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授業スタンダード 澤田 俊也(著者) - 人言洞
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授業スタンダード (ジュギョウスタンダード) その展開と教師の反応 (ソノテンカイ ト キョウシ ノ ハンノウ)

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発行:人言洞
A5判
縦210mm 横148mm 厚さ10mm
146ページ
並製
価格 2,000円+税
ISBN
978-4-910917-15-3   COPY
ISBN 13
9784910917153   COPY
ISBN 10h
4-910917-15-2   COPY
ISBN 10
4910917152   COPY
出版者記号
910917   COPY
Cコード
C3037  
3:専門 0:単行本 37:教育
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2024年10月10日
書店発売日
登録日
2024年5月17日
最終更新日
2024年10月4日
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紹介

 本書では,授業スタンダードを一括りに善きものとして盲目的に捉えたり,これを乗り越えることを教師に期待するあまり教育現場の課題や悩みに寄り添いきれなかったりしてきた状況を捉えたうえで、授業スタンダードの展開と教師の反応についての全体像を描き,教育の「スタンダード」や「スタンダード化」における日本の特徴を試論しています。
 さらに,一度は授業スタンダードを作成しながらも,それを見直している自治体の事例を手がかりとして,授業スタンダードに代わる新たな「モノ」支援の可能性を提示しています。

目次

序 章 問題と目的
 第1節 教育における「スタンダード」と「スタンダード化」
 第2節 日本の動向と「授業スタンダード」
 第3節 授業スタンダードに関する先行研究の整理
 第4節 本書の課題と構成
 第5節 本書の意義
第1章 授業スタンダードの内容
 第1節 本章の目的
 第2節 本章の方法
 第3節 授業スタンダードと授業づくりの指導文書の作成状況
 第4節 授業スタンダードのテキストマイニング分析
 第5節 指導文書のテキストマイニング分析
 第6節 本章のまとめ
第2章 授業スタンダードの規範性
 第1節 本章の目的
 第2節 本章の方法
 第3節 成果指標が設定されている事例
 第4節 成果指標が設定されていない事例
 第5節 本章のまとめ
第3章 市区町村における授業スタンダードの作成状況
 第1節 本章の目的
 第2節 本章の方法
 第3節 市区町村における作成状況
 第4節 内容の分類と規定要因
 第5節 規範性の規定要因および内容との関連
 第6節 本章のまとめ
第4章 教師が市区町村の授業スタンダードを受容する程度とその要因
 第1節 本章の目的
 第2節 本章の方法
 第3節 本章の分析結果
 第4節 本章のまとめ
第5章 学校における授業スタンダードの作成状況
 第1節 本章の目的
 第2節 本章の方法
 第3節 学校における作成状況
 第4節 内容の規定要因
 第5節 規範性の規定要因
 第6節 本章のまとめ
第6章 教師が学校の授業スタンダードを受容する程度とその要因
 第1節 本章の目的
 第2節 本章の方法
 第3節 本章の分析結果
 第4節 本章のまとめ
終 章 総合考察
 第1節 本書の知見
 第2節 市区町村と学校における授業スタンダードの実態
 第3節 授業スタンダードにみる日本の特徴
 第4節 授業スタンダードとボトムアップ/トップダウンの再考
 第5節 学校や教師の学びを繋ぐ「モノ」支援の可能性
 第6節 授業スタンダードを超えて
 第7節 本書の限界と今後の展望

前書きなど

はじめに
 本書は,近年の教育界で注目を集めている「授業スタンダード」の動向と,それに対する教師の反応を明らかにするものである。
 授業スタンダードは主に自治体や学校によって作成されており,その動きが急速に広まっている。授業スタンダードの名称は自治体や学校によって異なっているものの,多くの場合には,「めあての提示」「個人学習」「ペア・グループ学習」「まとめ・振り返り」といった授業展開のモデルを示したり,発問・板書の仕方やノートのとらせ方などの具体的な指導方法を解説したりするものである。このような授業スタンダードを目にしたり,あるいは授業スタンダードの作成に関わったりしたことのある読者も少なくないだろう。 授業スタンダードは,それが授業実践に及ぼす影響をめぐって,物議を醸している。授業スタンダードを望ましいものとして捉える立場は,授業スタンダードを頼りにすることで,授業力量に不安を感じる教師であっても一定の授業実践を保証できると論じている。その一方で,授業スタンダードに懐疑的な立場は,教師が授業スタンダードに依存することで,授業実践が画一化したり,授業における子どもの姿が見えにくくなったりする可能性があると指摘している。しかしながら,いずれの主張も,なぜ自治体や学校が授業スタンダードを作成するに至ったのか,また作成した理由によって授業スタンダードの特徴に違いがみられるのかについては,ほとんど検討してこなかった。また,授業スタンダードを積極的に活用している教師と授業スタンダードに反発している教師の両方がみられるが,なぜそのような受けとめ方をしているのかについても説明されてこなかった。つまり,授業スタンダードの是非について,ともすれば論者の主義や主張を強く打ち出すことに注力してしまい,議論の前提となる実態把握が十分になされてこなかったのである。そのため,従来の議論が,授業スタンダードのどの側面を取り上げて賛成,あるいは批判しているのかが不明瞭であった感は否めない。また,そのことによって,授業スタンダードを一括りに善きものとして盲目的に捉えたり,もしくは授業スタンダードを乗り越えることを教師に期待するあまりに,教育現場の課題や悩みに寄り添いきれなかったりしてきたように思われる。
 こうした先行研究の状況を受けて,筆者は,授業スタンダードの是非を論じるためには,授業スタンダードがどのように展開され,それを教師がどのように受けとめているのかを明らかにすることが急務であると感じてきた。そして,このことを明らかにするために,大学院生の頃から現在に至るまで, 8年間にわたって研究を積み重ねてきた。本書には,質問紙調査やインタビュー調査など,多様な方法を用いた研究が収録されている。得られた知見を踏まえて,本書では,授業スタンダードの展開と教師の反応についての全体像を描き,教育の「スタンダード」や「スタンダード化」における日本の特徴を試論した。さらに,一度は授業スタンダードを作成しながらも,それを見直している自治体の事例を手がかりとして,授業スタンダードに代わる新たな「モノ」支援の可能性を提示することができた。本書が,日々の授業づくりに取り組む教師,彼らを支援する教育行政関係者や研究者など,多くの方々の目に留まり,授業実践や教師の学びに対する支援の発展に寄与できれば幸いである。

おわりに
 授業スタンダードの研究を始めてしばらくした頃,大阪への赴任が決まった。着任した勤務校の業務で,大阪府内のとある中学校を訪れた。その中学校の校門に着いてすぐ,生徒たちの荒れた様子に衝撃を受けた。制服着用が基本の学校であるにもかかわらず,私服を着た5 人ほどの男子生徒が, 1 時間目の授業中に校門の上に腰掛けていた。筆者が校門の前まで行くと,その男子生徒たちは校門の上から筆者を睨みつけるように見下ろした。年齢がひと回り以上も下の中学生を前に強い戸惑いを感じたのはこれが初めてだった。
 その後,校長先生が校内を案内してくださった。校長先生とともに渡り廊下を歩いていると,先ほど校門で筆者を睨みつけていた男子生徒の一部が校長先生の腹部を通りすがりに無表情で突いた。校長先生も戸惑いの表情を隠せずにいた。さらに,案内された先で授業を見学すると,机に臥して寝ている生徒,近くの友人とおしゃべりに興じる生徒,周囲の状況に我関せずと授業を受けている生徒など,生徒たちの様子はさまざまであり,お世辞にも授業が成り立っているとは言い難い状況であった。大阪に赴任する前から大阪の教育現場の厳しさを耳にしてはいたが,これほどまでに深刻な状況があるのかと言葉を失った。校長先生は「自慢できることではないんですが,この学校は関西のなかでも3本の指に入るほど荒れている学校です」とおっしゃっていた。
 この学校の困難さも脳裏に焼き付いて離れないが,それよりも印象深く思い出されるのは校長先生の教育にかける思いだ。校長先生は当該校の校長となって2年目であったが,初年度は心労が絶えなかったという。数年前までは校舎内を自転車で走り回る生徒がいたり,授業妨害が日常的に起こったりしていたそうだ。校長先生は「赴任して数ヶ月でチョークを持つ手が上がらなくなったんです」と話されており,当該校の校長として立ってこられた苦心は計り知れない。筆者は授業スタンダードが国内外の困難な学校や地域において活用されていることを思い出した。そして,授業スタンダードに懐疑的だった筆者ですら,当該校のような厳しい状況にある学校においては,授業スタンダードが救いの手になるのではないかという考えが頭をよぎった。校長先生も近隣の自治体で授業スタンダードが作成されていることに触れ,「やっぱりうちでも授業スタンダードを作った方が良いのかな」と寂しそうな表情で溢された。しかし,その後すぐに「でも授業スタンダードに頼るんじゃなくて,授業の面白さで生徒たちを振り向かせたいんですよね」ともおっしゃった。
 この校長先生の言葉に接し,授業スタンダードに答えを求めることは簡単なことだが,そこに答えはないと感じた。当該校が置かれている深刻な状況では,授業スタンダードに頼るほうが何倍も簡単なことであっただろう。しかし,それでも授業スタンダードに頼るのではなく,子どもたちが真に面白いと思える授業をつくれるのは,子どもたちの目の前にいる教師自身であるという気持ちを強く抱いておられた。こうした校長先生の教育にかける思いを受け,筆者は授業を諦めたくないという教師たちの心根を守るためにはどうすれば良いのか真剣に考えたいと思った。またそれと同時に,教育現場をどう支援するのか,支援する側に求められる責任の重さを実感した。当時の筆者は,校長先生の話にただ相槌を打つことしかできなかったが,本書を通して教育現場に伴走する教育行政・教育政策とは何なのかを筆者なりに考えることができた。教育現場の声をうまく研究の俎上に乗せられなかったという忸怩たる思いは残るが,本書の試みが教育現場でいまも悩み葛藤する教師たちの支えに少しでもなれば幸いである。

版元から一言

 本書は,日々の授業づくりに取り組む教師,教育行政関係者や研究者などに向けて,著者が長年にわたり授業スタンダード(「めあての提示」「個人学習」「ペア・グループ学習」「まとめ・振り返り」といった授業展開のモデル)に関するアンケート調査・分析結果等をエビデンスとして精緻に考察した好著です。

著者プロフィール

澤田 俊也  (サワダ トシヤ)  (著者

大阪工業大学教職教室准教授
東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(教育学)。大阪工業大学教務部教職教室講師を経て,2024年から現職。著書に『1958年小学校学習指導要領の改訂過程』風間書房。

上記内容は本書刊行時のものです。