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欧米の隅々 市河 晴子(著) - 素粒社
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欧米の隅々 (オウベイノスミズミ) 市河晴子紀行文集 (イチカワハルコキコウブンシュウ)

文芸
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発行:素粒社
B6判
縦186mm 横132mm 厚さ23mm
重さ 371g
400ページ
上製
定価 2,200円+税
ISBN
978-4-910413-08-2   COPY
ISBN 13
9784910413082   COPY
ISBN 10h
4-910413-08-1   COPY
ISBN 10
4910413081   COPY
出版者記号
910413   COPY
Cコード
C0095  
0:一般 0:単行本 95:日本文学、評論、随筆、その他
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2022年10月28日
書店発売日
登録日
2022年5月17日
最終更新日
2023年3月15日
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書評掲載情報

2023-10-20 アンド プレミアム  12月号
評者: 山内マリコ
2023-04-04 日本経済新聞    夕刊
評者: 斎藤真理子
2023-02-10 PHPスペシャル  3月号
評者: 豊﨑由美
2023-02-04 信濃毎日新聞
評者: 松村由利子
2023-02-01 みすず  1・2月号
評者: 川端康雄
2023-01-25 朝日新聞    朝刊
評者: 鴻巣友季子
2023-01-14 婦人公論  2月号
評者: サンキュータツオ
2022-12-26 Oggi  2月号
評者: 石井千湖
2022-12-24 山陰中央新報  
評者: 豊﨑由美
2022-12-20 東京新聞/中日新聞    夕刊
評者: 豊﨑由美
2022-12-17 毎日新聞  朝刊
評者: 鹿島茂(仏文学者)
2022-12-11 熊本日日新聞
評者: 佐々木幹郎
2022-11-17 週刊新潮  11月24日号
評者: 豊﨑由美(書評家)
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重版情報

2刷 出来予定日: 2023-03-20
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第2刷より帯新装版

紹介

渋沢栄一の孫にして、稀代の文章家であった市河晴子――その代表的著作である『欧米の隅々』(1933)『米国の旅・日本の旅』(1940)から一部を精選。注・解説・年譜・著作目録等を付す。
編者は、フランス文学者でプルースト『失われた時を求めて』個人全訳刊行中の高遠弘美。

没後およそ80年を経てよみがえる、激動の世界を巡ったひとりの女性の、弾むようないきいきとした旅の記録。

【推薦文】
常識を鵜呑みにしない精神の柔軟さと驚くべき観察眼。
対象の弱みを鋭く突いてなお嫌味にならない毒のあるユーモア。
緩急自在の文体で描かれる、潑溂とした知的な道中のなかで、
いま、「隅々」という新しい言葉の地誌が生まれる。
――堀江敏幸

いや凄いね、これほどの才能が昭和初期の日本に出現していたとは!
――鹿島茂(毎日新聞)

46歳で逝ったのが惜しいにもほどがある。もっと生きて戦後の日本と世界を見て書いてほしかった。渋沢栄一の孫娘だけれど、そんなのどうでもいい。晴子は晴子として十二分に素晴らしい。
――豊﨑由美(共同通信配信)

今回の出版に繫がるまでのエピソードがまたすごいので、ぜひ「はじめに」と「解説」も読んでいただきたい。奇跡の一冊といっていいでしょう。
――サンキュータツオ(婦人公論)

読みはじめて2行めで、門司港で積荷をする起重機の様子が「ジラフが大きな稲荷寿司を啣え込むよう」と描写されていて、いきなり痺れる。8か月にもわたる長旅の、まだ、たった2行めでしかないのに。
――斎藤真理子(素粒社note)

目次

はじめに 高遠弘美


欧米の隅々


初春の支那

黄海にて 
哈達門の朝市
排日瞥見
食べ物
万里の長城

ロシヤを横切る

シベリヤの入口
淡雪のモスクバ
憂さ晴らしして

花の都パリ

パリの第一印象
芝居とレビュー
セーヌの川舟
ベルギーとオランダ

イギリスとアイルランド

ドーヴァー海峡を渡って
ウェールズ
アイルランドの南と北
湖水地方
英国の春の行事
ロンドンの日記から(抄)
近郊めぐり(抄)

スペインとポルトガル

スペインに入る
マドリッドにて
闘牛を見る
セビリヤ風景
アルハンブラを見に

北欧めぐり

デンマークの三日
スカンジナビヤを横切る
東プロシヤからポーランドまで
二度目のベルリン

中欧諸国とイタリー

ユングフラウを見に
聖き山々(抄)
永遠の都ローマ(抄)
ナポリからベニスまで(抄)
ウィーンとプラハ

バルカン半島の初秋

ブルガリヤ
スタンブール(抄)
ギリシャ懐古

エジプトの驚異

ピラミッドに登る

帰国

乗船まで
デッキチェヤにて
印度洋の焦燥
その後


米国の旅・日本の旅


米国の旅

第一印象
グランド・キャニオン
ボールダー・ダム

日本の旅

緑の旅
湯のある旅 南の湯 北の湯
スキーのあけくれ


解説 高遠弘美

市河晴子年譜
市河晴子著作目録
編者補記

原本目次

前書きなど

はじめに

高遠弘美


 最初に私が市河晴子の名前を知ったのはまったくの偶然でした。
 二〇〇六年六月のこと。当時、明治大学に勤めていた私は偶々入った神保町の古本屋の棚に『欧米の隅々』なる本を見つけ、何気なく手に取って適当にページを開きました。それから会計をするまで三分も経っていなかったような気がします。浜の真砂に手を差し入れたら思いがけず貴重な宝を探し当てたような感じでした。
 著者として背表紙に書かれていたのは、市河三喜と晴子でした(以下、基本的に敬称を省きます)。フランス文学を専攻したので畑は違いますが、著名な英語学者・言語学者として斯界に名を馳せた市河三喜の名前はもちろん知っていました。エッセイもいくつか読んでいたと思います。一九九〇年から十年間在籍した山梨県立女子短期大学で同僚だった市河三次教授が、江戸時代の儒学者市河寛齋の曽孫、書家市河米庵の孫である市河三喜の縁戚であることは聞いていましたから、三喜の名に惹かれて手に取ったのかもしれません。そのときはまだ晴子が私にとってこれほど(たとえば、明治大学の最終講義で晴子の文章の魅力を説くまでに)大切な文学者になるなど予想もしていませんでした。
 その日、帰宅してからじっくり『欧米の隅々』(一九三三年)を読み始め、最初の「はしがき」と「旅程と感想」、最後の「ドイツよりアメリカへ」が夫の市河三喜(一八八六-一九七〇)の筆になる以外、つまり中心をなす六百ページ余りは妻の晴子(一八九六-一九四三)が書いた旅行記だということがわかりました。
 と言っても、晴子が夭逝した長男三栄の後を追うかのごとく世を去ったのちに作られた二人の追悼文集『手向の花束』(私家版、一九四五年)を入手して読んだとき、晴子に関する三喜の以下の言葉に腰を抜かすほど驚いたのですけれど。

 漢文調の文章(「欧米の隅々」の巻頭に載せた「旅程と感想」の如き)も書けば或は時々私の代筆をする時は打つて変つた文体を使ふこともある。〔略〕武藤長蔵君の還暦記念論文集〔正しくは「武藤教授在職三十年記念論文集」〕に「長崎と米庵及び寛齋」の一文を寄せたが実はあれは晴子の文章で〔略〕紀行・随筆・スケッチ以外にかういふ歴史物を書く筆も持つてゐた。

 「昭和六年三月二十日、妻同伴にて東京を発し神戸より乗船、中華民国天津に向ふ」
 こんな調子で書かれた「旅程と感想」だけでなく、市河三喜名義で書かれたいかにもそれらしい論文のうちにもじつは「妻」の晴子が書いた文章が混じっていたとはさすがに気がつきませんでしたが、本書ではそれは収録していません。夫の代筆をする晴子の才筆を感じて頂くよりは、ひとつでも多く、晴子自身の躍動感ある言葉に接して頂きたいと考えたからです。
 市河晴子の文章に魅了された私は、単行本未収録作品も含めて可能な限り集めるとともに、晴子そのひとについて調べてゆきました。
 その結果、晴子が渋沢栄一の孫娘であること、法学者穂積陳重と栄一の長女歌子の三女であること、何冊も傑作と評すべき本を書いていること、『渋沢栄一伝記資料』に収められた興味深い二十余りの文章も晴子によることなどがわかりました。
 晴子については巻末の解説でさらに詳しく書きましたので、ここでは本書の内容について簡単に説明をしておこうと思います。
 一九三一年三月、日本人初の東京帝国大学英文科教授として活躍していた市河三喜はカーン海外旅行財団から選ばれて欧米諸国の実情視察の旅に出ます。妻の晴子も同道します。次男の三愛を一九二六年に亡くしていた夫妻でしたが、長男の三栄(一九一七年生まれ)、長女の三枝子(一九二二年生まれ)を、十年親しく面倒を見てくれていた「女中」に託した上での出発でした。晴子はこう書いています。仮名遣いと漢字を現代風に改めて引きます。

 私は三喜さんに「いっしょに行こうよ」と云われた時、「子供には相談してから定めるわ」と子供たちの室に行った。何だかくどくどと話して「父さんは一年間行く、母さんは冬までに帰ろう。八ヶ月の留守をしてくれるか」と尋ねた。「行くがいいやね」と同音に云って、三栄は「や、もう英語講座だぞ」と二階へ上って行った。突然の話にまぎれて、時間を忘れたりせぬ平静な調子が、いつもの栄ちゃんらしい。三枝子の方も「私もお勉強だ」と隣室へ行ったが、まだ十歳だし鋭敏な子だから、独りになってから悲しくでもなりはせぬかと思った途端に、唐紙をガラリと開けて、「ねえ。母様が洋行するのが世の中のためになるなら、一年行って来たらどう? 三枝子だって母様が偉くなるほど都合がいいんだから。八ヶ月よか一年行きゃあ、それだけぶんたくさん偉くなるでしょ」と云った。けなげなことをと思うべきなのに、その前に私は「オヤ私は今、世の中のためになんてそんな途方もない大風呂敷を拡げたかしら」と驚き、何と云ったかが思い出せぬので「ははあ、私も上っているわい」と顔を赤らめたのだった。

 如何でしょう。この伸びやかさが晴子の本領の一つなのですが、十歳年上の夫のことを「三喜さん」と名前で書く晴子の自由闊達で率直な言葉遣いは、平等でしかも互いへの敬愛に満ちた気持ちのよい夫婦のありようを示しているのではないでしょうか。博大な教養に支えられた喚起力あふれる文体は言わずもがな、男女平等を地でゆくこうした晴子の言葉じたいがこの旅行記の風通しをひときわよいものにしているというのが最初に私が感じた印象でした。
 晴子の書いた旅行記は、Japanese Lady in Europe というタイトルでロンドンやニューヨークの書肆から刊行もされ版を重ねてたいへんな反響を呼びます。
 さらに、一九三七年に勃発した日中戦争に際し、いわば日米親善の民間外交を託されて単身渡米したときの経験をもとに綴られた旅行記に日本国内の紀行文を合わせて刊行された傑作『米国の旅・日本の旅』(一九四〇年、四四四ページ)も同様に、英訳されて出版されました。

 本書は紙数の関係上『欧米の隅々』と『米国の旅・日本の旅』からあえて選んで一本に纏めたものです。いずれも甲乙つけがたい章から選ぶのは至難の業でした。ただ稀代の文章家だった市河晴子が綴ったみごとな紀行文のおおよそはわかるのではないかと思います。そこには女性の正当な権利を主張する熱き言葉も鏤められ、性を異にする私自身も叱咤激励される思いを何度も味わいました。現代にあって、もっとも必要とされる言葉はたとえば市河晴子から発せられていたのではないか。そんな気がしてならないのです。晴子の言葉はそれほど近くにあって二十一世紀を生きる私たちを慰藉すると同時に鼓舞し続けています。耳を傾けるのは今からでも遅くありません。

版元から一言

素粒社noteにて「【書評シリーズ】『欧米の隅々 市河晴子紀行文集』を旅する」公開中!
「理知と無心」小津夜景[評]
「絢爛たる細部、あるいはチョコチップクッキー」斎藤真理子[評]

著者プロフィール

市河 晴子  (イチカワ ハルコ)  (

1896年12月21日東京生まれ。法学博士穂積陳重と歌子の三女。歌子は渋沢栄一の長女で歌人。
19歳で英語学者市河三喜と結婚。二男一女をもうけるが、1926年には次男三愛を、1943年には長男三栄を喪い、悲しみのあまり病臥ふた月。同年12月5日、他界した。享年46。
幼少より才覚を謳われ、快活で正義感が強く人々から慕われた。名文家としても知られ、三喜に同行した欧米視察の旅からは『欧米の隅々』(1933)が、1937年、日中戦争勃発後、民間外交を託され単身米国に渡った経験からは『米国の旅・日本の旅』(1940)が生まれた。英訳もされた上記二冊の他に『愛ちやん』(1927)。単行本未収録作品も多い。

高遠弘美  (タカトオ ヒロミ)  (

1952年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。フランス文学者。明治大学名誉教授。著書に『プルースト研究』『乳いろの花の庭から』『物語パリの歴史』『七世竹本住大夫 限りなき藝の道』。訳書にプルースト『消え去ったアルベルチーヌ』『失われた時を求めて』、ロミ『完全版 突飛なるものの歴史』『悪食大全』『乳房の神話学』など多数。編著に『矢野峰人選集』『七世竹本住大夫 私が歩んだ90年』。共著多数。

上記内容は本書刊行時のものです。