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熊本風土記 復刻版
- 出版社在庫情報
- 不明
- 初版年月日
- 2025年7月1日
- 書店発売日
- 2025年7月15日
- 登録日
- 2025年5月12日
- 最終更新日
- 2025年6月27日
紹介
『苦海浄土』を生んだ伝説の地域文化誌、創刊60周年を記念し、ついに復刻!
「熊本で月刊雑誌を始めるなんて正気なのか―こんな意味のこもった言葉を何度か聞きました。だが私たちは始めました。始めた以上続けるつもりです。私たちは大風呂敷はひろげません。しかし公言したことは守ります。そんな意気ごみで私たちは「熊本風土記」と取組んでいます。」(『熊本風土記』創刊号より抜粋)
水俣病が社会問題化した1965年、熊本で小さな雑誌が創刊された。ことの起こりは一九六一年一二月一〇日。谷川雁を中心として熊本の若者たちにより「新文化集団」が結成された。新たな文化運動を志したこの集団は、長らく雑誌創刊を目指すもその実現には数年を要した。
一九六五年八月、「新文化集団」の集会にて渡辺京二の提案によって、渡辺京二が個人経営かつ編集長をつとめる雑誌が動き出す。その同じ八月に、渡辺京二は一人バスにのり、水俣に住む石牟礼道子を訪ねたのだった。
同誌は「状況に挑む」渡辺京二の編集方針のもと文芸はもちろん「庶民列伝」「地方の眼」「共和国」といったさまざまな企画を通じ、一年の間文化運動の新たな可能性を模索していった。
『苦海浄土 わが水俣病』の初稿である「海と空のあいだに」が創刊号を飾った『熊本風土記』に加え、『熊本風土記』参加前、水俣病で揺れる地元の中で、民衆史に思い沈む石牟礼道子ら水俣の「記録文学研究会」が一号のみ刊行した『現代の記録』創刊号、新文化集団が編集を担当した『思想の科学』1962年12月号、そして当時の貴重な写真(渡辺京二ご遺族の提供)を添え、創刊六〇周年を記念してここに復刻する。
目次
・『熊本風土記』1~12号
・『現代の記録』創刊号
・『思想の科学』1962年12月号
・別冊(「写真」渡辺家のアルバムから・解題・総目次・索引含)
前書きなど
「熊本で月刊雑誌を始めるなんて正気なのか―こんな意味のこもった言葉を何度か聞きました。だが私たちは始めました。始めた以上続けるつもりです。私たちは大風呂敷はひろげません。しかし公言したことは守ります。そんな意気ごみで私たちは「熊本風土記」と取組んでいます。」(『熊本風土記』創刊号より抜粋)
版元から一言
言わずと知れた『苦海浄土』が世に生まれる母体となった伝説の雑誌を、その創刊60周年の節目に刊行出来ることを、何より嬉しく思います。
創刊号を開いていただければ感じていただけるかと思いますが、東京から熊本にもどり、新しく雑誌を創刊し生きていこうと意気込む35歳の渡辺京二編集長の思いが、誌面にあふれています。
創刊号にはさまれた「発刊によせて」には、多くの著名人が激励を寄せています。(「発刊によせて」は、本復刻版でも収録しています。)そこには谷川雁や熊本放送のプロデューサーまで多彩な人たちが並んでいます。
一番端には鶴見俊輔の短い言葉が。「この雑誌は、郷土史研究とか考証的研究のほうにひきよせられることなしに、そこの人の問題を、そこでしか考えられぬしかたで考えてほしい。」
『思想の科学』ですでにつながりのあった鶴見俊輔のこの言葉を、当時の熊本の人たちが受け止めた様子を思わず想像してしまいます。
別冊には、渡辺家から提供いただいた貴重な写真を収録させていただきました。
雑誌が生まれた背景については、本書別冊に加え、ぜひ『実録・苦海浄土』(米本浩二、河出書房新社)を読んでいただければと思います。
『熊本風土記』自体は約一年間の短い歩みだったとも言えますが、そこから如何に大きな物語が生まれたか、実感いただけると思います。
上記内容は本書刊行時のものです。