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近代博多興行史
地方から中央を照射する
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2022年2月22日
- 書店発売日
- 2022年3月25日
- 登録日
- 2022年2月18日
- 最終更新日
- 2022年5月27日
紹介
マイクロフィルム版の福岡の新聞や、各地に散在する芝居興行番付や記録を博捜・蒐集・整理し、幕末から明治年間の興行の一覧と番付一覧を基礎資料として、博多を中心とした九州北部地域の興行史をはじめて一冊に纏める。
その史料を元に、興行を支えた人・物についての論説を加えた、生きた興行史・読める興行史となっていて、明治の博多の興行実態がわかる。
また、博多生まれの川上音二郎がメディアに最初に登場した年月に関する論争に決着をつけるなど、史料に根ざした研究の成果を収める。
目次
近代博多興行史 目次
はじめに
研究篇
第一部 総論 地方興行史概説
第一章 劇場と興行
第一節 武田家と興行
武田政子氏との出会い 武田一族 与吉の芝居道楽
第二節 劇場通史
劇場一覧 博多劇場史の展望
第三節 興行を支える諸制度
請元 請元としての武田与吉 劇場経営者と劇場
第二章 巡業の実態
第一節 初日から千秋楽
町廻り(顔見世) 式三番引き抜きだんまり 替り狂言から千秋楽 番付
第二節 衣裳・小道具・大道具 衣裳・小道具 大道具 劇場ごとの規格
第三節 交通機関の発達と巡業
鉄道敷設前 明治二一年の事例 巡業ルート
第二部 博多興行通史
第一章 伝説の劇場
第一節 宝玉舎をめぐって 宝玉舎 柳町大芝居と永楽社 集玉社
第二節 西門橋教楽社と市川右団次 西門橋教楽社の存在 市川右団次 明治一〇年、一一年の右団次
第三節 鳥熊芝居および集観舎
鳥熊伝説 集観舎のお琴新兵衛
第二章 「社」の時代
第一節 教楽社開場
小田部博美と井上精三の回想から 中村駒之助
第二節 劇場に電灯ともる
大阪中座 尾上多賀之丞 対抗する永楽社
第三節 中村鴈治郎
第三章 日清戦争前後
第一節 我童・福助招聘合戦
明治二五年の状況 我童の招聘ならず 時助・右左次一座から左升一座
第二節 新演劇の興隆
日清戦争劇ブーム 博多の新演劇 際物としての新演劇
第三節 教楽社・永楽社の危機
内紛 教楽社売買問題 東京俳優の招聘計画
第四章 混乱・低迷
第一節 北九州・筑豊の活況
若松旭座開場 小倉旭座・小倉常盤座・直方日若座 博多の地盤沈下 運動場
第二節 博多の大劇場計画
「博多演劇会社」あるいは「福博演劇会社」 教楽・栄楽両劇場の対応
第三節 コレラ
コレラ発生 興行解禁と教楽社・栄楽座の迷走
第五章 諸芸の開花
第一節 映画伝来
自動写真・活動写真 「シネマトグラフ」と「ヴァイタスコープ」 再び教楽社 活動写真の進歩 日露戦争と活動写真 日露戦争以後
第二節 女義太夫
博多の寄席 女義太夫
第三節 浪花節
宮崎滔天と桃中軒雲右衛門 「浮かれ節」から「浪花節」へ 日露戦争と桃中軒雲右衛門
第四節 子供芝居
第六章 「座」の時代到来
第一節 明治座と寿座
開場 武田与吉の「座」の時代 教楽社退転
第二節 新しい芝居
片岡我当の「桐一葉」 実川延二郎 尾上菊五郎・市村羽左衛門・尾上梅幸
第三節 鴈治郎と巌笑、猿之助と八百蔵 嵐巌笑 中村鴈治郎二度目の来演 市川八百蔵と市川猿之助ほか
第七章 「劇場」の時代
第一節 博多座
九州大学誘致と遊廓の移転 博多電気軌道 博多座の構想 左団次・喜多村緑郎
第二節 九州劇場
栄座 九州劇場開場
第二節 松竹の全国制覇と大博劇場への道
第三部 川上音二郎
第一章 名古屋の川上音二郎
第一節 川上音二郎の出発点
なぜ名古屋か 明治一五年名古屋説をめぐって
『名古屋新聞』 『愛知新聞』の新出記事
第二節 川上音二郎と立憲政党
川上の所属 甲田良造をめぐって 立憲政党という組織
第三節 丁年問題その他
渡部虎太郎 生活者としての演説遣い
第二章 博多の川上音二郎
第一節 寄席芸人時代
前史 明治二一年教楽社・明治二二年開明舎
第二節 新演劇
明治二六年 教楽社
第三節 正劇
明治三七年 教楽社
第四節 円熟
明治四〇年 教楽社 明治四三年 博多座 明治四四年 明治座
第三章 終章にかえて
第一節 「みもの、ききもの」をめぐって
第二節 地方興行史研究の展望
新演劇の展開 ジャンルの境界線
引用文献一覧
資料篇
博多興行番付目録
博多興行年表 明治篇
初出一覧
あとがき
索引1
前書きなど
はじめに
日本近代演劇史(または興行史)は、永く東京の大劇場で上演される演劇を主な対象としてきた。
『日本演劇史』、『近世日本演劇史』、『明治演劇史』の三部作を書いた青々園伊原敏郎は、『明治演劇史』の最終章「第四編 京阪の劇壇」に次のようにいう。
更に明治の革新によつて東京が政治や文化の中心となつたため、そこの劇壇はます〳〵発展すると同時に、京阪のそれは終に頽廃してしまつた。随つてわたしの演劇史が、これまでは京阪を先きにして、その後に江戸を述べたに拘はらず、明治に入っては、専ら東京を詳く説いて、最後に上方をアツサリ書かうと思ふ。(伊原 一九三三:七一五~七一六頁)
「上方をアツサリ書かうと思ふ」という伊原の態度表明は、その続編ともいうべき『団菊以後』において既成事実となった。伊原は、明治三六年(一九〇三)の五代目菊五郎・九代目団十郎の死に対する喪失感を隠そうとしない。上方はもちろん、東京にすら「団菊」の後継を見いだすことができず、「団菊以後」ならぬ「歌舞伎以後」とばかりに新演劇(のちの新派・新劇)を大きく採りあげる。その内容はやはり東京中心である。
こうした伊原の態度は後続の研究に無批判に継承され、いわば「東京大劇場演劇史」となって展開してゆく。すなわち、「東京」の「大劇場」における演劇こそが同時代人に広く享受され、時代の空気を代弁しているかのような印象を意識無意識にかかわらず与え続けたのである。演劇は映画にとって変わられる大正期までは最大のメディアであった。またこの時期、東京はかつてない中央集権都市であり、「文明の配電盤」(司馬遼太郎 一九九四:一頁)でもある。したがって特に明治を対象とした「東京大劇場演劇史」の思潮は近代文化史あるいは近代文学史全体を覆ってきた。
「東京大劇場演劇史」の代表的著作には他に次のようなものがある。
秋庭太郎『日本新劇史』上下、理想社、一九五五~五六年
河竹繁俊『日本演劇全史』岩波書店、一九五九年
松本伸子『明治前期演劇論史』演劇出版社、一九七四年
松本伸子『明治演劇論史』演劇出版社、一九八〇年
いずれも必読の研究書だが、「東京」の「大劇場」での演劇を対象としている点に変わりはなく、「日本近代演劇史」と等価関係を結んでしまった点に不満が残る。
ひとり高谷伸『明治演劇史伝 上方篇』(一九四四)のみが、京阪劇壇の動向を網羅的に語って異彩を放った。
むろん「東京」の「大劇場」にも未解決の問題は山積しているから、「東京大劇場演劇史」ばかりが責めを負うにはあたらない。むしろ問題の解決のために「東京大劇場演劇史」の境界線は近年確実に広がりつつある。というより破られつつあるというべきか。
たとえば大笹吉雄『日本現代演劇史』(一九八五~二〇〇一)の扱う領域はより網羅的であった。
渡辺保『明治演劇史』(二〇一二)は、「団菊」とりわけ団十郎の舞台がなぜ面白かったのかを見極めるために、逆に周辺芸能である能や文楽に執拗に言及する。
また神山彰は、『近代演劇の来歴─歌舞伎の「一身二生」』(二〇〇六)、『近代演劇の水脈』(二〇〇九)等において、「団菊」の流れに棹ささない役者にも目配りした演劇史の再編を試みている。
さらに下記三著作は「東京大劇場演劇史」への正面からの異議申立であった。
佐藤かつら『歌舞伎の幕末・明治─小芝居の時代』ぺりかん社、二〇一〇年
日置貴之『変貌する時代のなかの歌舞伎─幕末・明治期歌舞伎史』笠間書院、二〇一六年
寺田詩麻『明治・大正 東京の歌舞伎興行─その「継続」の軌跡』春風社、二〇一九年
佐藤は書名の示すごとく小芝居を対象とした。日置はいわゆる「B級作品」に光をあてた。寺田は関西の演劇史に多くの紙数を割いている。
こうした一連の「反(非)・東京大劇場演劇史」によって、日本近代演劇史は徐々にその全貌を露わにしつつあると言ってよい。
そうなると「反(非)・東京大劇場演劇史」にとって残された唯一の題材は、地方演劇史(興行史)ということになろう。
筆者は武田政子・狩野啓子との共著で「博多興行史 明治篇」全一〇回(二〇〇二~二〇〇九)を連載し、編著『芝居小屋から 武田政子の博多演劇史』(二〇一八)を刊行した。第一部に詳述するが、武田政子氏(二〇〇三年没)は博多の興行に深く関わった武田一族の末裔であり、自身も一時博多最大の劇場・大博劇場の経営に携わった経歴がある。のみならず、実際に見聞きした大正以降の興行と舞台の実際を、切れば血の出るような文章で書き残した。その一部が遺著『芝居小屋から』である。
本書の最大の特徴は、武田氏からの聞き取り調査を含んでいる点にある。武田氏の著書『芝居小屋から』からも多大な示唆を得た。他の都市にこうした人物が見出せない以上、本書は唯一無二の地方興行史となる。
博多は九州の中核都市のひとつであったが、他の地方都市同様、自前の劇団を持たず、巡業と地方独自の諸芸(にわか・浪花節等)によって興行を賄ってきた。また、壮士芝居のように中央から伝播した芸能が独自の変容を遂げる例も見受けられる。したがって地方興行史は巡業史と地方文化史の融合体である。さらに付け加えるならば、本書のごとき営みによって地方から中央を照射することが可能になり、地方をも包含した大規模な日本近代文化史が準備されるであろう。
本書は研究篇の第一部・第二部・第三部、および資料篇(二種類)をもって構成する。すなわち第一部では総論として博多の劇場の消長を概観し、地方独自の興行制度や巡業の実態についても確認しておく。
各論の第二部は、概ね編年体にて記した。「近代」と銘打ってはいるが、本書の取り扱う範囲は主に明治である。明治末年には松竹の全国制覇が進み、当然それは博多にも及ぶ。大正元年(一九一二)、松竹の俳優の配給先として九州劇場が開場し、大正九年(一九二〇)の大博劇場開場によって松竹の配給体制は完成をみるのである。松竹の全国制覇によって興行の形態は劇的に変化するので、それ以後は本書の目論む「地方興行史」としては重要でない。また、大正以降の博多独特の興行形態については、すでに『芝居小屋から』に詳述されるので、屋上屋を架す必要もなかろう。なお博多出身の川上音二郎に関しては別に章を立てた。
資料篇の「博多興行番付目録」と「博多興行年表 明治篇」についてここで少し述べておく。
本書を編むにあたって資料としたのは、まず芝居番付類である。ただし東京・京都・大阪の大都市に比して、その数、はなはだ心許ない。福岡市博物館蔵の「芝居番付」二一五点と純真学園蔵(中野三敏氏旧蔵)の「博多興行芝居番付」二七点、その他の所蔵機関あるいは個人蔵の数点が現存するのみである。地方興行の番付ゆえ、年月あるいは上演地不明のものも少なからず混在している。しかしながら、やはり番付は一級資料であり、まだ多くの人の目にも触れていないので、本文で適宜引用すると同時に、資料篇として掲出した次第である。
もうひとつの資料篇「博多興行年表 明治編」についてもここでことわっておかねばならない。
国立劇場近代歌舞伎年表編纂室による『近代歌舞伎年表』(八木書店)は大阪篇全九巻(一〇冊)、京都篇全一〇巻別巻一の刊行を終了し、現在名古屋篇を刊行中である。同シリーズは、大阪篇が毎日出版文化賞特別賞を受賞するなど評価の高い刊行物だが、名古屋篇の後の予定は立っていない。当初は神戸篇・金沢篇の構想もあったようだが、京都・大阪・名古屋に比して都市の規模が小さく、資料も各段に少ないゆえ、同様の年表を編むことは難しいと思われる。事情は博多篇についても同様である。したがって博多篇が日の目をみるとしたら、それは本書のごときかたちで公開するよりほか方法がない。これをもって『近代歌舞伎年表』シリーズの一端をなすものと位置づけたい。ただしその量は厖大で、一冊の書籍に収録できる紙数をはるかに超えている。そのため博多の興行の全体像を見渡すことができる情報のみを年表として本書に掲げた。今後、WEB上などで全データを公開することを期したい。
ところで番付は「一級資料」であると先に述べたが、番付以上に有力な資料は新聞記事である。これは、番付は現存数が少なく、その穴を新聞記事によって埋めることができるという意味だけではない。番付はあらかじめ大阪で印刷されるため、その後一座の構成に変更が生じた場合、即座の対応が難しい。この点が巡業における番付の資料としての危うさであり、新聞記事はこれを補ってくれるのである。
福岡・博多には自由民権系の『福岡日日新聞』と玄洋社系の『福陵新報』のち『九州日報』の二大新聞があり、この二紙を悉皆調査することにより、興行の実態を把握することが可能となった(両紙は一九四二年に国策により合併し『西日本新聞』となる)。
新聞記事は有力な資料だが、現在の新聞に比して報道の速度は遅く、誤記も多い。また、よほどの大一座でないかぎり、初日から千秋楽までの動向を追うことも難しい。しかしこうした事情を勘案してもなお、その行間を読むことで博多の興行史は鮮明に目の前に現れてくると信じる。
新聞記事の引用にあたっては、次の略称を用いることとする。
日……『福岡日日新聞』(明治一三年四月創業)
陵……『福陵新報』(明治二〇年八月創業)
九……『九州日報』(明治三一年五月、『福陵新報』から改称)
『福岡日日新聞』の前身である『筑紫新聞』(明治一二年九月~明治一三年四月)その他については略称を用いない。
新聞記事および資料・文献の引用に当たっては、旧字体は新字体に改め、適宜空白を入れて通読の便とした。ルビは必要なもののみ残し、筆者の判断で新たに付したルビは( )内に収めた。新聞記事の閲覧は当初マイクロフィルムを用い、のち西日本新聞社によるCD‒ROMおよびDVDにて再度閲覧をしている。しかしながら難読不正文字も甚だしく、これについては一字の場合□にて、二字以上の場合は[ ]にて記した。文字が想像できるものは[ ]内に筆者の判断にて補った。
また、引用文中、筆者によって注釈を加えた部分は〔 〕にて補っている。
演目名は正式外題、通称に拘わらず、「 」にて表記した。
閲覧したCD‒ROMおよびDVDは左記のとおりである。
西日本新聞社発行・富士マイクロ株式会社製作『福岡日日新聞 CD―ROM版』および西日本新聞社発行『福陵新報・九州日報 DVD』。
上記内容は本書刊行時のものです。