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目覚めの力 ー悟りと死が教える人生の目的 岩城 和平(著) - 蓮華舎
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目覚めの力 ー悟りと死が教える人生の目的 (メザメノチカラ サトリトシガオシエルジンセイノモクテキ)

哲学・宗教
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発行:蓮華舎
四六判
縦188mm 横127mm 厚さ23mm
288ページ
上製
定価 2,900円+税
ISBN
978-4-910169-09-5   COPY
ISBN 13
9784910169095   COPY
ISBN 10h
4-910169-09-1   COPY
ISBN 10
4910169091   COPY
出版者記号
910169   COPY
Cコード
C0010  
0:一般 0:単行本 10:哲学
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2024年3月10日
書店発売日
登録日
2023年12月22日
最終更新日
2024年5月13日
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紹介

「目覚め」てはじめて、私たちは本当の経験をすることができる。
圧倒的な直観的言語化力と経験値によって描き出す、意識の「目覚め」とは――。

「悟りも死も、この生というマーヤの連続を断ち切り、真理に触れる経験であることには違いがありません。私が覚悟し、私の認識を神のものとするとき、神が私を通して働き、すべてが神の力によって展開するのです。そうすれば、私たちを取り巻くこの生死というテーマを完全に超越することができるのです」(本文より)

『恩寵の力』『母の力』に続く、三部作の最終作にして著者の真骨頂である「目覚め」にフォーカスがなされた本作は、本来は言葉で表わすことが不可能である、目覚めの最終形態である、悟り・神といった絶対的な意識状態について、著者の卓越した言語化能力によって肉迫するとともに、魂に直接作用し、理解を促す言外のエネルギーに満ちたものとなった。

インドやチベットで多種多様な非日常的経験を積み、自らが「目覚め」を体現している著者の体験から来る叡智を以て語られる、悟りと死、その二つの共通点を巡る記述は、古典書を紐解くようなものでもあり、いまだかつて描かれたことのない壮大な宇宙の神秘に読者を誘うものでもある。

長らく開催されてきた著者の勉強会等での質疑応答から厳選された問答も収載されており、著者独特の人間的な愛の溢れる語り口で、修道者たちの目覚めを呼び覚まし、現代を生きるための力強い導きを与えてくれるものである。

これを以て三部作の最終作となるが、三作が相互に補い合って完成する形となっている。
求道者にはぜひ手に取って頂きたい、王道の傑作集である。

目次

はじめに

【第一部 目覚めて生きる】

Ⅰ 目覚めの力
  1真の目覚め 2現代への福音

Ⅱ 悟りと死
  1死に対する理解 2生と死の超越 

Ⅲ 質疑応答
  1悟りと晴天 2問い在るところに答えが在る
  3識別力を以て観る 4大きな恩寵の前で自己を棄てる

【第二部 究極の答え】  

Ⅰ 神
  1ただひとつの答え 2真の自由への実践

Ⅱ みこころ
  1完璧なる配剤 2真の自由への実践

Ⅲ 質疑応答
  1宇宙の完璧な法と秩序 2時間は「みこころ」である
  3「恐れ」の正体 4全宇宙と共鳴する

Ⅳ 最終到達地点

編集後記 三部作刊行を終えて

前書きなど

はじめに



私自身が自己の完結を得てから既に二十年以上の月日が経ちますが、この間、いつの日か「本」という形で私の経験と理解を表現したいと考えていました。この願いは、時代の変化と共に自然な流れで成し遂げられることになりました。
一作目はコロナ禍で、二作目は戦争。環境破壊も含め、まさに現代は今までの流れとは異なった時代へと突入しています。これも、すべてはさらなる進化のためであると私は理解していますが、人類にとっては試練のときでもあります。私からすると、このタイミングで三部作が出版される流れになっていることに大いに納得すると共に、そのすべての必然的な仕組みに感嘆するばかりです。結果としての完璧さは、唯一なる次元を観るものからすれば、あまりにも完璧です。

本作は、全三部作の締めくくりとして、もうひとつの重要なテーマである、「目覚めと死」についての解説となります。
すべての人間は、必ず死を迎えます。この三次元世界に存在する限り、それは避けられない結末です。しかし、三次元を超える世界では、我々は死ぬことはなく、死後もなお生き続けます。この「死を超越する」という経験をしない限り、死を免れることはできず、死という現実を受け入れざるを得ません。科学がいくら進歩しても、医療の進化により寿命が延びたとしても、死という現実は我々に必ず訪れてくるものです。そして、それに付随する老いや病もまた、我々を苦しめる原因のひとつとなります。

過去これらの苦しみの解決に人類は必死に取り組んできました。仏教も、大本においては、生老病死という四苦から発生しています。現代では、死に対する科学的解釈は進んではいるものの、その進歩と共に、死に対する宗教的な解釈には興味を失いつつある、と私は認識しています。科学が進歩して、死に対する頭での解釈は出来上がってきたとしても、そこに宗教的な解釈が欠けていると、心の平安、または魂の理解を欠いてしまいます。宗教的霊魂観というのは、死に対して必要な理解を与えてくれる唯一の智慧なのです。

人間には、魂と、心と、頭の理解があり、頭の理解が突出しすぎると、心、さらには魂の微細なる働きを抑え込み、繊細なる魂の理解を阻んでしまうのです。そうなってしまうと、せっかく自己の内に答えを内包しながらも、答えを得る機会を逸してしまいます。科学は頭による理解を与えてはくれますが、心や魂を救うことはできません。そして、死に対して実際に向き合う際に私たちが必要とするのは、頭の理解ではなく、心や魂の理解であり、救済なのです。
しかし同時に、たとえこの微細なる答えに辿り着いたとしても、これらの経験は個人の経験に基づくため、正解がなく、その結果、多くの誤った教えや混乱を招く考えが発生してしまうということもあります。

宗教的な実践によって経験される目覚めの理解や、臨死体験によって明かされる死後の世界に関する教えは、我々に死を超越した世界観を教えてくれます。そして、正しく死を理解するならば、我々は死の恐怖をも克服することができます。
そのためには、自分自身やこの世界、この宇宙に隠されている叡智のコードを読み解く必要があります。答えは至るところに存在しています。そもそも、疑問を持った時点で、答えはその疑問に内包されているのです。
子どもの頃、「宇宙はどこまであるのかな?」とか、「自分とは一体なんなんだろう?」といった疑問を、誰でも一度は抱いたことがあるはずです。そして、その疑問の中に答えは存在しています。なぜならば、答えがないところに疑問は生じないからです。「私は誰か?」または「私はどこから来たのか?」などといった疑問も、疑問の中に答えの鍵が隠されているのです。
その問いが自己の内において発生することそのものが、探求の始まりであり、答え自体が明らかにされるのを求めているひとつの証しなのです。
よって、我々がそれぞれに必要とされる労力を注ぐならば、必然的に答えは明らかになります。そして、目覚めたのちは、あらゆる場所に答えが存在しているのを見ることができます。そして。見渡す限りついには何を見ても答えにしか見えなくなります。
これこそが人生のゴールであり、自分自身を知ることに繋がると共に、自己の智が人生の謎を解き明かし、死や、さらには人生という問題の解決へと我々を導いてくれるのです。

すべての人間は、その核に魂を宿しています。そして、魂を宿しているということ自体が、答えを内側に内包しているということなのです。火の粉が炎から飛び散るように、我々は絶対者から飛び散った絶対者の分け御魂です。本来、本質的に我々は絶対者そのものなのです。しかし、私が「マーヤ」と呼ぶところの無知によって、その真理は隠されています。このマーヤという覆いをいかに剥ぎ取るかが、この人生における究極のミッションです。また、その方法は多岐にわたり、人それぞれにその方法は与えられています。何が正解かではなく、一人ひとりの人生の歩みが我々を答えへと導いてくれるのです。

日本という国は見方を変えると、自己の探究をするのに最も適した国であるとも言えます。なぜならば、既存の宗教の縛りがないからです。日本における信仰形態は、神道、仏教、キリスト教が主になりますが、本来宗教とは、教祖、経典、戒律の三つが原則になります。ですから、日本において神道は厳密には宗教ではありません。信仰であると、神職の方々は言います。
また、仏教は本来出家至上主義ですので、日本でも僧侶は戒律を守る必要性がありますが、在家の戒律はほぼないに等しく、我々日本人自体も仏教徒であるという認識を持っている人はごく少数です。
この現状は、信仰という面ではマイナスの働きもありますが、自己の探究という意味ではプラスです。人間にとって信念や思想はマーヤであり、自らの真の体験から来る理解ではないことがほとんどだからです。知識や思い込みというのは、観念なのです。
この国では、我々を拘束する思想はなく、精神的に自由です。ですから、個々における貴重な体験を、既存の宗教と比較したり否定したりする必要性はまったくないのです。まさに、自己完結できるのです。

この本で私が表現しようとしていることは、私に起こっていることです。答えは全人類に開かれていても、その経験は個々で異なります。ですので、ここで描かれていることは私なりの表現です。皆さんには皆さんの経験があり、それこそが、皆がそれぞれ宇宙の中心であることの答えです。真理はひとつでも、真実は人の数だけ存在しています。
この私の本を手に取る機会を与えられた縁ある人にとって、ここでの表現が皆さんの良き導きとなれば幸いです。

今作も、蓮華舎の大津明子さんが質疑応答の部分を担当して、音源からの文字起こしをして完成させてくれました。三作にわたって多大なるエネルギーを注ぎ込んでくれたことに感謝すると共に、この労力が実を結び、多くの縁ある人にこの三部作が届けられることを願っています。


岩城 和平

版元から一言

『恩寵の力』『母の力』そして、本作『目覚めの力』を以て、非常にまとまりをもった三部作が完結しました。
多くのスピリチュアルやそれに類する本が出版される中、正統的な修行を積み、かつその修行によらない答えに到達した著者の、他に類を見ない言語化能力と経験値は、読めばわかる人にはわかる圧倒感があります。
何故著者が現代に生まれ、このような教えを説いているのかは、いずれ時代を経るごとに明らかになると思われますが、ぜひ多くの人に手に取っていただき、今の時代に必要な「目覚め」のきっかけにしていただければと思います。

著者プロフィール

岩城 和平  (イワキ ワヘイ)  (

1965年東京生まれ。幼少期より度重なる臨死体験とその体験よりもたらされた感覚によって、神秘の世界に目覚める。
8歳のときに弥勒菩薩との遭遇により歩むべき道を確信し、13歳からはキリストを愛し、日々祈りの中で過ごす。15歳でヨーガと出会う。17歳で人生のテーマは平和の実現だとわかる。
宗教的感性によってインドへと導かれ、ビハール・スクール・オブ・ヨーガ主宰、スワミ・サッテャーナンダ師の弟子となり、21歳までヨーガの修行をする。師の助言に従い仏教の勉強を始め、チベット仏教のサキャ派の法王であるサキャ・ティチェン師と出会い、師の元で修行が始まる。26歳からは、チベット仏教四大ラマの一人であるニンマ派最高峰の生き仏、ミンリン・ティチェン師の弟子となり、ゾクチェンやその他の教えを学ぶ。師から、自分の役目は日本にあると言われ日本に帰国。29歳から日本での本格的な生活が始まる。
35歳のときに恩寵により人生における疑問のすべてが解消し、以来、自らの人生での経験や理解を通して得られた知識を教える日々を過ごしている。
著作に『恩寵の力』・母の力』(蓮華舎 刊)

上記内容は本書刊行時のものです。