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藍のおもかげ
澁谷繁樹遺稿集
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2022年8月20日
- 書店発売日
- 2022年8月25日
- 登録日
- 2022年8月12日
- 最終更新日
- 2022年9月5日
紹介
本書は、南日本新聞社記者・澁谷繁樹氏(1952.4.11~2021.8.20)が執筆した主要な記事原稿をまとめたもの。第1部の「薩摩義士たどり語り 宝暦治水二百五十年」(連載91回)では、薩摩藩が幕府に命じられて行った揖斐、長良、木曽、三河川の治水難工事の歴史をたどる。その他、南日本新聞コラム「風向計」「南風録」など、“ワイルドでダンディ、薬味のきいた遺文のかずかず”を収録。
「こんな人ばかりじゃ、新聞社は持たないだろうけど、こんな人もいなくちゃ、新聞社は駄目なんだ──」(詩人・岡田哲也)
目次
第1部 薩摩あちこち
薩摩義士たどり語り 宝暦治水二百五十年
とべ青春 純心・新体操の世界
第2部 日々あれこれ
風向計
南風録
記者の目
川内支社時代/宮之城支局時代/川内支社(薩摩川内総局)時代
大連─感傷小旅行
記者、本を買う
第3部 偲
澁谷繁樹に捧げる[十五代沈壽官]
澁谷さん、ありがとう[寺薗玲子]
澁谷繁樹さんのこと[中俣知大]
格好よく心憎い振る舞い[久本勝紘]
彫金仕事に「竜見る」感性 日常壊すものと戦う[光安善樹]
旅は続く[中島裕二郎]
藍ひとしお 文体の人[岡田哲也]
御礼のことば[柏井美紀]
前書きなど
第1部「薩摩義士たどり語り 宝暦治水二百五十年」より
辛苦の治水犠牲 八十人以上(第1回)
二百五十年前の一七五四年、ヨーロッパでは、神聖ローマ帝国が女帝マリア・テレジアをかつぎ、ロシア帝国も女帝エリザベータ、フランス王国はポンパドール夫人、三女性が手練手管を尽くしていた。やりたい放題の国に成長してしまうアメリカ合衆国はまだ生まれていない。ヨーロッパの権謀術数から距離と鎖国で遠く離れた日本は、宝暦四年、徳川九代目、家重の時代になる。外には門を閉ざし、内は武家諸法度などの諸政策で固めた江戸幕府は、前年の宝暦三年十二月、外様の油断ならない薩摩藩に対し、揖斐、長良、木曽、三河川の治水工事を命じていた。現在の岐阜県南部を中心とした工事には千人近い薩摩藩の人間が携わり、汗だけでなく、切腹や病気で八十人以上は血も流した。元号にちなみ「宝暦治水」と呼ばれるようになる工事を、三川からはるかに隔たる薩摩藩が担当し腹まで切った。二百五十年を機に歴史をたどってみよう。
宝暦治水工事は一期と二期に分かれる。
一期工事は宝暦四年二月二十七日に始まり、約二カ月かけて、百九十三村の水害で壊れた堤を復旧した。
二期工事は、同じ年の九月二十四日に着手、現在の輪之内町の大槫川(長良川の支流)に長さ二〇〇メートル近い堰をつくり、海津町の油島には一キロ近い堤を築き、揖斐と長良川を分断した。工事期間は約半年に及んだ。
工事に当たった薩摩藩の人間は、江戸から赴任した担当者も合わせて九百四十七人になる(人員数は輪之内町資料から)。末端の労働者を含めればもっと多かったはず、と考える研究者もいる。
工事に使った木材は、十二万七百四十三本、俵が十六万二千八百七十俵、竹が百七十二万八千七百九本になる。
幕府は当初、町方請負(現在のゼネコン的な専門業者への工事委託)を認めず、慣れない大河での土木工事に、薩摩の人間たちは四苦八苦したと伝えられている。
三川の工事は薩摩藩だけが担当したわけではない。
明和三年の「明和治水」も長州毛利家など三藩が担当し、工事個所は三百を超えた。宝暦治水の工事個所は二百七十だから、ほぼ同じ規模の工事になる。
同程度の工事なのに明和治水は、宝暦治水に見られる犠牲者がいない。明和治水だけではない。他の工事を見ても腹を切った例は見あたらない。
総奉行平田靭負をはじめ五十二人(切腹人数は輪之内町資料から)の切腹の理由は、幕府側役人との確執、地元住民とのあつれき、工事の遅れ、工事費の増大など、さまざまに推測されている。海津町の治水歴史に詳しい関係者は、明和までの三工事は難工事だったと話す。明和五年以降の工事は、実質的に費用を分担するだけで済んだ。
「上意下達が徹底していた薩摩藩の侍たちにとって、一揆も起こすヘイコラしない木曽三川地方の農民を使った工事は、確かに大変だったでしょう。切腹の理由は歴史のなかに埋もれていますが、他の藩では考えられないくらい、薩摩の責任の取り方は厳しかったのかもしれません」…
上記内容は本書刊行時のものです。