届いたのでワクワクしながら開封すると、「とんでもない色」の帯が巻かれていて、すぐに外した、というエピソードを聞かされました。事前に訳者にどんな帯のデザイン(色も当然含めてです)なのかを相談しないと、こういうこともあるのだなと気づかせてくれたエピソードです。
◉帯の種類=パターンがあるとするならば
帯にはいくつかのパターンが、たぶん、あると思います。
【パターン1】=シンプルに、同じ書体、同じ文字の大きさで、ずらずら書籍の中身を書き連ねるパターン。(人によっては内容が頭に「瞬時」に入ってこないリスクもあるかも…。ボクが最初にお世話になった某出版社はこのタイプの帯文が多かったです)
【パターン2】=大キャッチがドカンと踊り、その下により小さめに、書籍の中身が書かれたもの。(このパターンが一番多いのではないでしょうか)
【パターン3】=「ピューリッツァー賞受賞」とか「全米◉部のベストセラー!」といった文字が踊る、翻訳で多い「お墨付き」を得るパターン。(いい意味での「権威づけ」帯)
【パターン4】=著名人などに推薦文を書いてもらうパターン。最近とっても多くなった気がします。(誰かの推薦だと安心して手にする人がとても増えてきたということなのでしょうかね?)
【パターン5】=新書などで特に目立ってきたのが、本の天地真ん中ぐらいまで太い帯を巻いて、著者の顔写真をカラーで掲載するパターン。著者が著名人であればあるほど、このパターンは多い気がします。(ルックスがいいとか、あるいは、テレビなどでよく見る顔が帯にあるとやはり目を引くということなのでしょうね?)
【パターン6】=通常のカバーと同じ大きさのカバーがそっくり二重で巻いてあるパターン。まあこれは帯というより、ダブルカバーといったほうがよいでしょうね。(帯≒カバーを外して、え? またカバーが出てきた、マトリョーシカ?と思う方もいるかもしれませんね)
【パターン7】=通常の帯の上に、いわゆる「特装帯=特帯」を巻いたパターン。これは、該当書籍が映画化されたとか、なんらかの文学賞などを受賞したときに活躍するものです。
【パターン8】=「●●周年記念」といったように、著者や書籍の対象とする人物や事柄がなんらかのメモリアルタイミングの場合に目にするパターン。
【パターン9】=「小学生低学年向け」というように読者対象を明記するもの。これは、意外と重要なファクターかもしれません。
【パターン10】=そもそも、帯を巻かないパターン。
などなど、でしょうか。このほかにもいろいろな例はありますので、こんなのもあるよ、と教えてください! 以下、いくつかのパターンについて、もう少し考えてみたいと思います。
◉帯はどんなふうに作っていきますか?【パターン2】の場合
大キャッチがドカンとあって、その下に小さく、書籍の中身が書かれたものが最も多いのではないかと思われますが、そもそも、どのフレーズを大キャッチにするのでしょうか?
まず考えられることは、本文中に出てくる極め付けのフレーズを引用するもの。このパターンでボクは、いまだに憧れている書籍があります。
それは、テリー ・イーグルトンの『シェイクスピア:言語・欲望・貨幣』(大橋洋一・訳、平凡社)。帯文は、
「シェイクスピアはマルクス、
ニーチェ、
フロイト、それにデリダを
よ・く・読・ん・で・い・た・に・ち・が・い・な・い」
というもので、学生時代にこの帯文を見たときに、衝撃が走りました! もちろん、マルクスもニーチェもフロイトもデリダもシェイクスピアより後の世代ですからシェイクスピアが彼らの著作を「よく読んでいたにちがいない」わけはありません。しかし、この一文は、シェイクスピアという巨人の作品が、マルクス、ニーチェ、フロイト、デリダらによる批評もそれらを援用した批評にも耐え得るテクストであることを伝える素晴らしい帯文です。ゾクっとしました。で、中身を読んでいくと、この文章は本文に出てくるフレーズだとわかりました。帯独自の文章ではありません。しかし、このフレーズを「抽出」することに意義があるのです。センスがいいわけです! 訳者の大橋先生が選んだのか、それとも編集担当者が選んだのかはわかりませんが、とにかく、素晴らしい。
ボクは、こうしたフレーズを帯文にするセンスにずっと憧れをいだいているのです。
(まあ、この翻訳はその後平凡社ライブラリーに入ったのですが、帯文は変わっていました。
「「読む」とは何か? 「文学」「批評」とは何か? イデオロギー的・理論的読解により、シェイクスピアを第一級の思想家として現代に蘇らせた傑作入門書。主要作品のあらすじ付。」と、かなり「説明調」になっています…………ね。)
ただ、帯には、キャッチだけでなく、何がその書籍に書かれているのか、たとえば、年表が入っているとか用語解説が充実とか、内容を読者に案内する重要な働きがあるので、こうした「説明調」も重要なのです。そのことは付言しておきます。
上記は、本文からの上手い「抽出」による帯文例ですが、小説などでは、登場人物の印象的なセリフをそのまま帯文として目立たせるなども効果的ですね。
小鳥遊書房から刊行して重版もしました、レイモンド・チャンドラーの『ザ・ロング・グッドバイ』(市川亮平・訳)は、こんな感じです。
「「本当に賢い人間は
自分以外誰も騙さない」」
という作品内のセリフを大キャッチにして主人公フィリップ・マーロウの哲学を示し、ただ、これだけだと素っ気なさすぎるので「ハードボイルド不朽の名作を新訳でお届けします。」と本書の立ち位置などを簡便に示すことも必要でした。まあ、『長いお別れ』(清水俊二・訳)や『ロング・グッドバイ』(村上春樹・訳)などでも知られる有名な作品なので、くどくど説明する必要はないという判断もあります。
逆に、さほど広く知られていない作者や作品の場合には(とくに翻訳の場合は)、どの国のいつの時代のどんな作家、作品なのかを具体的に示す必要があるかと思います。
そもそも、その情報がなければ、書店員がどの棚に並べていいのかわかりませんものね。書店では、カテゴリーを表すCコードや巻末や袖(カバー折り返し)などに付されている著者紹介などもチェックするとは思いますけれど、帯で示される要素はとても重要だと思います(【パターン10】と連動)。
ちなみに、小鳥遊書房の書籍はすべて、書店でできるだけ「本の迷子」が生じないように帯には[外国文学/評論]とか[外国文学/小説]などとジャンルが示されています。
また、編集者が独自にキャッチフレーズを生み出す場合もあります。これは、黒子の編集者がとっても楽しい時間であるかもしれません。小鳥遊書房の同僚である林田こずえは、独特なフレーズをよく作ったりするのですが、なかでも、復刻アンソロジーシリーズ(いずれも長山靖生・編)では顕著です。
いくつか例を挙げてみます。
『夢野久作 狂気ト理知ノ傑作集 怪夢』では、
「異常心理の
ほとりから
コンバンハ。」
とか、
『江戸川乱歩 妖異幻想傑作集 白昼夢』では、
「奇怪歪形。(きっかいいびつ、とルビ)
ようこそ
乱歩幻城へ。」
とかとか。もちろん、編者の長山先生には確認をとって進めています。毎回、ほんとうに楽しんで帯文を作っています。(アンソロジーですから、それぞれ収録作品は帯の裏に入れることは最低限の条件ですけれど。)
◉「お墨付き」帯はやっぱり強い?!【パターン3】の場合
とくに翻訳で多いのが、「ピューリッツァー賞受賞!」とか「全米◉部のベストセラー!」とか、「本邦初訳!」といった文言の踊る帯。そもそも、国内外の出版エージェントから「この本を翻訳出版しませんか」といった営業をちょくちょくもらいますが、受賞歴や自国でどれだけ売れたのかという売り文句が付されていることが多いです。そして、図書館もこうした権威ある賞をもらっている書籍などを選書する傾向にあると聞いたことがあります(ちなみに、こうした類の書籍の版権代も高い。まあ、当然といえば当然なのですけれど)。書店員だって、こうした「権威づけ」された書籍は売りやすいでしょうし、読者だって、ごまんとある書籍の山から選書するきっかけになると思います。
やっぱり、お墨付き帯は強いですね(実際に手にしてその読者ひとりひとりが「いい本」「自分に合った本」であるかどうかを判断するかは別問題ですが)。この権威づけの発展系というか、究極の帯のパターンが次に説明する著名人に帯文を書いてもらうものです。
◉著名人に帯文を書いてもらうことについて【パターン4】の場合
「大キャッチとしての推薦文」
が帯にドカンと踊り、そのあとに「◉◉氏推薦!!」
推薦文を帯に著名人に書いてもらうパターンは、昔からありますが、書店巡りをしたりすると、ほんとうに最近増えたなあという実感がありますし、帯文を寄せる人も結構重なっていたりしますよね。まあ、それはそれで出版界が活性化されるのであれば歓迎するべきことではありますけれど。
出版社からすれば、その著名人のファンなどがその著名人が推薦しているなら、ということで買ってもらおうという計算高さもあるでしょうし、また、その著名人が推薦することで、本の内容のクオリティを保証してもらうといった計算もあるでしょう。
とってもよくわかりますし、ボクもこれまで何度か帯文をもらったことがあります(ほんとうに数回だけですが)。
メリットはとても大きいと思います。
でも、メリットの裏にはデメリットの可能性も潜んでいるわけでして、そのことを考えてみたいと思います。
たとえば、テレビなどにも出ている著名人である斎藤幸平氏の場合、2023年6月1日のxの投稿によりますと、『子どもを壊す食の闇』(山田正彦・著/河出書房新社)に寄せた推薦文を取り下げたとのことでした。具体的には氏のSNSを辿ってみてほしいのですが、推薦文を寄せる側も、その本の内容をどこまで理解しているのか、そして、その本の著者の思想などをどこまで理解しているのか、そして、推薦文を寄せる側がその本を推薦することで、どう他者から見られるのか、気をつけなければならないこともあるでしょう。いろいろ考えさせられます。
また、その逆に、たとえば、推薦文を帯に寄せてもらったはよいのですが、帯を寄せた著名人が、その後、SNSなどでおかしな思想を撒き散らすなど、とんでもない行動をとったとしましょう。そうすると、「ああ、そんな人にこの本は推薦してもらっているんだ」とマイナスにとられる可能性、リスクも生じるでしょう。それは、また逆に、推薦文を寄せた側だって同じです。推薦文を寄せた書籍の著者が、その後、やはりおかしな思想などを撒き散らす可能性だってあるのです。そうすれば、あんな人間の書いた本に推薦文を寄せるなんて、と、なってしまいますよね。Amazonのレビューなどで、帯文を寄せた人への揶揄などもたまに見かけたりします。(ちなみに、ボクなどは、日頃のネットなどでの発言が胡散臭いなと思っている場合、いくら著名人でもその人が帯を寄せているというだけで、その書籍に対して拒否反応を起こしてしまいます。当然のことですね。)
つまり、帯に推薦文を寄せたり寄せてもらうには、相応の信頼関係がなければなりませんし、リスクを覚悟しなければならないと思うわけです。あまりよくその人となりを知らないままに、そのジャンルで知られた人だからといって推薦文をもらったり寄せたりすると、ひょっとしたら、どちらかが傷つく可能性だってあるのではないでしょうか。(また、いくら著名人でもその人を万人が好んでいるわけではありません。)そんなこと、なければないでそれにこしたことはないのです。だれだれが推薦しているなら、手にしてみるかな、というように読者の心理が動くのがノーマルなのでしょうから。ただ、リスクもある、ということを、ちょっとでも念頭においても損はないと思うだけです。
それから、日本翻訳大賞のこと。規定では、「例年、1月上旬から下旬にかけて一般推薦を募る(再刊・復刊作品・選考委員の訳書は対象外。また選考委員が推薦文を書いたものも推薦不可)。」となっています。つまり、選考委員になっている著名人に帯で推薦文を書いてもらうと、翻訳大賞では推薦不可となってしまうということも付言しておきたく思います。
著者/訳者は、そして帯に推薦文を寄せた方は、刊行された「本」と無関係なのでしょうか?
SNSで著者も、出版社もみな、自由に発言できるネット時代、著者がヘイト、差別、ハラスメント発言などをして、炎上した場合、出版社はどうするか? などはまた別の機会に考えをまとめてみたいと思います。
◉特装帯は、いつもよりもバタバタします(汗)【パターン7】の場合
通常の帯の上に、いわゆる「特装帯=特帯」を巻くパターン。
書籍の企画を考えるときには、たとえば、美術展や映画や舞台などの来年、再来年あたりの業界情報にアンテナを張ることも重要ですね。
小鳥遊書房の場合には、こんなことがありました。
2019年、ある学会でサイゴンに関する文化批評の企画が提案されたときに、すでに翌2020年ミュージカル『ミス・サイゴン』が日本で上演される情報をつかんでいた同僚が、著者に、サイゴンはサイゴンでも、ミュージカルがわかる本を書いてくださいと提案しました。まだ一文字も原稿がなかったのですが、著者は企画に乗ってくださり、『『ミス・サイゴン』の世界』(麻生享志・著)に結実するわけですが、コロナによって、上演中止。しかし書籍は販売したところ、とてもよく売れました。そして2022年に再び上演が決まり、増補改訂版を出して各上演劇場でも販売してもらおうと担当者が興業主にかけあいました。そして、ここで大切なことは、帯に上演情報とミュージカルのポスターの画像を提供してもらったことです。帯をつけたことによって、書籍はミュージカルの「関連書」として認知されますし、興業側からすれば、書店に並ぶ書籍の帯にミュージカルの上演情報があれば、ミュージカル自体の宣伝にもなるわけです。この場合、上演情報の入った「特装帯」と上演情報の入っていない「通常帯」の2バージョンをつくることになりました。
また、別の企画では、すでに刊行されていた書籍に関連した映画などが上演する場合、急いで映画の画像を配給会社に提供してもらい、いままで巻いていた通常帯の上に、特装帯を巻くなど動きが活発になります。
そうした動きは、書籍がなんらかの賞を受賞した場合も生じますね。
思い出すのが、直木賞を受賞した『地図と拳』(小川哲・著/集英社)。「ひとつの都市が 現われ、そして消えた。」という大キャッチと「歴史×空想小説」といった文言が記された通常帯からはじまり、「第13回 山田風太郎賞受賞! 各紙誌騒然の話題作 続々重版!!」と帯が変わり、次には「直木賞候補作」がプラスされ、ついには「第168回 直木賞受賞作」がメインになった帯と、受賞などと連動して重版するごとに帯文が「進化」していく様を見て、出版社の力量を実感しました。弊社の場合、この作品と日本SF大賞を競った『SFする思考:荒巻義雄評論集成』(荒巻義雄・著)が受賞した折には、急ぎ「受賞帯」を作り、新たな出荷分からはこの帯に巻き直しました。
同じようなケースでは、『大原櫻子 演劇報告書』(大原櫻子・著)でもありました。大原さんが読売演劇大賞杉村春子賞を受賞したため、この場合も急ぎ「受賞帯」を作成しました。大原さんの場合には、肖像写真もご提供いただき、デザイナーに新たなデザインをしてもらい、通常帯の上に特装帯を巻き直しました。
いずれにしても、このパターンは急を要し、バタバタしますが、販路が広がる契機ですから出版社にとってはとっても嬉しいことなのです。
◉期間限定の強みと弱みについて【パターン8】の場合
「●●周年記念」や作家が「没後◉年」とか、ちょうど◉周年ということで持ち上がる企画ってありますよね。この場合、帯にも当然こうした文言が踊るわけですが、メリットとしては、たとえば書店などでフェアが組まれた場合、選書してもらえる可能性が高まるというものです(まあ、そのようなフレーズを冠しなくとも、アンテナを張っている書店員の方は、しっかり選書されると思いますけれど)。めちゃくちゃ盛り上がり、書店でも賑わう光景が目に浮かんできましたね。とっても活気づいて嬉しいですね。
しかし、そのブームが去ったときのデメリットも横たわっています。ブームになっているときに一気に売り尽くし、あとは在庫切れになったら絶版にしていくという版元もあるようですが、長らく書籍を売っていく場合、このブームが過ぎ去ったときの帯は考えさせられますね。もちろん、◉周年記念に作成された書籍ということで、記念碑的ですし、色褪せる内容でなくとも、たとえばですが、今年(2025年)はちょうど「戦後80年」にあたりますが、来年の戦後81年の年に「戦後80年」を冠した帯の書籍はひょっとすると「ちょっと古い?」というイメージを読者に抱かせてしまうかもしれないですし、難しい問題だといつも思っています。ボクなどは、なるべく、このパターンの帯文は避けた方がよいと、個人的には思っています。
ちなみに、流行しているドラマや映画などの関連書を企画として提案する編集者は多いと思いますが、営業部や書店員からすれば、ブームに乗ってフェアを組みやすいですね。放送/放映している期間を過ぎるとやはり古い印象を読者に与えてしまうかもしれません。(【パターン7】と色々と絡みが生じますね)
◉帯は、対象読者を導く入り口【パターン9】の場合
児童書などだと「小学校低学年」とか「小学校高学年」などといった読者対象を明記することも多く、それを見て、図書館の司書は漢字の使用頻度や読み仮名の有無といった書籍内の情報をある程度予測できるケースも多いかと思います。本は、年齢問わず、どんな層にも読んでもらうことが本を出す側の理想でしょうが、やはりどんな読者層を想定して本が作られているのかを伝えるのは書店や図書館、そして読者を導く大切な営為だと思います。それは、本の造形やタイトル、カバーデザインにも工夫が必要でしょうし、なにより「宣伝媒体」でもある帯に課される任務は重要です。たとえば、翻訳なのですが、小鳥遊書房でロングセラーになっている書籍に『映画で実践! アカデミック・ライティング』(カレン・M・ゴックシク他著、土屋武久・訳)があります。この本の帯は、
「すべての大学生必携。
映画でならわかる、映画でならできる、
論文・レポート作成術!」
もっとも大きなフォントで「すべての大学生必携」の文字が踊っていますが、これで読者対象を明確にし、しかも、「論文・レポート作成術」でなんのための本なのかを強調しています。この本は、アメリカの大学で実際に使用されている映画で卒論やレポート書く学生のための教科書なのですが、それを反映した帯になっています。
このように読者対象を絞って必要な層にダイレクトに届けるためのツールとしての働きもあります。
◉帯は、やっぱり必要なのですね!【パターン10】の場合
古巣の出版社にいたときのことです。主要メンバーのひとりとして、ある叢書を立ち上げました。叢書を立ちあげた最大の目的は、判型や組版、カバーデザインなどをできるだけフォーマット化して、書籍制作のサイクルを早めるということにありました。と、同時に、できるだけ制作費のコストを抑える、という命題も会社からは課されました。
そこで出てきたコストカットの方針として、「見返し」をなくすというもの。本の耐久性を考えるとやはり見返しはあったほうがよかったのではないかと今では思っていますが、それはそれとして、もう一つは、帯をなくすというものでした(帯もタダではできない。製作費がかかります)。その代わり、表4(カバー裏)に本の内容がわかるリード文を配置することでスタートしたわけですが……。刊行開始していくと、営業部経由で書店から、帯は付けてもらわないと本の内容がわかりづらいと言われたと聞き、やはりそうなのか、帯は書店員に中身を知るためのとても重要な窓口なんだなあと再認識しました。そして、10巻に到達したことを契機に、11巻目からは帯をつけることにしたのでした。
現在でも帯がない状態で書店にならんでいる書籍はたくさんあります。その場合には、カバーの下のほうに書籍の内容やキャッチコピーが記されているなど、帯がカバーの一部になっているような感じのデザインも多いです。小鳥遊書房でも『小学生のためのショートショート教室』(高井信・著)などはこのパターンです。
◉帯は装丁の一部なの? それとも本来はあってはいけないもの?
図書館などから書影の使用許可を求められることがしょっちゅうあります。ときには書影データを送ってほしいと言われることも多いです。そのとき、必ず「帯のない書影」を求められます。Amazonなどのサイトも基本は「帯のない書影」の掲載を推奨しているはずです。
これには考えさせられます。え? 帯も装丁の一部ではないの? なんで帯を外さなければならないの? そもそも帯は読者に必要な情報を伝えるための「装置」なんだから外してはだめでしょうなどと思ったりすることもありましたが、いや、よくよく考えれば、帯は「宣伝物」であるわけですし、そもそも、帯のない書籍もこの世にはたくさん存在するわけですし、帯がなくても流通できるわけです。カバーの表4(つまり裏表紙)側にはISBNやCコード、本体価格、そしてJANコードといわれるバーコードが付いていて、この書籍のIDがなければ取次経由にて書店で扱ってもらえません。帯とカバーは根本的に質が違うわけです。ちなみに、図書館では帯は必ず外されます。そう、図書館蔵書になるとき、帯の存在が消されるのです。一部の図書館ではカバーすら外します(大学図書館でこの傾向は強いように感じます)。図書館は独自の蔵書ラベルで管理するので、カバーがなくてもよいのでしょうけれど。
そんなこともあって、「帯は外すもの」という認識をもたれる方も多いようです。かつていた出版社の同僚の担当本を見たときに、カバーの折り返しに入っている関連書籍の書影の一部が帯によって中途半端に隠されていて、デザインがおかしいのではと指摘したとき、「帯なんてどうせとるんだし」と言われて、びっくりしました。いや、帯はとるのかもしれませんが、少なくとも、帯をつけた状態でデザインは完結しているべきじゃないのかと思ったりしました。
◉帯のデザインで気をつけたほうがいいと思うこと
どうせ帯は外すのだから、と担当編集者が思うか思わないかはおいておき、デザインで気にしたほうがよいと思うことを確認しておきたいと思います。
避けるべき帯のデザインは、カバーに掲載された顔写真などが帯で切れないようにすることです。カバーと帯に同じ写真を重ねても、製本のときに絶対に数ミリずれるので、顔が微妙におかしなずれ方をして見えてしまうためです。これは、メインタイトルの文字をかなり大きくして、カバーと帯を通過するデザインでもいえることです。帯の切れ目は、タイトルの文字と文字の間に配置されるようにデザインされていないと、大きな文字の途中で文字が微妙にずれてしまいおかしなデザインに見えてしまうこともあります。
それから、帯によって、カバーに配置した写真の肝心な部分を隠してしまうとか、カバーの折り返しで関連書籍の書影の途中で帯が隠してしまうような「中途半端」なデザインは避けたほうがよいと思うのです。仮に、デザイナー/装丁家からのデザインがそのようになっていたとしても、編集担当者は指摘してデザイン調整してもらったほうがよいでしょうし、そもそも、そうしたことをチェックするために編集者は存在しているのだと思うわけです。
それから、帯によって、著者名を隠してしまうなどあってはなりません。表1(つまりは表紙)で著者名や訳者名を帯で隠してしまうというデザインはときどき目にしますが、そうそうありません。ところが、面積の少ない「背表紙」の場合、ときどき著者名や訳者名を帯で隠してしまうデザインを目にすることがあります。これも、かつての職場での別の編集者が作った書籍の背表紙で、帯にキャッチコピーが書かれているのですが、著者名がありません。帯を外すと、著者名がありました。つまり、帯で著者名が隠されていたのです。それを指摘したときに、著者名よりもキャッチコピーのほうが大切だと言われました。え? そうなの? いろいろな考えの編集者がいるものだなあと思いました。ボクなどはキャッチコピーよりも著者名のほうが圧倒的に大切だと思うのですが、みなさんはどう思われるでしょうか?
読者は、タイトルを見て、面白そうだなと手にする人が圧倒的でしょうが、著者名を見て、この著者ならばと手にする場合だってあるでしょう。いや、そんなことよりも、そもそも、命を削るようにして文章を書いた著者の名前を隠してしまうような帯なぞ、そもそもおかしいでしょうに、と、個人的には思いますけれども。
また、あえて帯である写真などを隠しておいて、帯を外すと「あら、びっくり!」というデザインもたまに見かけます。デザイナーの工夫があって、この手のデザインもうまくいくと面白いですね。
◉帯のデザインとか使用する用紙などについて
これは装丁全体に言えることですが、デザイナー/装丁家は、(おそらく、たいてい)いろいろ変わった用紙を試してみたい人が多いと思うのです。今回のデザインにはこんな用紙でこんな加工をといった「仕様書」がデザイナーからはどこかのタイミングで届きます。そこに記された用紙を見て、高い用紙の場合(用紙代はとっても高くなる一方です、汗)、もうちょっと安価な用紙にしてもらうなど泣く泣く相談することもしょっちゅうあります。カバーがツルツルのコート紙だったとしても、帯は少し風合いのある、ファンシーペーパー(いわゆる特殊紙)を使用するなどのケースも多いでしょう。カバーは4C(カラー)だったとしてもその場合、帯は1C(1色)で刷ることになります。帯まで4色で印刷したら印刷代が高くなってしまいます。でも、帯は帯でもカラーにしたい場合がデザイン的にもありますよね。そうした場合、どうするかというと、カバーと帯を同じ用紙にして、同時に印刷するようにするのです。そうすれば、カバーと帯もカラーで印刷できます。ただしこの場合、グロスPP(艶ありフィルム)なりマットPP(艶なしフィルム)なりニス引きなり、加工はカバーと帯同じになります。そうでなければそれぞれに加工代もかかり全体のコストを引き上げてしまいます。
そんな涙ぐましい印刷所との値段の交渉を都度しているボクなどが、ある本を手にして、感銘を受けました。
『鬼滅夜話:キャラクター論で読み解く『鬼滅の刃』』(植朗子・著/扶桑社)です。ネット上で書影を見ていたときにはわかりませんでしたが、なんと、カバーはマットPPで、帯がグロスPPだったのです。カバー、帯とも4色で刷り、それぞれ別の加工をしているのですから、用紙はコート紙でも相当凝っているなあと思いました。もちろん、背表紙部分の帯も著者名をしっかり大きく配置されています。表1の帯は本書の内容、著者の立ち位置、アプローチ方法、キャッチコピーと、過不足なく充実しています。内容とともに、売れる本は違うなあと、改めて思いました。
◉やはり帯はなくてはいけないし、大切にしましょうね!
帯は、やはり「本の顔の一部」だと思うのです。だから、どうせ外すのだからとか思わないでほしいのです。ボクは書店で本を買った場合、帯をつけたままだとカバンのなかで切れてしまう恐れがあるので、いったん外して栞がわりにして読みます。そして、読み終わったら再び帯を本に巻き直して本棚にしまうことが多いです。(購入した読者が帯は外してしまえといって外して捨ててしまうことはそれぞれの自由です。ただ、もったいないなあと。別に古書店に売る場合、帯がついていたほうが高く売れることもあるからとか、そんなことではありません(笑))。また、映画化などの特装帯がついている場合、時がたつと、その映画のスチールなどがちょっと入っていたりする帯を見て、懐かしむこともできます。
帯については、こんな思い出もあります。学部生のとき、通っていた大学に非常勤でいらしていた森松健介というハーディなどを専門にしていた先生にいろいろな相談をしていたとき、講師控室で「そうだ、たまたま今日持っているこの本を貸しますので、来週までに読んでみてください。今の悩みにとても参考になると思います」と鞄から出して渡されたのが、アーサー・シモンズの『象徴主義の文学運動』(前川祐一・訳/富山房百科文庫)でした(平凡社ライブラリーに山形和美訳でも入っていますが)。帯には「詩人・批評家が衝く 創作と人生の間」というコピーがありました。そのとき、先生は「帯はとても大切なものですので、絶対になくさないでください。こうした帯も本の一部ですから」と微笑みながらおっしゃいました。もちろん、大切に読んで一週間後にお返ししました(かなり後になって、自分でも購入しましたけれど)。
帯は大切だと思うようになったのは、「帯も本の一部ですから」という森松先生の一言が大きかったのかもしれません。
◉帯、この薄くて軽くて、やはり、重いもの。
どんな帯にしようかな。著者/訳者はなんて反応するだろう。そもそも書店の方、そして読者にどのように本の魅力を伝えることができるだろうか。デザイナー/装丁家はどんなデザインを作ってくるだろう。そんなことを日々考えながら、最近、ミステリーの帯で「どんでん返し」っていうフレーズ、やたらに多いよねと同僚が言い出して、ボクも書店で眺めたら、確かに多いなあと気がつきました。ありふれたフレーズとも言えるし、いや、読者を引きつけるキラーフレーズなのかな、などと今日も帯について話し合っています(笑)。帯ひとつで、ひょっとしたら本のイメージを決定づけてしまうかもしれない。帯ひとつで、読者を逃してしまうかもしれない。その逆に、帯で本の魅力を伝えられないのか。物理的には薄くて軽い帯ですが、本に巻かれるやとっても重い意味をもつことを噛み締めていかねばと思っています。
さてさて、鷹に脅えるように、出版界の片隅で、ピヨピヨ鳴いている出版社ですが、そんな思いで、今日も本作りが何よりも好きな二人の編集者が本作りをしています。