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「ヤングケアラー」深層へのアプローチ
SNSで出会う、つながり続ける
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2022年11月7日
- 書店発売日
- 2022年10月16日
- 登録日
- 2022年9月2日
- 最終更新日
- 2023年7月26日
書評掲載情報
2025-04-13 |
神奈川新聞
評者: 神奈川新聞ペイドパブ枠で「ヤングケアラー」深層へのアプローチが紹介されました。 |
2024-01-26 |
週刊金曜日
1/26 評者: 1月26日週間金曜日の鼎談に、著者の加藤氏と共に紹介されています。 |
2023-08-11 |
週刊金曜日
評者: 8月11日の週刊金曜日に『「ヤングケラー」深層へのアプローチ』が紹介されました。 |
2023-06-05 |
日本経済新聞
朝刊 評者: 日本経済新聞「風紋」に『「ヤングケアラー」深層へのアプローチ』の著者加藤雅江先生が紹介されました。 |
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紹介
子どもたちは、家の中の「困りごと」をどうにかしようとして、大好きな家族を守ろうと必死に、自分にできることを探します。そしてその探し当てた役割、姿が、私たちの目には「ヤングケアラー」として映るのです。子どもたちは自ら、無自覚に、ヤングケアラーになっているということです。
彼らの声は、なかなか聞こえてきません。なぜなら、彼らの家は閉ざされ、閉ざされることで秩序とバランスが保たれていることが多いからです。家内の「困りごと」を親が隠す時、子どもたちも隠すルールに従って生きています。それでも「つらい」「苦しい」と、SNSを利用して気持ちを吐き出すことがあり、相談を受ける著者には、徐々にその姿が見えてきました。
彼ら、彼女らがいる境遇は様々で、困っていることやつらいこともそれぞれです。だから、本当は「ヤングケアラー」とひとくくりにはできません。彼ら彼女らは「様々な課題を抱えた、支援を求めにくい子どもたち」なのです。
ヤングケアラーの存在を知って、あるいは身近に気になる子どもがいて、「どうしたらいいのでしょう」と声をかけてくる人も増えました。本書は、まさにそういう人に向けての提言です。多種多様な事例を通じて「ヤングケアラー」の深層に迫り、支援のあり方を伝えます。
目次
はじめに
「ヤングケアラー」様々な課題を抱えた、支援を求めにくい子どもたち
第1章 SNSでヤングケアラーの相談を受ける
1.相談室で待っていても会えない_
2.コロナ禍を機にSNS相談を本格化
3.対面相談とメール・SNS相談の違い、大事な共通点
4.「困りごと」を支援につなげたい
5.そのままを認める、受け止める
6.彼らが求めるもの、支援する側にできること
第2章 SNS相談で出会ったヤングケアラーの声
【事例1】「いらないと言えない、聞きたいことが聞けない」
【事例2】「将来の見通しが立たず、不安」
【事例3】「親の機嫌に振り回されて、自分のことを自分で決められない」
【事例4】「自分を大事にするってわからない」
【事例5】「居場所がない」_
【事例6】「家族を壊したくない」
【事例7】「このまま家族に縛られて人生が終わるのかと絶望する」
【事例8】「死んでしまいたい、殺してしまいたい」
【事例9】「直接の相談はできない」
【事例10】「苦しんできたからこそ、今苦しむ人のために」
第3章 見えてきたヤングケアラーの現実
1.ヤングケアラーはどこにいる?
2.ヤングケアラーと家族の風景
3.気持ちに蓋をして生きる日常_
4.他家とは比べられない「家」の姿_
5.子どもたちにとっての「ケア」する意味
第4章 ヤングケアラー支援の5つの視点
1.「困りごと」は大人の課題、責任は社会にある
2.本人と相談して決めていく
3.点から線、そして面へ
4.援助希求能力とエンパワメント
5.社会につながる力、言葉にする力を奪わない
第5章 専門職ならではのアプローチに向けて
1.自戒を込めて、苦い経験を振り返る
2.閉ざされた家庭内のメカニズムに気づく
3.大人と子ども、その境界線を意識する
4.機能不全の原因をふまえる
5.今一度、専門職としての役割を見直す
終わりに
参考文献
前書きなど
はじめに―「ヤングケアラー」様々な課題を抱えた、支援を求めにくい子どもたち
最近、様々なメディアで「ヤングケアラー」と呼ばれる子どもたちが取り上げられることが増えました。各種の調査も試みられています。
厚生労働省のホームページ「ヤングケアラーについて」(https://www.mhlw.go.jp/stf/young-carer.html)では、「法令上の定義はありませんが、一般に、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもとされています」と説明されています。また「ヤングケアラーはこんな子どもたちです」として、一般社団法人日本ケアラー連盟が作成したイラストが示されています。イラストに付されている日本ケアラー連盟の説明では、「家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている18歳未満の子どもをいいます」となっています。
「18歳未満」と明記されていますが、本書では、年齢で線を引くことにはあまりこだわらず、子どもや若者が、生活の中で自分のことより優先して家事や介護を行う状況、ととらえていきたいと思います。ちなみに、「若者ケアラー」という言葉もあり、日本ケアラー連盟の定義では「18歳からおおむね30歳代までのケアラーのこと」とされています。
家族の中で自分を犠牲にしてきた子どもたちの存在にやっと光が当たるようになったのです。
もともと、そういった境遇の子どもたちは多く存在しました。けれども、家族のケアをしたり、家事をしたり、大人を支えたりする子どもは「偉いね」「すごいね」と言われることはあっても、支援の対象とはなってきませんでした。今、やっと、そういった子どもたちが、大人が手助けすべき存在だと意識されるようになったのです。「ヤングケアラー」が、ようやく社会の課題として認識されたといってもいいでしょう。
では、存在が確認された子どもたちに、支援は届いているのでしょうか。
一般に、困っていることが何で、何をしたらいいのかがはっきりしていれば、人は動けます。
2009(平成21)年に政府が初めて相対的貧困率を公表し、今まで表面化していなかった「子どもの貧困」がクローズアップされたことから、日々子どもたちが満足に食事ができていない現実がある、ということが見えるようになりました。子どもたちの「孤食」ということも問題となりました。2016(平成28)年くらいに「子ども食堂」が一気に日本全国に広がったのは、「子ども」「食」「居場所」という問題解決のキーワードがわかりやすく、支援も具体的にイメージができたからだと思います。
もちろん、これは入り口の話であって、子ども食堂がその後、学習支援の場になったり、多世代交流の場になったり、必要に応じていろんな形に発展していったのは、動いてみて初めて見えるものがたくさんあったからだと思うのです。その見えてきたことを新たに取り上げ解決しようとする、そして、その活動からまた支援の在り方や必要な施策が生まれてくる、という循環がありました。
それに対して、ヤングケアラーという課題は、その存在が明らかになっても、入り口となる「困りごと」すら見えにくく、問題が複雑で、支援する側も何をすればいいのか手さぐりになります。気になりつつも、なかなか家の中のことまで口を出しにくい。また、周りは気にしていても、当の子どもたちは「ヤングケアラー」の自覚がないことも多いのです。親も、外からの支援を受け入れようとしないこともあります。
私は、病院の医療ソーシャルワーカーとして職業生活をスタートさせ、相談支援の仕事に携わることになりました。でも、相談窓口で待っているだけでは、困っている人の生活全体を見ることはできず、時折ヤングケアラーらしい子どもに出会っても、その本当の「困りごと」を見極めることはできませんでした。そこで、地域の中に出てみようとNPO法人を立ち上げ、子ども食堂などの居場所を通して人々の声を聴くことを始めました。現在は、大学でおもに精神保健福祉士の養成に携わっていますが、NPOの活動はずっと続けています。また、以前から受けていた電話やメールでの相談に加え、コロナ禍になってからはSNSでの相談を多く受けるようになりました。
そうした経験の中、たくさんの子どもたちから多くのことを教わりました。聞かせてもらったことを発信し、彼らの支援に生かしていくことが私たち専門職の役割だと思いました。「困りごと」を抱えた子どもたちが声を上げることは本当に難しいことなのです。話を聞かせてもらった者として、その責任を果たしたい、そんな思いからこの本を書くことになりました。
ソーシャルワーカーとしての仕事を始めて最初に思ったことは、自分の物差しなんて本当に役に立たないということでした。自分の「あたりまえ」、自分の価値観、自分の生活の基準、それらすべてのことが、目の前にいる人にとっては意味のないことであり、人を理解しようとするにはかえって邪魔なものになりました。その人を知りたい、その人の「困りごと」を一緒に考えたい、そう思う時にはまず、話を聞かせてもらうしかないのです。
その人の生活を、大事にしていることを、教えてもらう。そのうえで、「困っているのはこんなこと?」と確認し、「何があれば助かる?」「何がなければいい?」と聞いていきます。考えてみれば、これは人を支援する時にはあたりまえのことです。「まず本人ありき」。でも、最近では、そんなあたりまえのことが、ふだんの生活でもできなくなっているような気がします。「困りごと」すら、周りに勝手に決め付けられて、強引に解決策を渡されてしまう……。
子どもたちの力になりたいと思っている人へ。
ヤングケアラーの存在を知って、あるいは身近に気になる子どもがいて、「どうしたらいいのでしょう」と声をかけてくる人も増えました。まさにそうした人に向けて、この本を書いています。
まずは個々の子どもと出会い、その子を知ってください。知ることで、何をしたらいいのかが見えてくるはずです。
彼ら、彼女たちがいる境遇は様々で、困っていることや、つらいこともそれぞれです。だから本当のことをいうと「ヤングケアラー」とひとくくりにしてしまうことは、私自身不本意です。というより違和感がある、抵抗がある、もやもやしてしまうという感覚です。
本書では、便宜上彼らを「ヤングケアラー」と表現します。でも、「様々な課題を抱えた、支援を求めにくい子どもたち」と読み替えてください。
本来、子どもたちの間には線引きはありません。課題があろうとなかろうと、困っていようとそうでなかろうと、大人が子どもたちの声に敏感で寄り添うことができる社会が必要なのです。線を引いて区別をしてしまうことで、「困りごと」はいっそう、見えにくくなります。そして、ステレオタイプの理解の仕方は人を傷つけます。
私自身、子どもの居場所を地域の中に作ろうと子ども食堂を始めた時に、「子ども食堂に行くのはかわいそうな子どもたちだから、一緒に遊ばせないほうがいいですか」という質問をSNS上に見つけ、愕然としました。何か動こうとすると、そのことによって新たな分断を生んだり、スティグマ(差別や偏見、屈辱感や劣等感の烙印を押すこと)を生じさせてしまう、だから、私は、線を引かず「誰でもどうぞ」の居場所にしていこう、と決意しました。
親に頼まれて家族の「困りごと」を肩代わりしている子どもはほんの一握りだと思うのです。みんな、家の中の「困りごと」をどうにかしようとして、大好きな家族を守ろうと必死になって、自分にできることを探します。そしてその探し当てた役割、姿が、私たちの目にはヤングケアラーとして映るのです。子どもたちは自ら、無自覚にヤングケアラーになっている、ということです。
ヤングケアラーだと周りにラベルを貼られて支援につながることと、子どもたちが自身の「困りごと」に向き合い、自身をヤングケアラーだと認識して支援を求めてくることは、まったく意味が違うのです。
そのことをいつも頭の片隅に置いてください。
なぜ、子どもたち自身が声を上げにくいのかを、この本を通して考えていきましょう。そして子どもたちが声を上げにくいのであれば、自分の「困りごと」は隠す必要がないのだと思えるような環境を作っていきましょう。
見ようとしなければ見えてこないもの、知ろうとしなければ知ることができないことを、一緒に探せる仲間を増やしていきましょう。
2022年9月
加藤雅江
関連リンク
https://honnotane.com/?p=2895
上記内容は本書刊行時のものです。