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反デジタル考 令和の逆張り教育論 露木 康仁(著) - 静人舎
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反デジタル考 令和の逆張り教育論 (ハンデジタルコウ レイワノギャクバリキョウイクロン)

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発行:静人舎
四六判
縦218mm 横188mm 厚さ25mm
重さ 500g
436ページ
並製
定価 2,400円+税
ISBN
978-4-909299-15-4   COPY
ISBN 13
9784909299154   COPY
ISBN 10h
4-909299-15-7   COPY
ISBN 10
4909299157   COPY
出版者記号
909299   COPY
Cコード
C0095  
0:一般 0:単行本 95:日本文学、評論、随筆、その他
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2021年10月20日
書店発売日
登録日
2021年10月7日
最終更新日
2021年10月19日
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紹介

「教育、医学、政財界関係者が、デジタル教育の安全性をどんなに声高に叫ぼうとも、どんな科学的安全性を担保するエビデンスを出そうとも、せめて16歳までは(パソコンやタブレット端末を使った)デジタル教育を制限すべきです。社会では、文明を牽引するツールとしてのデジタルを武器としても、家庭やプライベートでは自身の精神、生物としての身体の健全さを守るツールとしてのアナログを手放してはいけません。文化とは、人生行路とは、アナログでしか耕すことができないということです。それは畢竟、人生の充実感でもあり、一種、幸福感の淵源ともなるものです」
本書は、英語塾主宰者にして、塾のブログやYouTubeで日々、教育のデジタル化に警鐘を鳴らしてやまない教育エッセイストによる痛烈なる逆張り教育論。

目次

〈一部抜粋〉
アナログ教育がいかに大切か! 
スーパースターのDVDと二流元プロ野球選手の直接指導
電子辞書支持者への一諫言
アクティブ・ラーニングの正体
私のSNS論
日本人の〈英語力の低さ〉と〈電子マネー普及率の低さ〉
数学随想──理系・文系と分かれるのは、科目間離婚である!
悪のスパイラルともいえる大学入試改革
理系と文系、どうして分かれるの?
ポケトーク開発(カンブリア宮殿)を観て思ったこと
リベラルアーツの雛型は高校時代に出来上がる?
「適応」をもっぱらとするは進歩なき進化である
姉(英語)と妹(数学)を差別するバカ親(文科省)
数学リテラシーが高1からしぼむ日本
アフターコロナの教育原風景
9月入学は亡国への一里塚
学ぶ意志ありきの〝性善説〟に立ったオンライン教育論
2月休校要請は学徒出陣に同じ!
9月入学制度は鹿鳴館の夜会!
オンライン授業幻想に目覚めるとき─2021
オフィスにGood-byeできても、教室にGood-byeはできない!
尾道の暮らしと正岡子規に学ぶ
アナログでいることは〝禅僧〟であることだ!
デジタル化教育は日本人の学力を低下させる!
リモートワークとワーケーションの負の側面
無聊を忘れた現代人
英語はデジタル? 日本語はアナログ?
哲人ハードラーの意見と拙著の主旨

前書きなど

本書は、私の主宰する英精塾のホームページのブログに掲載した中から、特に〈反デジタル〉の観点から一貫したものを精選し、加筆訂正したもので構成されています。期間は2018年7月から2021年8月の約3年間にわたるものです。本ブログの2割以上3分の2ほどは、反デジタルの観点から、教育分野を中心に、その周辺から社会にわたって書きなぐってきた内容です。あらためて平成末期から令和にかけてのデジタル旋風というものに違和感・不快感を感じてきた私の率直な感想でもあります。
やはり、本書『反デジタル考』のコンセプト、いや、原動力といったものとして、私の気質でもある、痩せ我慢・臍曲り・天の邪鬼というものが通奏低音として鳴り響いています。社会や会社なら、デジタル化の超推進は、是としましょう。大学生も仕方なしとします。しかし、高校生から、義務教育の中学生・小学生にまでこのデジタル化を過激なまでに推進することに対し、アナログ人間の私としては、どうも承服できない直感というものが内面に疼いて仕方がありません。
 初等・中等教育では、デジタル化はほどほどにせよと。むしろ学校という場(トポス)は、デジタル旋風の、子どもの避難場所にすればいいとさえ思っています。会社がデジタルの場、家庭をアナログの場とするのが人間の性を考慮したとき、自然です。令和の子どもにとって自宅や友人関係のプチコミュニティー社会は、スマホに代表されるデジタルの空間ともいえましょう。ですから、むしろ学校という場が、非デジタルの場、即ち、むしろアナログの場とすることを私は提言したのです。(中略)
 世の親御さん、社会人、大学生へ向けて、アピールします。「公的(社会・会社)には、デジタルを! 私的(学校・家庭)にはアナログを!」これをもじって、和魂洋才ならぬア魂デ才(アナログ精神でデジタル肉体を)を生きる流儀としなさいと。この観点からすれば、私は、リモートワークやワーケーションなどは絶対に“ノン”なのです。
 私には流儀があります。「知性は仕事(会社)で磨けても、感性は個人(プライベート)でしか磨くことはできない」という生活上の区分・規律といったものです。個人レベルでは、感性は、プチ文化であり、知性は、プチ文明でもあるという謂であります。
この人生上の摂理を忘れると、人間公私を問わず生きるうえでの障害・壁、いわば苦難・限界に直面します。文化とは、人生行路とは、アナログでしか耕すことができないということです。それは畢竟、人生の充実感でもあり、一種、幸福感の淵源ともなるものです。

著者プロフィール

露木 康仁  (ツユキ ヤスヒト)  (

慶應義塾大学文学部仏文科修士課程修了。大学卒業後、某大手企業に就職するも、文学への研究熱が芽生え、大学院に進学。大学院在学中に、研究者と教育者を天秤にかけて、後者への情熱が湧き上がり仏文学への未練を断ち切る。人生行路での紆余曲折を経て、自分の原点である、「同じ轍を踏ませたくない」といった思いから、横浜で英語科専門塾を立ち上げる。自己の「受験の失敗学」に裏打ちされた大学受験塾“英精塾”を主宰するに至る。特に、日本語(母国語)を大切にする英語教育、リべラルアーツとしての日本史・世界史・古典なども教授している。今では、忘れさられた旧制高校の優れた面を取り入れた学問指導を理想として、生徒たちに接している。教育論としては、前著『英語教師は〈英語〉ができなくてもよい!』に続く2冊目。

上記内容は本書刊行時のものです。