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なぜ日本はフジタを捨てたのか? 富田芳和(著) - 静人舎
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なぜ日本はフジタを捨てたのか? (ナゼニホンハフジタヲステタノカ) 藤田嗣治とフランク・シャーマン19451949 (フジタツグハルトフランクシャーマンセンキュウヒャクヨンジュウゴセンキュウヒャクヨンジュウキュウ)

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発行:静人舎
四六判
縦188mm 横128mm 厚さ21mm
重さ 330g
270ページ
並製
価格 2,400円+税
ISBN
978-4-909299-01-7   COPY
ISBN 13
9784909299017   COPY
ISBN 10h
4-909299-01-7   COPY
ISBN 10
4909299017   COPY
出版者記号
909299   COPY
Cコード
C0095  
0:一般 0:単行本 95:日本文学、評論、随筆、その他
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2018年5月
書店発売日
登録日
2018年5月7日
最終更新日
2018年6月20日
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書評掲載情報

2018-09-30 東京新聞/中日新聞  朝刊
評者: 川島高峰(明治大学准教授)
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紹介

1991年、ソウルの病院で元GHQ美術教育担当官がひっそりと世を去った。死の数日前、彼は、病床を見守っていた一人の日本人実業家に、生涯かけて集めた美術品を含むぼう大な資料(シャーマン・コレクション)を託した。フランク・シャーマンは、世界的な巨匠・藤田嗣治が占領下の日本から渡米するのを助けた米人として、藤田の経歴にわずかに記されることはあるが、そのプロフィールは闇に包まれたままだ。北海道伊達市に眠る未公開の書簡や写真など2万点とも言われるコレクションの調査や新資料の渉猟により、藤田渡米という“戦後美術最大の事件”が、70年後の日本画壇崩壊のきっかけになったことなど、戦後日本美術の通説を覆す事実が次々に明らかになる。本書は、敗戦直後からフジタ渡米までの5年間に焦点を当て、藤田の人生最大の危機、藤田がただ一人気を許した友人シャーマンとの交友など、戦後美術の戦いと希望のドラマを描いたノンフィクションである。

目次

プロローグ
第一章 フジタの戦争
第二章 フランク・シャーマン
第三章 GHQの戦争画収集
第四章 フジタはどこに
第五章 挑発
第六章 出会い
第七章 戦犯追求
第八章 フジタと日々
第九章 シャーマンルーム
第十章 日展抗争
第十一章 二人の裸婦
第十二章 妨害
第十三章 ケネディ画廊の個展
第十四章 作戦
第十五章 京都遊興三昧
第十六章 光明
第十七章 フジタを探せ
エピローグ

前書きなど

フランク・エドワード・シャーマンは死の数年前に終(つい)のすみかを極東に求め、一九九一年十月十一日、韓国ソウルの病院で前立腺がんのため死去した。家族のないシャーマンは死の数日前、生涯かけて集めた日本の戦後美術に関する収集品のすべてを親交のあった実業家河村泳静氏に託した。
 シャーマンが集めた資料のうち、藤田嗣治(以下、フジタ)の絵画作品(絵入り書簡を含む)の多くは、シャーマンが生きているうちに、美術館やコレクターの手にわたっている。
 遺贈されたものはシャーマンが生涯をかけて集めた上記以外のすべてだった。大量の絵画もあったが、何百通もの手紙類、何冊ものネガファイルやスクラップブック、雑誌の切り抜き、マッチラベルや切手、その他の雑多な品々。仮に分類を試みたとすれば長いインデックスを必要とするだろう。数え方によっては二万数千点。
 その全体の量は大型トラックのコンテナ一個分に相当した。
 美術の専門家ではない河村氏にはおおよそ価値が不明だったが、シャーマンがどんなことに情熱をもっていたか、そして誠実で几帳面な性格をよく知っていたため、一片も廃棄してはならない資料と信じて大切に保存することになる。
 やがて収集品は「シャーマンコレクション」と名付けられ、画家・野田弘志氏を通じて、縁のあった北海道伊達市の教育委員会に預けられ、そして数年の眠りを倉庫の中でむさぼることになる。
 美術雑誌の編集者であった私が、河村氏からコレクションの話を聞き、何か活用する方法がないかと相談を受けたのはシャーマンが没して二十年以上たってからである。私はその時、シャーマンが戦後フジタと交友をもった人間だということぐらいの漠然とした知識しか持ちあわせていなかった。
 倉庫の中を探索したはじめての日、ここにある物はとんでもないものだと気づいた。
 フランク・シャーマンとは何者なのか。
 その答えを出すにはさらに長い年月がかかることになる。
 未整理の膨大な資料のピースを読み解き、一つ一つつなぎあわせることによって、少しずつ見えてきたのは、今まで語り伝えられ書き継がれたてきたものとは違う、戦後日本の文化情景である。そしてその中からシャーマンという人物はゆっくりと立ち上がっていった。
 しかし探索を続けるにつれて、ジグソーパズルの本当の完成にはもっと長い時間がかかることを思い知らされることになるのである。

 終戦の日から、フジタの全画業の最後の三分の一の人生がはじまった。そこから1949年3月にアメリカに渡るまで、画家として生き延びるために、フジタは世間から身を隠した。
 いままでフジタの人生の空白と見られていた時間に、ぴったりと身を寄せていたひとりの若いアメリカ人がいた。
 フランク・シャーマン。
 彼がたんねんに集めた資料は、フジタの人生のなかでもきわだってドラマティックな時間を再生してくれるはずだ。フジタの波乱に富んだ全生涯をたどる伝記は過去何冊か書かれている。しかし、シャーマンが収集した資料によって、フジタの生涯にまた新しい光が当てられると筆者は信じている。
 そこからどのようにフジタの人生全体を再構成するかはこれからの仕事である。
 シャーマンの生涯の多岐にわたる活動と、日本の戦後美術に残した重要な業績をまとめることについてはだれも手をつけていない。
 この二つは、シャーマンの資料がわれわれに課した大きな宿題であろう。

 シャーマンの最晩年に、河村氏はシャーマンの業績をまとめるために、長時間のインタビューを行った。シャーマンの伝記をまとめようと試みようとしたものだが、シャーマンの死と諸般の事情により中断された。
 フジタの戦後期の空白を埋めるという意味でも貴重なこの証言も、未公開のまま二十年以上眠った。このたび河村氏のご厚意により、本書のために拝聴させていただけたことにも、深い感謝を捧げたい。

版元から一言

今年は藤田嗣治没後50年目となります。藤田の評伝はこれまで数多の研究者、専門家が書いてきましたが、敗戦直後の5年間の藤田の動向を詳しく解明した作品はありませんでした。本書は、北海道伊達市所蔵のシャーマンコレクションや東京芸大所蔵の藤田の手紙など、未公開だった資料を丹念にひもとき、隠されていた真実を初めて明らかにした画期的ノンフィクションです。

著者プロフィール

富田芳和  (トミタヨシカズ)  (

1954年生まれ。早稲田大学文学部美術史学専攻課程修了。『新美術新聞』(美術年鑑社)、編集長、『アート・トップ』(芸術新聞社)編集長を務め、現在、河村アートプロジェクト・チーフディレクター、株式会社静人舎取締役、著書に『プロジェクト写楽』(ランダムハウス)他

上記内容は本書刊行時のものです。