「ひとり出版社」ではなくなる日
一通のメールが届いた。
個人用のアドレスとは別に、会社の問い合わせ用のアドレスや営業用のアドレスなどを併せて4つあるのだが、そのうちの問い合わせ用のアドレス宛だった。
件名「採用についてのご質問」
「……まじで?」
メールを開いたところ、採用の予定はあるかどうかを問い合わせる学生さんからのメールだった。
「採用の予定……どうだろう?」
ちとせプレスは2015年6月に創業し、悪戦苦闘しながらも何とか7年目に入った「ひとり出版社」である。「学びを愉しく」をコンセプトに、おもに心理学の分野の書籍を刊行してきている。刊行点数は20数点と、正直なところあまり多くはないが、ほかに他の版元や学会誌の編集を手伝いながら、ここ数年はある程度の売り上げも確保できて、ひとりが食べていくぶんには困らない状態にはなってきた。
自社刊行物について、心理学関連の学会誌に広告を出したり、ブースを出して展示販売をしたり、SNSで定期的に発信したりとPRをしているが、昔からつき合いのある研究者の方々はともかくとして、若い人たちにはあまり知られていないのではないかと思っていた。一通の問い合わせメールにすぎないが、「働いてみたい会社の一つ」として検討してもらえたことが、素朴に嬉しかった。
ただ、冷静に考えて、刊行物を見たり読んだりしたことはあったのだと思うが、会社のことをどの程度わかっているのかは確かめないと、と思った。40過ぎのおじさんがひとりできりもみしているとは思っていないのではないか。会ったことも話したこともないのだ。
6畳ほどの事務所を借りているが、ここに2人が机を並べて仕事できるのだろうか。一から仕事を教える余裕はあるのだろうか。そもそも、雇えるだけの売り上げを安定的に確保できるだろうか。人を雇うとなったら、考えるべきことは山ほどあることに気づいた。
ただ、ずっと「ひとり出版社」でいたいと思っているわけではなかった。そもそもの創業当初から「何人かと一緒に始めるのがよいのでは」ということも頭にはあった。出版社に限らないだろうが、小さい会社であれば、最初は気心が知れた人と始めるのがセオリーだろう。創業時の「実入りが少ないにもかかわらず、誰もが何でも柔軟に対応しないといけない時期」を乗り切るためには、それまでの関係性や信頼があるのが望ましいだろうと思っていた。逡巡したものの、そのときは誰にも声がけをせず、ひとりでスタートすることになったのだが。
出版社がひとりで成立しうる業態だとはいえ、事業の幅を広げるためには複数でやっていくことが望ましいし、事業を継続していくためには、新しい世代への引き継ぎは不可欠だ。もちろん、「ひとり・一代限り」の出版社の形もありうるが、少なくとも現時点で自分が望む姿ではない。
とはいえ、実際に「うち」に入りたいと思うような人はいるのだろうか。どうやって人を探せばいいのだろうか。もし入りたい人がいたとして、自分とその人とが本当にうまくやっていけるのだろうか。この6畳の事務所でそりが合わなくなったら目も当てられない。
とりあえず、すぐに返信をすることはやめて、1日よく考えることにした。家族にはそれとなく話をしてみたが、どうするかを判断するのは自分しかいない。よくも悪くも、自分が決めるしかないのだ。
ひとりで食べていくぶんには困らなくなってきたが、この状態に安住してはいけない。ひとりであれば自分のやりたいことはやりやすいかもしれないが、他の人の意見を聞く機会がなければ、どうしても視野も関心の幅も狭くなっていくだろう。会社を次のステージに進めるためにも、これはいいチャンスかもしれない。なにより、「うち」で働いてもいいかも、と思って連絡をしてきてくれたのだ。
翌日、気を取り直して、会社の現状と自分の考えを伝えることにした。ひとり出版社であること、編集以外の仕事も何でもこなさないといけないだろうこと、人を増やしたいとは考えていること、他にも採用をしている出版社はあるだろうこと。それでもよければ、また連絡をしてほしい、と。
送信。
猿江商會さんから、『小さな出版社のつづけ方』という書籍が2021年11月に刊行された。
9つの「小さな出版社」(と1つの書店)へのインタビューから構成されたものだが、刊行された後にすぐに購入して読んだ。どの出版社のエピソードも非常に興味深く、参考になるものだったが、とくに印象に残ったのは左右社さんのインタビューだ。
2005年にひとりで創業。著者が最初に左右社を訪れた2011年頃は、マンションの1室で創業者のほかにもう1人が新たに入社したところだったらしい。それがいまや11人を抱え、全員が正社員。売り上げも点数もしっかりと伸ばしているということだった。インタビューの中で、創業者の方が、最初の従業員を雇ったときに、大変なことになったと思ったと語っていた。人を雇うということに伴い、いろいろな責任が生じる。自分なら徹夜もできるが、社員にそれを頼むわけにはいかない。社員の人数によって会社のシステムは変わっていくように思う、と。
ちとせプレスは将来どうなっているのだろうか。考えはじめれば不安も感じるが、同時にわくわくもする。
……次の連絡はなかった。
残念ではあったが、それがいまの会社への正しい「評価」なのだと思った。就職先をどこにするかは、本人にとっても大きな決断だろう。自分にできることといえば、自信をもって人を採用できる会社にしていくことだ。まだ見ぬ「同僚」とのよりよい出会いに向けて、会社として、経営者としてやるべきことはたくさんあるだろう。今後の会社のあり方を考えるうえで、非常にありがたい機会となったと思う。
11月13日の朝日新聞に、『仲直りの理』の書評が掲載された。
20年ほど編集活動をしてきているが、朝日新聞に書評が載ったのははじめてのことで、嬉しい出来事だった。今後も出版を取り巻く状況や情報環境は変化していくに違いないが、一つひとつの作品を丁寧に作り、それを多くの方に届けていくという「出版」の機能は変わらない。目の前の仕事に真摯に取り組みながら、チャレンジ精神を忘れずに、前に進んでいきたい。