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あんまり売らない

こんにちは、はじめまして。
八燿堂 (はちようどう)の岡澤浩太郎と申します。
2018年に、いわゆる一人出版社を開始し、
2019年に東京の三鷹から長野の小海町というローカルに移住しました。

標高は高尾山よりも高い1,000m、
冬は-20℃まで下がることもある寒冷地の小さな集落ですが
水も空気も酒も美味しく、星がとてもきれいな場所で
日々、畑と森の手入れをしながら、本づくりと庭づくりをしています。

上の写真は5月上旬の庭の様子(寒冷地なので遅いです)。
この春もいろいろと植えました。
イチゴ、トマト、サツマイモ、コリアンダー、
クウシンサイ、コマツナ、ゴボウ、などなど……。
F1種もありますが、自家採種して3年目を迎えた固定種もあります。

畑は自給目的で始めましたが、
とはいえ自給率はまだまだ低いまま。
だけどもしこの先順調に進んで、
収穫量がとんでもなく増えたら……。

さて、どうしようか。
自分たち家族だけで食べきれなかったら、
売る? それとも?

私は、必要とする人に手渡そうと思います。
なぜならその野菜は、私のものではないからです。

確かに種は私が植えました。
草も適度に刈りました。
だけど育てたのは、太陽と水と土。

自然が育てたものを自分が「販売」する気にはなりません。
お金という形で自分だけが利するのみで、
自然に対してフィードバックしないのは、フェアな関係ではないでしょう。
自然の産物である野菜という存在を「金額」で数値化することに、抵抗もあります。

だったら、
麓のスーパーまで買い物に行くのに苦労している集落の長老たちや、
何かの理由で食べ物を得るのに苦労している人たちに配ったり、
私の子どもが通う幼稚園の給食のおかずの一品に加えてもらったり、
この庭を訪ねた友人たちにお土産としてプレゼントしたり、
そのほうがよっぽどいい。

富は、蓄えるよりも、必要とされるところに循環させるもの。
野菜も水も、必要以上に蓄え続けると、いつかは腐ります。
本やお金も同じだと思うのです。

毎日200タイトル以上の本や雑誌が刊行され
膨大な冊数が世の中に出回っているのは、みなさんご存知の通りです。
なかには返品という形で、わずか数か月書店に置かれただけで
ほとんど誰の手にも目にも触れることなく
古紙再生工場に運ばれていく本も、膨大な数におよびます。

古紙に生まれ変わればそれでいいじゃないか、という意見もあるでしょう。
確かに断裁・焼却されて海に埋め立てられるよりはよっぽどマシです。
ただ、古紙再生の過程で、
大量の電力と水と石油燃料を使い、
インキを溶かすために大量の化学薬品を投じるのは、
「環境にやさしい」パーム油を生産するために広大な熱帯雨林を伐採するのと似たような構造で、
果たしてどこまで環境のための行為なのか、私にはよく分かりません。

大量生産、大量消費、大量再生産という、
とてつもなく巨大で速いサイクル。
本は生まれて消えて、また生まれ、
そのたびに膨大なエネルギーが費やされる。
資源も、お金も、人の心や労力も。

私は出版に携わる人間として、
こういう、自分が納得できないシステムからは、
できるだけ距離を置きたい。

だから自分で立ち上げた一人出版社では、
こんなことをガイドラインに掲げています。

①少部数の発行
②自主流通

できるだけ自分の目と手が届く範囲で、
それ以上にはつくらず、流通させず、
必要とする人の手に渡るように、
人や場所を循環させる。

「本がパブリックになる」というのは
そういう意味だと私は解釈しています。

「それではビジネスにならない」という声はもちろん多々ありますが、
ただ実際、八燿堂を始めて現在まで、
売上で言えば黒字が続いています。

じゃあどんな本を出版しているのか、
という、肝心な宣伝の話に移ろうとしたところで、
長くなりすぎたので一旦筆を置きます(笑)。
版元ドットコムのメーリングリストで質問させていただいた、
「自由料金制」=お金のことにも触れたかったのですが
また機会をいただいたときにお話しさせてください。

八燿堂の本の一覧

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