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挾み撃ち【デラックス解説版】 後藤 明生(著者) - つかだま書房
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挾み撃ち【デラックス解説版】 (ハサミウチ デラックスカイセツバン)

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A5判
縦210mm 横248mm 厚さ20mm
重さ 500g
288ページ
並製
価格 2,200円+税
ISBN
978-4-908624-07-0   COPY
ISBN 13
9784908624070   COPY
ISBN 10h
4-908624-07-0   COPY
ISBN 10
4908624070   COPY
出版者記号
908624   COPY
Cコード
C0093  
0:一般 0:単行本 93:日本文学、小説・物語
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2019年7月2日
書店発売日
登録日
2019年4月29日
最終更新日
2019年7月2日
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紹介

「内向の世代」を代表する小説家・後藤明生の代表作にして「日本現代文学の傑作」とも評される小説『挾み撃ち』。しかし、「面白い!」と魅了される人々の一方で、「まったく理解できない!」と困惑する読者も少なくない。小説『挾み撃ち』の面白さの根源は何か?――。本書では、本作とともに、蓮實重彦、平岡篤頼、奥泉光&いとうせいこう、多岐祐介といった文芸評論の重鎮が、それぞれの視点で『挾み撃ち』を解説。解説だけで約80ページも! 多様な角度からの読解で、この「日本現代文学の傑作」の魅力に迫る。

目次

●挟み撃ち

●解説
【1】多岐祐介:方法の解説
【2】奥泉光・いとうせいこう:文芸漫談『挟み撃ち』を読む
【3】平岡篤頼:行き場のない土着
【4】蓮實重彦:『挟み撃ち』または模倣の創意

著者プロフィール

後藤 明生  (ゴトウ メイセイ)  (著者

◉後藤明生|ごとう・めいせい(1932年4月4日―1999年8月2日)​
「内向の世代」の作家として知られる後藤明生は、1932年4月4日、朝鮮咸鏡南道永興郡(現在の北朝鮮)に生まれる。13歳で敗戦を迎え、「38度線」を歩いて超えて、福岡県朝倉郡甘木町(現在の朝倉市)に引揚げるが、その間に父と祖母を失う。当時の体験は小説『夢かたり』などに詳しい。旧制福岡県立朝倉中学校に転入後(48年に学制改革で朝倉高等学校に)、硬式野球に熱中するも、海外文学から戦後日本文学までを濫読し「文学」に目覚める。高校卒業後、東京外国語大学ロシア語科を受験するも不合格。浪人時代は『外套』『鼻』などを耽読し「ゴーゴリ病」に罹った。53年、早稲田大学第二文学部ロシア文学科に入学。55年、小説「赤と黒の記憶」が第4回・全国学生小説コンクール入選作として「文藝」11月号に掲載。五七年、福岡の兄の家に居候しながら図書館で『ドストエフスキー全集』などを読み漁る。58年、学生時代の先輩の紹介で博報堂に入社。自信作だった「ドストエフスキーではありません。トリスウィスキーです」というコピーは没に。59年、平凡出版(現在のマガジンハウス)に転職。62年3月、小説「関係」が第1回・文藝賞・中短篇部門佳作として「文藝」復刊号に掲載。67年、小説「人間の病気」が芥川賞候補となり、その後も「S温泉からの報告」「私的生活」「笑い地獄」が同賞の候補となるが、いずれも受賞を逃す。68年3月、平凡出版を退社し執筆活動に専念。73年に書き下ろした長編小説『挾み撃ち』が柄谷行人や蓮實重彥らに高く評価され注目を集める。89年より近畿大学文芸学部の教授(のちに学部長)として後進の指導にあたる。99年8月2日、肺癌のため逝去。享年67。小説の実作者でありながら理論家でもあり、「なぜ小説を書くのか? それは小説を読んだからだ」という理念に基づいた、「読むこと」と「書くこと」は千円札の裏表のように表裏一体であるという「千円札文学論」などを提唱。また、ヘビースモーカーかつ酒豪としても知られ、新宿の文壇バー「風花」の最長滞在記録保持者(一説によると48時間以上)ともいわれ、現在も「後藤明生」の名が記されたウイスキーのボトルがキープされている

後藤 明生  (ゴトウ メイセイ)  (解説

◉後藤明生|ごとう・めいせい(1932年4月4日―1999年8月2日)​
「内向の世代」の作家として知られる後藤明生は、1932年4月4日、朝鮮咸鏡南道永興郡(現在の北朝鮮)に生まれる。13歳で敗戦を迎え、「38度線」を歩いて超えて、福岡県朝倉郡甘木町(現在の朝倉市)に引揚げるが、その間に父と祖母を失う。当時の体験は小説『夢かたり』などに詳しい。旧制福岡県立朝倉中学校に転入後(48年に学制改革で朝倉高等学校に)、硬式野球に熱中するも、海外文学から戦後日本文学までを濫読し「文学」に目覚める。高校卒業後、東京外国語大学ロシア語科を受験するも不合格。浪人時代は『外套』『鼻』などを耽読し「ゴーゴリ病」に罹った。53年、早稲田大学第二文学部ロシア文学科に入学。55年、小説「赤と黒の記憶」が第4回・全国学生小説コンクール入選作として「文藝」11月号に掲載。五七年、福岡の兄の家に居候しながら図書館で『ドストエフスキー全集』などを読み漁る。58年、学生時代の先輩の紹介で博報堂に入社。自信作だった「ドストエフスキーではありません。トリスウィスキーです」というコピーは没に。59年、平凡出版(現在のマガジンハウス)に転職。62年3月、小説「関係」が第1回・文藝賞・中短篇部門佳作として「文藝」復刊号に掲載。67年、小説「人間の病気」が芥川賞候補となり、その後も「S温泉からの報告」「私的生活」「笑い地獄」が同賞の候補となるが、いずれも受賞を逃す。68年3月、平凡出版を退社し執筆活動に専念。73年に書き下ろした長編小説『挾み撃ち』が柄谷行人や蓮實重彥らに高く評価され注目を集める。89年より近畿大学文芸学部の教授(のちに学部長)として後進の指導にあたる。99年8月2日、肺癌のため逝去。享年67。小説の実作者でありながら理論家でもあり、「なぜ小説を書くのか? それは小説を読んだからだ」という理念に基づいた、「読むこと」と「書くこと」は千円札の裏表のように表裏一体であるという「千円札文学論」などを提唱。また、ヘビースモーカーかつ酒豪としても知られ、新宿の文壇バー「風花」の最長滞在記録保持者(一説によると48時間以上)ともいわれ、現在も「後藤明生」の名が記されたウイスキーのボトルがキープされている

上記内容は本書刊行時のものです。