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みえなくなった ちょうこくか 立木 寛子(文) - メノキ書房
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みえなくなった ちょうこくか (ミエナクナッタ チョウコクカ)

文芸
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発行:メノキ書房
B4変形判
縦280mm 横250mm 厚さ8mm
重さ 400g
32ページ
上製
価格 1,800 円+税   1,980 円(税込)
ISBN
978-4-910948-00-3   COPY
ISBN 13
9784910948003   COPY
ISBN 10h
4-910948-00-7   COPY
ISBN 10
4910948007   COPY
出版者記号
910948   COPY
Cコード
C0021  
0:一般 0:単行本 21:日本歴史
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2022年7月28日
書店発売日
登録日
2025年4月23日
最終更新日
2025年6月9日
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重版情報

2刷 出来予定日: 2024-08-08
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本体帯に、詩人・谷川俊太郎さんが推薦の言葉を寄せてくださった他、ノンフィクション作家の柳田邦男さんが雑誌『看護管理』(医学書院 2023年3月号)で連載中のコラム「おとなが読む絵本」、『文藝春秋』連載中の「いざ100歳まで日記」(2024年1月号)で紹介してくださったことなどがきっかけで販売部数が伸びました。

紹介

みる、ってなんだろう  みえる、ってどんなこと?  いま あたしの めのまえには ひかりがあるだけ 

みる、って みえる、ってなあに?

まえは 木をほって ぶつぞうを つくっていたよ お母さん お父さん おばあさん おじいさん こども おいしゃさんも ほった  みんなのこころを ほって いたよ
花も 犬も 猫も なめくじも ほった  あたしのまわりにいる たましいを ほった

木のちょうこくを していたあたし  ちょうこくか が あたし
 
このときまでは すべてが みえていたよ  山も海も 木も花も 犬も猫も お母さんのかおも お父さんの手も こどものえがおも たいせつなひとのなみだも みんな みんな みえていた

じゅうねん にじゅうねん 木をほっていた あたし 
でも だんだん だんだん せかいが くらくなってきた じぶんのせかいが うすくなってきた 

そして あるあさ めのまえは ひかりだけになった 

あたしは 木をてばなした ほるどうぐを たなに しまった


さあて どうしよう


木はほれなくなった けれど あたしはあたし  みえなくなった けれど あたしはあたし  あたしは ちょうこくか
せかいにあふれる たましいを あたしの手で かたちにしたい


でも、 どうしたらいいの?


おもいだした  こどものころ どろだんご つくった  どろをこねて 手でまるめて  
かためて みがいた  つるつるにみがいた ぴかぴかに みがいた  
きもちよかった
ほこらしかった

ねんどで だんごをつくってみた  たのしかった  
ねんどは やわらかい  ねんどは どんなかたちもつくれる いくらでも つくれる ねんどは こころを いれやすい

ねんどで しじみを つくった  おおきい しじみは パパとママ 小さい しじみは こども  しじみのかぞくが できた  
たのしかった

ねんどで やかんも つくった  おおきい やかんを つくった  
さわったら あつくそうだね 
おゆが おいしくなりそうだね 
やかんをみたひとが そういった  
ねんどのやかんが たましいを もった

みえなくなった あたし だけど だれかの てだすけが あれば いままでどおり あたしは あるくことができる  だから  かわいそうだ と おもわないで

木をほっていた あたし  ねんどで すきなかたちを つくるようになった あたし
つくりおわった きもちは おなじ  つくりたくなる きもちも おなじ  たましいは おなじ 

みえていたときのかたち みえなくなってからのかたち どちらもおなじ  どちらもあたしじしん 

みえなくても みえるんだよ  こころで みているよ


ねえ みる、ってなんだろう  みえる、ってどんなこと?



あたしは みえなくなった ちょうこくか
 

前書きなど

閉じていたまぶたを上げた瞬間、私たちの前にはさまざまな物体や空間が圧倒的な量感で迫ってきます。
見える、という現象は、視力を使ってみている人には当たり前のことです。
「見える」は「見ること」と同じと、ほとんどの人はとらえているのではないでしょうか。では、視力を使って「見る」ことができない人は、「見ていない」のでしょうか。その答えを知る手がかりになれば、という思いからこの本は誕生しました。
本書は、目の難病で視力を失った彫刻家、三輪途道(みわ みちよ)さんをモデルに、詩と三輪さんの彫刻作品で心のありようを表現した絵本です。
彫刻家にとって視力はあって当たり前。なくては成立しないものと私は思っていました。
しかし三輪さんは、見えても見えなくても作品を作り続けています。
木と刃物を使う木彫から、粘土や漆を使った塑像へと表現方法はかわったものの「自分の思いを作品として表現するという原点は何も変わらない」と三輪さんは言います。
私と三輪さんが出会ったのは20数年前。彼女が主宰する木彫教室に生徒として入門したことがきっかけでした。
以後、彫刻の先生と生徒として交流を続けてきましたが、この間、三輪さんの視力は徐々に落ちて、ついに見えなくなりました。
あれほど命がけで木彫と向き合ってきた師が刀を置く、ということに私はショックを受けました。「どんな思いをめぐらせているのだろう」と。その思いをうかがい知ることはできませんが、三輪さんは常に前向きです。

視力で見えなくても、心で見ているから…

三輪さんのメッセージです。

見る、って何なのでしょう。見える、ってどんなことなのでしょう。

本書が、読んでくださった方の心に一粒の種として蒔かれることがあるとしたら、これ以上の喜びはありません。(著者)

版元から一言

木彫の作家として生きてきたあたし。目の病気で次第に視力が衰え、ついに光を失った。彫刻家が視力をなくすことは致命的。でも、彫刻家として、あたしは作品をつくり続けている。
視力をなくしても見えるものがある。そんな世界が確かにある。
見えなくなった彫刻家の心情を温かい文と彫刻家の作品で紡ぐ、新しい絵本のかたち。作家が自分を表現する理由、表現し続ける理由、その根源に迫る一冊である。


推薦の言葉/谷川俊太郎

詩は目に見えない何ものかを言葉でとらえようとする試みです。盲目であることで鋭く深くなり、心はいつか魂と呼ぶしかないものに近づきます。ホメーロスをはじめとする詩人たちの作は、文字・声を通して私たちの魂に届くのです。手で創られ手に触れる三輪さんの創造もまた、魂の生み出した何かだと思います。


裏表紙に記載のQRコードをスマートフォンで読み込むと、本文、あとがきの朗読、作者による絵本の解説を聞くことができる。

著者プロフィール

立木 寛子  (タチキ ヒロコ)  (

1956年群馬県前橋市生まれ。全国紙の記者を経て84年からフリーランスライター。医療・看護分野のルポルタージュ、企業ノンフィクションを中心に手がける。著書『ドキュメント看護婦不足』『こわがらないで・乳がん』『いのち愛して 看護・介護の現場から』『沈黙のかなたから 終末期医療の自己決定』(朝日ソノラマ)。『爺さんとふたり-プレ介護とリアル介護の日々』(上毛新聞社)他

三輪 途道  (ミワ ミチヨ)  (

1966年群馬県下仁田町生まれ。94年東京藝術大学大学院美術研究科保存修復技術専攻修了。木彫作家として同年ガレリアグラフィカbis(東京)初個展。2001年高崎市美術館「リアルなココロぬかづけなココロ上原三千代展」。7年上原三千代から三輪途道に改名。21年富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館「富岡から世界を紡ぐ 三輪洸旗・途道展」他多数。21年『祈りのかたち』(上毛新聞社)を出版(群馬県文学賞・随筆部門受賞)。同年、網膜色素変性症により失明。木彫から粘土や漆を使った塑像の制作を続けている。

追記

『みえなくなった ちょうこくか』を歌詞にまとめなおしたものに曲がつきました。女性の美しい声で絵本の世界を歌い上げています。ピアノバラードが心を揺さぶります。https://youtu.be/7YTLlaKh8Yg

上記内容は本書刊行時のものです。