ワタクシ、編集者になりました!
はじめまして。三和書籍の小玉と申します。人より少しだけ長い大学生活を終え、念願の出版社に勤めることになりました。新しいことの連続でなかなか大変ですが、本を作る現場にいられる楽しさから、充実した毎日を送っております。
さて、そんな私に版元日誌の執筆という大役が回ってまいりました。「新人の私が何を書けばよいのだろう…」と正直にいえば悩みました。とはいえ、元来ものを書いたり読んだりすることが好きでしたので、版元日誌のバックナンバーを読んでいるうちにだんだんと楽しくなってまいりました。自分がどんな本を作りたいか、どのような思いで出版業界を志したのか、素直に書くことといたします。願わくは、日々の業務に追われる皆様の一服の清涼剤となることができれば。
弊社では「大活字本シリーズ」より宮沢賢治と芥川龍之介を刊行しております。もとより日本の近代文学に目がない私としては、どちらも魅力を語りつくすことのできない偉大な作家です。弊社で本書を出版したのは2019年のことですので当然私は携わってはおりませんが、弊社からの出版物ということは誇らしく思えます。
名著「銀河鉄道の夜」は次のように始まります。(皆様ご存知のことと思いますので恐縮ですが)
「ではみなさんは、さいうふふうに川だと云はれたり、乳の流れたあとだと云はれたりしてゐたこのぼんやりと白いものがほんたうは何かご承知ですか。」先生は、黒板に吊した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のやうなところを指しながら、みんなに問をかけました。
カムパネルラが手をあげました。それから四五人が手をあげました。ジョバンニも手をあげやうとして、急いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないといふ気持がするのでした。(『校本 宮沢賢治全集』筑摩書房 昭和49年9月)
「銀河鉄道の夜」では「ほんたう」とはなにであるのか、という問いが基調低音をなしていると私には思えます。銀河鉄道の旅を通じて主人公ジョバンニの前にはこの問いが次々と(カムパネルラの「いったいどんなことが、おっかさんの一番の幸なんだろう」という発言や、プリシオン海岸、鳥捕り、タイタニック号をモデルとしたであろう人々の挿話として)現れます。しかし、小説の中でこの問いに対する明確な正解が与えられることはありません。それが賢治なりのものの見方であったのかはわかりませんが、そうした小説の展開の仕方は、読者に絶対に正しいものの見方やたったひとつの正解というものがいかに難しいものか(あるいは存在しないか)ということを示していると思います。
こうして示されるテーマは出版という仕事にも響きあっているのではないかと思います。(新人がエラソーになにを、と思われるかもしれませんが…)良い本を作るために私たちはさまざまな事柄と格闘します。しかし、どういった本が絶対的に正しく素晴らしい本であるのか、はっきりと理解することは難しいと思えます。売れる本が正しいのか、面白い本が素晴らしいのか、正解の基準は人(出版社?)それぞれにあることでしょう。だからこそ、絶対の正解にたどり着けないからこそ、理想的な本づくりに向けて、努力し続けられるのだと思います。
一方で、本づくりの現場は苦しいことが多いのも現実なのだと少しずつ理解してまいりました。それは本を読む人が減ったせいでしょうか。それとも、人々が読むに資する面白い本が減ってきたせいでしょうか。「ほんたう」はどちらかわからないでしょうし、どちらでもあるでしょう。
「ほんたうの本」とはなにか。今後も出版に携わる方々に(そして私に!)突きつけられる課題なのだと覚悟します。覚悟するとともに、そういうある種のロマンに向けた仕事ができるということは、新人の私にとってうれしくもあり、誇らしくも感じられるのです。
さまざまに分かった風なことを書いてまいりましたが、まだまだ何も知らない新参者でしかありません。次第に、さらに、「だから、本づくりは楽しいな!」と言えるようになれば、と思っております。
最後に私の好きな賢治の文章をもうひとつ載せて、おしまいにします。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。
わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてきたのです。
ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。(『校本 宮沢賢治全集』「童話 注文の多い料理店 序」筑摩書房 昭和49年9月)