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偽史の帝国
"天皇の日本"はいかにして創られたか
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2021年5月8日
- 書店発売日
- 2021年4月28日
- 登録日
- 2021年3月10日
- 最終更新日
- 2021年4月29日
紹介
今こそ知るべき衝撃の「史実」がここにある!
「近代日本人は、日本をどのような国だと思い込もうとしたのか。また、その思い込みは、日本をどこに連れていったのか――(本文より)」。
明治期、新たな統治体制を構築しようとした日本政府は、天皇を中心に据えた「偽の歴史(偽史)」を創作した。今なお日本の歴史に決定的な影響を与え続けるこの空想的な「偽史」は、いかにして出来上がり、浸透し、肥大していったのか?
本書は、「国体論」「教育勅語」「家族国家論」などのキーワードを軸にしつつ、政治・文化・宗教、そしてオカルト思想に至る多彩な視点から、「偽史」、そして近代日本の赤裸々な姿を明らかにする。
目次
はじめに
第一章 偽史の原型
妄想の始まり/ルーツとしての国学/天皇万国総帝説/幕末維新期の天皇観の一側面/国民教化と告諭大意/岩倉具視の国体思想/国体論を巡る論争と福澤諭吉/植木枝盛の神武天皇賊王論
第二章 国体論の三大支柱
教育勅語の誕生/国体論の支柱としての憲法/神道と祭政一致/国教化に突き進む神社神道/全国民の氏子化政策と神道式葬式の創出/信教の自由と神社非宗教論/祭祀と宗教の分離
第三章 精神を蝕む毒・教育勅語
教育勅語批判と礼讃/教育勅語の内容と眼目/御真影と割腹自殺/勅語の宣伝者たち
第四章 家族国家論と先祖祭祀の虚構
家族国家論という虚構/国家神道と家族国家論/先祖祭祀のルーツを巡る虚構/天皇家の先祖祭祀/明治政府がつくりだした新たな伝統
第五章 浸透する天皇教
日露戦争と国粋主義/進む国家の兵営化/与謝野晶子と大町桂月/大逆事件の意味するもの
第六章 臣民教育の徹底
「家畜の忠誠心」/『国体の本義』の刊行/銃後の戦士の養成/非常時下の『臣民の道』/神道による皇民化と「皇国臣民ノ誓詞」/創氏改名と朝鮮語の抹殺/日鮮同祖論
第七章 偽史教育とオカルト
史実の穿鑿はせず/国是となった八紘一宇/『竹内文献』と「神日本運動」/偽史に群がった人々/天皇のふたつの顔/「ただ刺せ、ただ衝け……」
第八章 孤独の王
天皇位という神輿/絶えざる補弼機関の圧力/敬神という虚構/三種の神器と国体護持/「神の裔」に対する執念/人間宣言と日本国憲法の意味
第九章 昭和から平成へ
「至尊に煩累を及ぼしたてまつらざる事」/聖断の背景/封じられた天皇謝罪/保護国・日本と逆コース/「ヒロヒトとはいったい誰だったのか」/昭和から平成へ/醜い家畜の国・日本
蛇足として
前書きなど
はじめに
数年前、友人の子息が就職した。いっしょに酒を飲むこともある好青年だが、彼と話をしていて驚いた。その会社では、社長の信念から、「教育勅語」の奉唱を毎朝の社員の義務としていると聞かされたからだ。
どう思うかたずねると、やりたくはないが、必ずしも頭から否定するものではない、教育勅語にはよいところもあると、彼はいった。毎朝それをつづけているうちに、ほんらい彼とは全く異質だったものが徐々に心になじんでいくさまが見てとれて、その反応に、私はまた驚いた。
森友学園が幼稚園児に教育勅語を暗唱させており、その様子をみた首相夫人が「感動」したという話も、当時マスコミを賑わせていた。幼稚園児が、刷りこみの怖さを知らないのはしかたがないが、親たちはそうではない。にもかかわらず、教育勅語を暗唱するわが子に「感動」する親がいる。この無自覚の危うさと、青年の話が重なった。
教育勅語に代表される戦前の日本を支配してきたイデオロギーが、何のためにつくられ、どのように使われてきたかを、日本人はもう忘れかけている。それとともに、戦前の亡霊である「国体論」が、衣装を替えて表舞台に登場する機会をうかがっている。この危うさを、はっきり自覚できる形で書いておきたい──これが本書を書くにいたった動機だ。
明治以来、この国の指導者層が国民に向けて最も数多く使ってきたのではないかという印象を、私は「国体」という言葉に対して抱いている。国の性格や特質を意味する「国柄」という意味での国体は、もちろんどの国にもある。けれども日本の国体だけは、他のいかなる国とも異なっており、日本のようにすばらしい国体をもつ国は、地上にただのひとつも存在しないと、明治以来、この国の指導者は国民に刷りこみつづけてきた。
日本と日本以外の国々では、どこがどう違うというのか。日本以外の国々の国体(国柄)は、その地に生きる人間がつくってきたものだと指導者層はいう。政治も、文化も、宗教も、多様な民族性も、みなその地に暮らす人々が地理的条件や歴史文化を通じてつくりあげてきた「人為」による構築物だが、日本だけはそうではない。
日本は神がつくりだした「神為」の国であり、神の直系子孫である天皇の祖先が永遠の統治権と文化の種を授かって降臨し、天界の神とひとつになって惟神に治めてきた、地上に類例のない特別な国だと支配層は国民に教育しつづけた。日本は「神の国」であり「天皇の国」──これがこの国の指導者層のいう国体の中身なのである。
この異様な思想は、いったいどのようにして生まれ、どのように発展し、どのように国家と国民を蝕んできたのか。それを以下の九つの章で明らかにしていきたい。
国体論には、それを支えるためにつくりだされた三本の太い柱がある。大日本帝国憲法、教育勅語、国家神道だ。この三大支柱は、幕末から明治中期までの国民教化の助走期間を経て、人々の意識の中に深く植えつけられ、偽史にもとづくまったく新しい「伝統」が、国の始まりからつづく不変の伝統と位置づけられた。第一章の「偽史の原型」から第四章の「家族国家論と先祖祭祀の虚構」までが、この助走期間に相当する。
明治を通じて進められてきた国体思想は、明治末の日露戦争の勝利を契機に、事実そのとおりの正しい教えだと受け取られるようになった。助走段階を終えて、「神の国」という偽史が真正の歴史と認められ、国民意識の中に深々と根を下ろしたのである。第五章の「浸透する天皇教」では、その具体的な現れが示されるだろう。
明治が終わり大正時代になると、日本を「天皇の国」とした明治の国体論とは水と油の関係にある欧米の思想や文化、「国は国民のものだ」とする欧米流の考え方が、漂う空気のように広まった。この状況は、支配層からは「神の国」にまったくふさわしくない堕落の表れと見なされた。自由主義に汚染された「反国体」思想は駆逐しなければならないという動きが、日本をとりまく厳しい国際環境のなかで加速していき、ほどなく国体論一色の軍閥暗黒時代がやってきた。第六章「臣民教育の徹底」と第七章「偽史教育とオカルト」で、われわれはその諸相を見ることになる。
この間、神に祭りあげられ、神輿に乗って担がれてきた天皇の実態は、はたしてどのようなものだったのか。国体論は天皇にどのように受け止められてきたのか。国民の目から遮断された菊のカーテンの向こう側で、天皇は何を考え、何を求め、何に苦しんできたのか。この最も肝腎な問題については、第八章「孤独の王」で考えていきたい。
昭和二十年の敗戦で、国体論は敗北し、日本は生まれ変わったかにみえる。しかし、事実はそうではない。敗戦は、国体論の終幕ではなかった。国体論に依って支配の果実を独占的に享受してきた層や、そのおこぼれにあずかってきた取巻層は、ほんの一時、幕のうしろに引っこんだだけで、ふたたび表舞台に復帰してきた。さらにその亜流は、いまも国体論の復活を模索しつづけている。第九章「昭和から平成へ」では、その実態をいくつかの事例によって描くことになるだろう。
本書には、史実をふまえるための必要から、細部にわたる煩瑣な議論もふくまれている。めんどうだと感じた部分はどんどん読み飛ばしていただけばよい。ただ、縁あって本書を手にしてくださった読者には、どうか最後まで通読していただきたいと切に願う。本書を書こうと思った最大の理由は、末尾の二章に凝縮している。
版元から一言
宗教研究家である著者が、「天皇制」の根幹となった「明治以降、国民に浸透した日本史」の正体を明らかにする一冊。歴史・宗教に関する幅広い知見、膨大な資料の裏付けによる、特に宗教史の面からの深く詳細な考察は、日本史関連の書籍に今までなかった"衝撃的な"内容となっています。近年類書の多い、「歴史修正主義」関連書籍の決定版といえるものとなっています。
上記内容は本書刊行時のものです。