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四苦八苦のクラウドファンディング初体験記

〈増補・新装版〉水俣病にたいする企業の責任 —チッソの不法行為
核心・〈水俣病〉事件史」出版

 私が編集者になって50年、クラウドファンディングを射程に入れて出版を試みたのは初めてのことだった。
 
SNSもやらない古い人間だが、クラウドファンディングというシステムは、リスクの大きい出版活動(出版してみないと売れるかどうかわからない)に新たな光を与える可能性があるのではないかと考える。若い出版人たちが、クラウドファンディング によって次々と書籍を生み出していることは知っていた。自身で経験して、クラウドファンディングは通常の販路を超えて、書籍の内容次第では、出版前にある程度の読者を予測できるシステムではないかと思いはじめた。苦境の中にある出版事業の、一筋の光になる可能性を期待できるシステムかもしれない。

ただ、今回の「企業の責任」(通称)について、はじめからクラファン(通称)が念頭にあったわけではない。
本書出版の話があったのは、2024年のはじめ、国立大学の文化人類学の教授からで、幾らかの助成金も出るという提案が発端であった。私も若い頃水俣病問題に関わったことがあるので、何かの縁と引き受けた。編集会議には、旧知の水俣病研究会(後述)のメンバー2人も加わった。
ところが編集会議が数回開かれた後、大学当局が「本書は〈増補・新装版〉である。オリジナルでないと助成金は出せないと言ってきた、どうします」と教授。私は「乗り掛かった船、リスクはあるがやりましょう」と答えて進めることになった。
そういう経緯の中で教授から出てきたのが、大学関係のクラファン (私はこの通称の意味が、一瞬わからなかった)の提案である。ところが、大学がらみのクラファンは、手数料が20%以上と高い上に、大学当局が関わっており「定価をつけて市販すること」に難色をつけてきた。ということで、「では、クラファンも私の方で当たります」ということになったのである。
そこで、知人のドキュメンタリー制作会社の紹介もあり、社会問題に特化した企画を扱う手数料7%の「For Good」という会社に頼むことにした。
 結果として、このクラファンのシステム上の制作や対応をほぼ私一人でやることになったのである。小社は、私を含めて3人の出版事務所、私はマニュアルやデジタルが不得手な出版歴50年のジジイである。まさに闇夜の手探りで取りかかった。
 今年の1月初旬から3月初旬までの2ヶ月、私はパソコンに張り付き、掲示画面の制作からレスポンスまでほぼ一人でやることになった。先の見えない航海だったが、結果として第2目標までも達成することができた。

まず掲げた目標は以下の通り。

「〈増補・新装版〉水俣病にたいする企業の責任 —チッソの不法行為」出版
目標額270万円
直接経費(制作・印刷・製本等) 180万円
編集・校正・広報経費 50万円
送料等諸経費 22万円
いっしょプラン利用料 18万円
書籍は、支援金の多寡にかかわらず出版
*目標額を超過した場合、
『核心・〈水俣病〉事件史』(富樫貞夫著 石風社 予価2500円+税)の
出版制作費に充てる。 

重複するが、私がクラウドファンディングにトライしようと考えて掲げた理由は以下の3点である。

1 読者を広げたい。
通常の販売網(書店・アマゾン等)を超えて読者を獲得したいと考えた。
2 定価を抑えたい。
「企業の責任」は、A5判480頁ハードカバーの小部数の専門書である。通常だと高定価に設定せざるを得ない。クラウドファンディングの応援を得て、定価を抑えたいと考えた(定価3500円+税)。
3 出版の可能性を広げたい。
出版業は、本を店頭に出すまで購読者を確定できないハイリスクな業種である。クラウドファンディングというシステムで、出版前にある程度の読者を獲得できれば、出版界にも新しい未来が開けるのではと考えた。

「企業の責任」(水俣病研究会著)の内容と著者の水俣病研究会について述べる。 
いまから50年以上前の1969年6月、水俣病患者家族は原因企業チッソに賠償を求める訴えを起こした。その水俣病第一次訴訟を理論面から支援するために結成されたのが、水俣病研究会である。この市民グループが、水俣病第一次訴訟勝訴への理論を構築した。
集まったメンバーは、『苦海浄土』を出版したばかりの石牟礼道子さんを除けば、富樫貞夫氏にしても原田正純氏にしても岡本達明氏にしてもまだ30代の医者や研究者。連日の調査研究と激論の日々に、倒れるものが出るほどの熱い研究会だった。
本来ならば、弁護士に一任すべき事案だが、当時の法曹界では、チッソの不法行為を問うことは難しかった。つまり勝訴はあり得ないので、和解しかないというのが、大半の意見だった。そこでチッソは、「一流の弁護士」を雇い、メチル水銀を含む廃液を工場から海へ無処理排出しながら、「原因物質が分からなかったので、不法行為はなかった」と水俣病第一次訴訟で主張したのである。当時の民法の常識では、チッソの「過失責任」を立証するのは極めて困難だったのである。 
連日の議論の末、メンバーが辿り着いたのは、加害企業チッソの「資本の論理」に対する、「安全性の論理」である。危険物を扱う企業には「安全確保義務」があり、行政にはその監督義務がある、という明白な論理である。
著者の一人、富樫貞夫氏(水俣病研究会前代表)は次のように記している。

水俣病研究会は、チッソのように有機合成化学工業を営む企業には高度な安全確保義務が課せられていると考え、その内容を具体的に明らかにした。そのうえで、これらの義務を怠れば、企業はその過失責任を免れないと主張した。実際、水銀を使う製造工程の危険性やそこで生成する化学物質の毒性に関する文献調査、定期的な排水分析をふまえた適正な排水処理、排出後の環境汚染の調査等をきちんと実施すれば、水俣病のような被害を未然に防止することは十分可能だったのである。(略)また、安全性の考え方は、過失論の再構築という狭い枠を越えて、環境保護における予防原則とどう結びつけるかも重要な検討課題であろう。
(「企業の責任」復刻版・解説[熊本学園大学水俣学研究センター,2007〕)

1年にわたり激しい議論を重ねて原告勝訴のための理論を構築し、その集成として出版したのが『水俣病にたいする企業の責任 ─チッソの不法行為』(通称『企業の責任』)。しかし本書は非売品として頒布され、時間の経過の中で一般の入手が困難になっていた。一度は大学の資料集として復刊されているが(2007年 非売品)、今回〈増補・新装版〉として、広く一般向けに刊行することにしたのである。
なぜ〈増補・新装版〉か? 以下の2点を踏まえて〈増補・新装版〉を出版することにしたのである。
1 現在の視点からの綿密な「解題」(有馬澄雄・水俣病研究会代表)と注を付すことで、「水俣病研究」を未来へ向けての施策に活かす。
2 非売品ではなく、あらゆる流通網で購入可能にし、読者に開かれたものにする。

* 

私と水俣病事件との関わりについても触れておいた方がいいかもしれない。
私が学生だった頃、水俣病問題に関わった。1970年から74年のことである。そのことが私のその後の人生を決定づけ、アフガニスタンで用水路を造った中村哲さんの事業にまで関わることになった。
石牟礼道子さんは、水俣病の患者さんのことを「かつて一度も歴史の面に立ちあらわれることなく、しかも人類史を網羅的に養ってきた血脈」と記している。その血脈、つまり累々たる無名の死者の思いを背に闘われたのが、第一次水俣病訴訟だった。だからこそあの裁判は、「損害賠償請求事件」に止まらず「人としての道義」をも問う訴訟になったのである。『企業の責任』は、利益追求を優先し、人の命や自然環境を破壊したチッソの「罪と嘘」を完膚なきまでに暴いた。本書の「安全確保義務」の法理論が企業・行政の倫理として定着することが、水俣病による死者たちの鎮魂になればと考えたのである。
水俣病事件は、公害問題という言葉では片付けられない、企業利益を優先する資本と国家・行政による犯罪である。いわば近代資本主義の帰結であり、東日本大震災での原発事故に前後して東京電力がとってきた対応を、チッソはあらゆる点で先取りしていたともいえる。私たちは、人間の豊かさや幸福を、株価や経済指標で測る風潮に身を晒している。水俣病事件を読み解くことは、私たちの生き方そのものを省みることになるのではないか、とクラウドファンディングでは呼び掛けたのである。 
 
*   

今回のクラウドファンディングでは、結果として、300人以上の方々からご支援をいただき、最初の目標を超えて2次目標のまで達成することができた。「企業の責任」だけでなく「核心・〈水俣病〉事件史」も出版することができたのである。

達成額は以下の通りである。

支援金額総額   3,918,500円(第一次目標額2,700,000円)
支援者総数     308人
石風社入金額     3,616,775円
For Good手数料(7%) 301,725円 

今回のクラウドファンディングでは、編集協力者を含め、メディアの協力も大きかった。また水俣病問題に深く関わる以下の9人の方からは熱い応援メッセージをいただいた。
山下 善寛 ( 水俣病被害市民の会 チッソOB)/半田  隆(水俣病を告発する会)/伊東紀美代(水俣病互助会 事務局)高峰 武(熊本学園大学特命教授、元熊本日日新聞記者)/吉永 利夫((一社) 水俣病を語り継ぐ会)/久保田好生(東京・水俣病を告発する会)/実川 悠太(水俣フォーラム)/奥羽 香織((一社)水俣・写真家の眼 事務局)/永野 三智(水俣病センター相思社)
 関係者の方々は、メッセージだけでなく、それぞれが持つネットワークを駆使して支援を呼びかけてくださり、これが大きかった。
あらためて感謝したい。
メディアについては、それほど期待していなかったが、各紙の地方版だけでなく、朝日は全国版(夕刊)でも取り上げ、NHKもニュースで流してくれた。
正確ではないが、応援者への影響は、水俣病関係者のネットワーク40%、メディア35%、私の関係25%という感じである。

クラウドファンディングを終えての感想は、
1 メディアはクラウドファンディングを出版イベントとして捉えた
2 皆さんの声に励まされた。
クラウドファンディングが始まり、応援の声が届き始めてあらためてその力を感じた。これまでの出版経験では、意外と読者の声を聞くことが少なかったということである。 
3 これは感想とは異なるが、リターン(返礼品)について述べると。
クラウドファンディングの経験者からは、基本的には礼状一枚でいいと言われたが、可能な限りその金額に見合う出版物を用意した。

クラウドファンディングの顛末について、長々と記したが、出版社各位に少しでも参考になればという思いからである。
最後になったが、今回のクラウドファンディングを成功に導いて下さったすべての方々に感謝いたします。

追記
この初夏、水俣病に対する事実誤認による問題が2件、発生した。
一つは、熊本県宇城市が発行したカレンダーに、水俣病は感染症であると表記され、もう一つは、教育企業トライの動画に、水俣病は遺伝病であるとして放映されていたという問題である。結論から言うと、ことの核心は両者の認識に、水俣病がチッソ工場の廃液によって引き起こされた病(企業犯罪)であるという基本認識が欠落していたことにある。トライの件を報道した某テレビ局のニュースも「工場廃液」とはアナウンスしても、「チッソの」(工場廃液)という語は欠落していた。事件の本質が忘却され曖昧にされれば、このような問題は、今後も繰り返されることになるのではないだろうか。 


熊本県宇城市が発行したカレンダー(部分)

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