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コロナと精神分析的臨床 荻本 快(編著) - 木立の文庫
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コロナと精神分析的臨床 (コロナト セイシンブンセキテキリンショウ) 「会うこと」の喪失と回復 (アウコトノ ソウシツトカイフク)

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発行:木立の文庫
四六変形判
縦195mm 横124mm 厚さ24mm
272ページ
上製
価格 2,700円+税
ISBN
978-4-909862-18-1   COPY
ISBN 13
9784909862181   COPY
ISBN 10h
4-909862-18-8   COPY
ISBN 10
4909862188   COPY
出版者記号
909862   COPY
Cコード
C1011  
1:教養 0:単行本 11:心理(学)
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2021年3月20日
書店発売日
登録日
2021年2月2日
最終更新日
2021年6月14日
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書評掲載情報

2021-07-03 図書新聞
評者: 山崎孝明
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紹介

 人は独りでは生きていけません。誰かと共にいて初めて「私」が生まれてくるのが、人間なのかもしれません。ところが困ったことに「簡単には“生身で”会えない」コロナ時代が訪れました。便利なツールでバーチャルに会えますが、オンラインでどのように“心が通う”かという課題が残ります。

 この本では、ひたすら「心の出会い」を眼差す精神分析にヒントを得て、物理的に会えない場で“心が通う”可能性を探します。心理支援職・対人援助職、そして「リアルな対話」を求める方々に届けたい、示唆に富む一冊です。

目次

序 章
劇的観点から心を扱うこと――コロナ禍の「どさくさ」に紛れて


第1部 喪失のなかでの心の文脈

○揺れる世界で臨床を続けていくこと
  コラム: コロナ禍とユーモア
○失うことと掛け替えのないこと
  コラム: オンライン臨床におけるクロスモーダル体験
○オンラインというleap、あるいはdistant psychoanalysis の未来
  コラム: コロナ禍における日常生活と心理臨床の経験に関する私的考察 


第2部 こころで会うことの回復

○コロナ禍の面接室でクライエントと出会うこと
○コロナ禍におけるグループの無意識
○コロナ禍における「ほど良い治療設定」について考える


終 章
不在の部屋と身体――「映し返し」が起きるところ

問 答
精神分析的に束ねる――三角関係化に向けて 

前書きなど

【編者: 荻本 快(おぎもと・かい) から一言】

 精神分析的臨床では、クライエント(患者)と臨床家が同じ部屋で会って話し、無意識の領域に向けてこころの探求をおこないます。特に日本においては、人と人が実際に会って、実在の部屋に居るというのが、疑いようもない前提となっていました。それが、今回のコロナ禍において全く変わったのです。

 「不要不急」の外出の自粛を要請する政府の緊急事態宣言を受けて、臨床心理士や精神科医、看護師あるいはソーシャルワーカーといった臨床家たちは、コロナ禍のなかで、自分たちが面接を続けることができるのか、あるいは面接をどのような形で続けられるのか、クライエント(患者)と話し合いながら、手探りで進んだといえるでしょう。臨床家とクライエントは、自分たちが続けてきたことは不要不急のものだったのか、そして自己にとってあるいは人間にとって「会うこと」とは何なのかを、根底から見つめ直さざるを得ない状況に投げ込まれたのです。

      ******   ******   ******

 こうした状況のなか、新型コロナウイルスの第二波の直前の8月10日に、私たちは、この本の元となるシンポジウム《コロナと精神分析的臨床―距離、オンライン、会うこと》を開催しました。オンラインでおこなわれたこの学術集会は、結果的に、日本で初めて大規模にそのテーマについて検討した会となり、多くの臨床家の参加がありました。さまざまな実践例を通して、コロナ禍における精神分析的な臨床とは何なのか、どうあるべきかを考える発表が続き、実践上の留意点から、臨床の前提となる人間観まで、幅広く濃密な議論が展開し、議論は自然と、人間にとって「会うこと」とは何なのか、オンラインでつながることが人間の発達にどのような影響を及ぼすのか、といった問題へと収束していったのです。

 本書は、コロナ禍における精神分析的な臨床とは何なのか、どうあるべきかを考えていくだけでなく、人間にとって重層的に「あうこと」とは何かを問い直すことを目的としています。すべての臨床がそうであるように、私たちは、この状況において安易に答えを出そうとはせず、思考を続けていくことが、コロナ禍において「あうこと」を重層的に取り戻すことにつながっていくのではないかと思っています。

      ******   ******   ******

 こんにち、特に日本において、誰かと会って話をするということに、明示的にも暗示的にも、新型コロナウイルスをやりとりすることが加わったと言えます。私たちは、自分が感染しているかもしれない、相手が感染しているかもしれないという可能性を捨てきれないまま、相手に会っています。治療関係のなかに毒がある、致死的なものがある、破壊的なものがある、こういったことこそ、精神分析が長い歴史のなかで見つめてきたものだと思います。コロナ禍における精神分析的な臨床の意味が、新たに見いだされるのではないでしょうか。

 この本が、次の「波」に襲われたときに私たちの思考が泥沼化しないよう、こころの臨床に携わる皆様の思索の助けになればと願っています。そして、臨床家だけでなく、人と会うことを生業にしている職業人・専門家の方々と共に、コロナ禍において「あうこと」の根源的な意味について深く思考する契機となれば、編者としてはこれ以上ない喜びです。

版元から一言

【編者: 北山 修(きたやまおさむ) から一言】

 今これは旅先だと思うんだよね。
 実生活とか日常とかノーマルとかっていうことが原点で、そこから今は放り出されてしまって、心は浮遊しているわけだよね。勝ってるのか負けてるのか、退却すべきか進むべきか、あるいはLockdownかGo To Travelかみたいな、そのあいだでふらふらしている。浮遊感がすごくあるんだけど、これは「プラットフォーム」を失った“旅先”感覚だと思うんですよね。
 旅先での出来事なので、旅先の“浮いた”感覚を自覚して話すべきだと思うし、落ち着きのないこの状態で新しい国の言葉を作り出すのはまだ早い状態だと思うんですよね。New Normal、withコロナなんてことを言っているけど、ワクチンがうまくいけば、withoutコロナになるかもしれないんですよね。今は不確実な状態です。
にもかかわらず、逆に古い言葉で捉え直して、それを新しい文化としてこれからも継続するありようとして捉えるのは、私にはできない。今は旅の途中であって、やがて振り返ると良かったか悪かったか決定されるような話じゃないですか。だから、今こそ“分かれ目”なのかもしれないのです。

そうすると、「現在をとらえる確かさ」って何にあるのかっていうと、やはりそれは〈内的構造〉ということになると思うんだよ。心のなかに構造があるっていうか、心のなかに設定があるということ。「外」の設定が動くときには、心の「なか」に我々がどのような設定を持っているのかが問われる、ということじゃないですか。そうすると、現状としては、外の設定が動いているので、私たちの心で構造化している部分に頼らなければならない、あるいは〝心の地図〞を辿らねばならない状況だと思うんだけど。
そこで、いちばん信じられる〈内的構造〉化の手掛かりは、「知」と「情」と「私」です。精神分析をやっていてよかったなと思うのは、お父さんとお母さんと子ども、超自我と自我とエスとか、あるいは衝動と防衛と不安、私たちは三点を巡って心が構造化されていると教えてくれたことです。

これから行きたいところ(エス)と、それについて不安を伴うことをメッセージとして感じる(超自我)、そしてそれをどう生きるかという〈私〉(自我)この三つを束ねることで、私は心を合成している。「行きたいところ」っていうのは、この本の主題の“あいたい”の向かうところで、そこは究極の「密」な場所。行ってはいけないというのは「コロナ」あるいは「防疫」や、感染してはいけないという要請。であるとすれば、それを〈私〉がどう生きるか。
同調圧力のなかでもっとも無意識化されやすいのが、〈私〉つまり自我だと思うんです。周囲は「自分勝手は許されない」とか言うんだけど、でも、「どこ行きの切符に乗るのか、船に乗るのか、列車に乗るのかっていう最後の選択は〈私〉にあるんだ」っていう可能性を、内側に秘めた思いとして持っていないと、どこかに連れていかれてしまう。同調圧力に乗せられてしまうということがあると思いますよ。

著者プロフィール

荻本 快  (オギモト カイ)  (編著

国際基督教大学大学院教育学研究科博士後期課程修了、博士(教育学)。
相模女子大学学芸学部 准教授、相模女子大学子育て支援センター相談室、国際基督教大学教育研究所 研究員、米国ロサンゼルスNew Center for Psychoanalysis (IPA, APsaA) Member, 米国精神分析学会(APsaA) Candidate Member.

著書と論文:『現代心理学入門』『生涯発達臨床心理学』『青年期初期における両親への同一視の意味』“Inability to Mourn” in Japan after 1945. International Psychoanalytical Association, 51st Congress in London. 27th July 2019.

主な関心: 精神分析、集団療法・集団過程、メンタライゼーションに基づく治療(MBT)。

北山 修  (キタヤマ オサム)  (編著

京都府立医科大学卒業、医学博士。ロンドンのモーズレイ病院およびロンドン大学精神医学研究所で卒後研修。帰国後、北山医院(現・南青山心理相談室)院長。九州大学大学院人間環境学研究院および医学研究院教授、国際基督教大学客員教授、白鴎大学副学長を経て、現在、北山精神分析室で個人開業。

九州大学名誉教授、白鷗大学名誉教授。前日本精神分析協会会長、元日本精神分析学会会長。国際精神分析協会正会員。

主な著書:『悲劇の発生論』『錯覚と脱錯覚』『幻滅論』『劇的な精神分析入門』『覆いをとること・つくること』『最後の授業』『評価の分かれるところに』『意味としての心』『定版 見るなの禁止』ほか多数。

ミュージシャンや作詞家としての活動でも知られる。

飯島 みどり  (イイジマ ミドリ)  (

慶應義塾大学社会学研究科修了、慶應義塾大学 学生相談室、南青山心理相談室、臨床心理士。
主な関心:精神分析的心理療法・対象関係論。

石川 与志也  (イシカワ ヨシヤ)  (

国際基督教大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学、ルーテル学院大学 准教授、東京大学駒場学生相談所 非常勤講師、臨床心理士。
主な関心:精神分析的心理療法、青年期、ジョークとユーモア。

揖斐 衣海  (イビ エミ)  (

国際基督教大学大学院教育学研究科博士前期課程修了、KIPP 渋谷心理オフィス、国際基督教大学カウンセリングセンター、臨床心理士。
主な関心:精神分析的な個人療法・カップル療法・集団療法。

岡田 暁宜  (オカダ アキヨシ)  (

名古屋市立大学大学院医学研究科、医学博士、名古屋工業大学保健センター長 教授、精神科医師、日本精神分析協会正会員・訓練分析家。
主な関心:精神分析、精神分析的精神療法、力動精神医学。

奥寺 崇  (オクデラ タカシ)  (

群馬大学医学部卒業、クリニックおくでら、精神科医、精神分析家(日本精神分析協会、国際精神分析協会)。
主な関心:精神分析、児童思春期、外傷体験と発達。

笠井 さつき  (カサイ サツキ)  (

上智大学大学院文学研究科心理学専攻博士課程満期退学、博士(心理学)、帝京大学心理臨床センター 教授、臨床心理士。
主な関心:精神分析的心理療法、女性性。

関 真粧美  (セキ マサミ)  (

早稲田大学人間科学部健康科学研究科修士課程修了、南青山心理相談室、臨床心理士。
主な関心:成人を対象とした精神分析的(個人)セラピー。

西村 馨  (シムラ カオル)  (

国際基督教大学大学院博士後期課程単位取得退学、国際基督教大学 上級准教授、臨床心理士。
主な関心:児童・思春期、集団精神療法、社会的無意識、MBT。

山本 雅美  (ヤマモト マサミ)  (

広島大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学、武蔵境心理相談室、臨床心理士、William Alanson White Institute 認定精神分析家。
主な関心:対人関係由来の傷つき、生きにくさ、自己の問題。

上記内容は本書刊行時のものです。