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少国民たちの戦争
日記でたどる戦中・戦後
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2010年7月
- 書店発売日
- 2010年8月9日
- 登録日
- 2010年7月19日
- 最終更新日
- 2010年8月4日
紹介
戦後六五年の夏―いま改めて〈戦争と平和〉の原点に返って追憶する。
東京の街は戦場だった! 「皇国少年」だった著者が、その日記に書きつづった大空襲下の、東京の生活とは……。
著者と国民学校の同窓で、「戦場体験」を共有した作家・内田康夫氏が、帯文で推薦。
目次
まえがき 2
第一章 昭和初期の東京 9
いちばん古い記憶/私の育った家/丸いちゃぶ台/電気の使い方/水まわりと便所/
大家族の人間関係/親の怖さ/大日本帝国の時代/軍国の子守唄
第二章 戦争はまだ遠かった 29
一年生の日記/一銭玉の感触/紀元二千六百年/戦争前夜の日独伊三国同盟/隣 組と回覧板/小学校から国民学校へ/いろいろな大人たち/戦前最後の夏休み
第三章 戦争が始まった 47
強まる戦時色そして開戦/昭和十七年版の『児童年鑑』/東京初空襲/戦争と国民 生活/厳しくなる戦局と生活/学童疎開に行く/貧しくなった食卓/防空壕を掘る /B29を見た/激化する空襲/焼夷弾の実態
第四章 昭和二十年という年 71
運命の昭和二十年/戦時下の正月/写真屋さんの芋糖/インドもビルマも遠かっ た/寒い冬に不吉なニュース/空襲下の日常/三月十日の大空襲/大空襲の後
第五章 大空襲下の東京 89
緊迫する戦況/強制疎開という破壊/学校がなくなった/周囲が火の海になる/焼 け跡の風景/降伏したら殺される/先行きの見えない戦況/どんな暮らしをしてい たか/アメリカ軍の宣伝ビラ
第六章 家族への召集令状 109
召集令状が来た/寺子屋の復活/空襲は空の活劇/兄の出征/沖縄戦の最後/無視 されたポツダム宣言/黙々と壕を掘る/新型爆弾とソ連の参戦
第七章 戦争が終った 127
玉音放送を聞く/それぞれの玉音放送/戦争は急に止まれない/戦後の始まり/空 から始まった占領/相次ぐ復員/鬼畜米英という虚像/去る者と来る者/アメリカ 兵を見た/友だちが帰ってきた/アメリカ兵のジープにハロー
第八章 闇市とインフレ 151
餓死者を見た/闇市の始まり/教科書に墨を塗る/昭和二十年の年末/変ったもの と変らぬもの/昭和二十一年が明けた/インフレと民主主義/忘れられない先生/ 預金封鎖と新円の発行/新鮮だった共産党
第九章 学校と空腹と買い出し 173
中学受験と卒業式/入学試験と総選挙/飯炊き担当と食糧事情/英語と漢文の特訓/
大人の学校の入学式/食糧メーデーと食糧休暇/買い出し列車は命綱
第十章 戦後の旅と家業の再開 189
昭和二十一年戦後の旅(一)/昭和二十一年戦後の旅(二)/昭和二十一年戦後の 旅(三)/昭和二十一年戦後の旅(四)/食糧難続く/DDTと家業の再開/イン ターハイの蹴球/昭和二十一年秋の東京/電産ストとインフレ激化/昭和二十二年 の正月
第十一章 廃墟の中からの復興 211
不逞の輩と二・一ゼネスト/立春に卵が立つ話/家業の繁盛と関東大水害/値上げ 三・五倍の時代/続くインフレと凶悪事件/焼けビルの住人/遅れて来た悪童時代 /野ばら社の『児童年鑑』昭和二十四年版/インフレの終息
資料・空襲の実像(その一) 231
空襲の実像(その二) 234
前書きなど
太平洋戦争は、私が国民学校(小学校)二年生だった十二月に始まり、六年生だった八月に終った。私の受けた初等教育は、戦争とともにあったと言ってよい。当時の教育によれば、日本は正義の戦いをしているのであり、少国民と呼ばれた私たちの勉強も体育も、すべては国家に身命を捧げて戦うための修練なのだった。
戦争は、あまりにも当時の日常だったから、私たちは戦争のない日本の社会や外国との交流といったことを、想像することさえできなかった。最大の関心事は、常に日本軍が米英軍とどのように戦っているかであり、具体的には、何機撃墜した、何隻撃沈したという「戦果」がすべてだった。そのような戦争状態こそが異常なのだという事実は、ずっと後になってから知ったことである。戦争が末期となり、空襲が激しくなってからでも、戦争とは避けることのできない運命そのものだった。つまりそれは「天災」の一種だったのだ。
中身を読んでいただければわかるが、私の家族は運がよく、疎開もせずに空襲を体験しながら、都内にあった家は焼かれず、家族から戦争犠牲者も出さなかった。これには世代的な幸運もある。つまり父親は徴兵には年をとり過ぎていて、兄は応召したものの戦地へ行く前に終戦という、半世代ずれた犠牲の少ない年代に当るのである。
本書の内容は副題にあるように、私の当時の日記をもとに叙述している。この中で私が空襲体験の一部を、刺激的な「空の活劇」のように描写しているのを不快に思われる方もおられるのではないかと思う。だが、そのような非常識が常識化した中で少年が育ったことこそが、本当に「怖い時代」だったのではないだろうか。子供は環境を選ぶことができない。あの時代に育った男の子は、将来を問われたら「早く大きくなって、アメリカ兵と戦います」と答えることになっていた。そして自ら少しでも勇ましく答えようとしたのだ。
戦況がいかに悪くなろうと、当時の国民に選択の自由はなかった。天皇を中心とする「お国のため」に、沖縄では県民も戦力として根こそぎ動員され、戦力にならない者たちも「国に殉じて死ぬ」ことを強要された。あの「怖い時代」がそのまま続いたら、おそらく千万人単位の国民が犠牲に供されたことだろう。軍部は長野県の山中に大本営を築き、天皇を奉じて本気で本土決戦の継続を計画していたのだ。
戦争が、権力者の意思で「止めることもできる」ものであることを、当時の私たちは知らなかった。しかし、今は知っている。あの「怖い時代」を二度と再現しないために、主権者である国民の資料として、このささやかな一冊を加えたいと願っている。
著 者
版元から一言
戦争体験者が少なくなっている今、体験者の貴重な経験を次の世代に書き残すことは、重要な事となっている。多くの戦争体験者世代が、もっともっと書き残してほしいと思う。
上記内容は本書刊行時のものです。
