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昭和からの遺言
次の世に伝えたい もう一つの世界
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2016年2月
- 書店発売日
- 2016年2月18日
- 登録日
- 2016年1月18日
- 最終更新日
- 2019年1月7日
紹介
昭和史を総括して日本と世界の未来を照らす「もう一つの宇宙」。学習院大学で天皇と同期だった著者が、今だから聞きたい「天皇のお言葉」を綴る。
目次
まえがき 6
思い出すこと 8
第一章 もう一つの地球 11
もう一つの地球/皇太子の誕生/満洲国の前史/満洲国の建国/リットン調査団 /国際連盟からの脱退/ヒトラーの登場/万里の長城/二・二六事件/ベルリン・オリンピック
第二章 盧溝橋の銃声 33
盧溝橋の銃声/事変という名の全面戦争/南京では何が起きたのか/国民政府を相手にせず/国家総動員、ノモンハン事件、そして第二次世界大戦/紀元は二千六百年/ABCD包囲網と日独伊三国同盟
第三章 運命の昭和十六年 49
運命の昭和十六年(その一~四)/大東亜共栄圏/東京初空襲の衝撃/ミッドウェイ海戦の悲劇/山本五十六の使命/遠すぎた島ガダルカナル(その一~二)/大東亜共栄圏と軍票/ドイツの戦いとユダヤ人絶滅計画
第四章 アッツ島の玉砕 75
アッツ島の玉砕/山本五十六の戦死/名ばかり独立と大東亜会議/マッカーサーの飛び石作戦/国家総動員の効果と限界/日本海軍の落日マリアナ沖海戦/サイパン島軍民玉砕の悲惨/インパール作戦とノルマンディー上陸/東条内閣総辞職と終戦工作の不発/敗戦つづく台湾沖そしてレイテ島
第五章 戦争は本土に迫る 97
戦争は本土に迫る/戦火はフィリピンから沖縄へ/B29の翼の下で/硫黄島の星条 旗/進まない終戦工作の間に/沖縄にとっての「皇国」とは/首里攻防の激戦/戦陣訓の呪縛/終戦は禁句でなくなったが/ポツダム宣言の背景と日本の反応
第六章 そして「玉音放送」が終戦を告げた 119
そして「玉音放送」が終戦を告げた/終戦放送でも戦争をやめないソ連軍/東久邇宮内閣と「一億総懺悔」/マッカーサーと対面した天皇/戦争で死んだ人の数/治安維持法で獄死した人々/五大改革指令と共産党の再建/天皇の人間宣言/日本国民にとっての終戦とは
第七章 天皇の守護神となったマッカーサー 139
多忙だったマッカーサー/東京裁判は何を裁いたのか/日本国憲法の作り方/天皇の全国巡幸に見る国民との関係/戦争に負けた天皇の気持/天皇の守護神となったマッカーサー/マッカーサーは得意の絶頂にいた/短い平和と冷戦の始まり/朝鮮戦争の悲劇
第八章 講和条約と日米安保条約 159
マッカーサー後と講和条約への道/講和条約と日米安保条約/独立の回復と皇太子の成人式/もはや戦後ではない/新幹線が走ってもオリンピックを開いても/ジャパン・アズ・ナンバーワン/バブル崩壊と昭和天皇の崩御
第九章 昭和天皇との会話 175
もう一人の皇太子/皇太子建仁親王の即位/昭和天皇との会話/激変する世界の中で/冷戦の終りとアメリカの一極支配/民主党政権という一瞬の夢/民主党政権を倒したものの正体/安倍晋三と自民党の憲法改定案
第十章 昭和からの遺言 193
天皇は憲法を尊重する義務を負う/天皇の統治は虚構であったのか/祈る者としての天皇(その一~三)/三種の神器と天皇の地位/昭和の時代とは何だったのか(その一~六)/次の世に伝えたいこと(その一~六)/昭和からの遺言/人は宇宙と同じ大きさになれる
あとがき 235
*表紙写真
愛馬「白雪」に乗り、陸軍様式大元帥正装を着用して代々木練兵場で行われた「天長節」(天皇誕生日) の観兵式に臨み、閲兵する昭和天皇。「東京日日新聞」1937年4月30日付夕刊一面に掲載。表紙写真他提供・毎日新聞
前書きなど
まえがき
この本は、最初は小説として書くつもりだった。昭和史において、もしも天皇が史実とは異なる行動をとって、無謀な太平洋戦争に突入するのを回避していたら、日本の今はどうなっていたかを想像してみたかった。
第二次世界大戦をヒトラーのドイツに任せて中立を守っていれば、ドイツは遅かれ早かれ敗退し、日本はアメリカに対して「絶対に戦わない」という保障を与えるだけで、生存に必要な程度の譲歩は引き出すことができたろう。その場合は、中国大陸への権益はほとんどそのままで、日本海軍は無傷のまま西南太平洋を支配していられた。朝鮮も台湾も千島列島も南洋群島も、もちろん日本の領土である。この状態で第二次世界大戦後を迎えたら、日本は戦後世界で大きな発言力を持つことができたに違いない。
ただし、二度にわたった世界大戦への反省は不徹底に終って、国連憲章のような不戦の誓いを、世界共通の認識にするまでにはならなかったかもしれない。民族自決の権利や、戦争による領土拡大禁止の原則は、一応は確認されただろうが、アジア解放を国是としていた日本が、素直に大陸から兵を引いたとは思えない。日本の存在は、新しい不安要因として、二十世紀後半の世界に影を落とした可能性がある。
このとき日本に「名君」がいて、アジア諸国の独立を助けることに徹した上、決して武力に訴えることなく、先進諸国の信頼も集めて「国際連盟」を進化させた「国際連合」創設の中心メンバーとなり、現在の世界と接続させるといった「あらすじ」を、漠然と考えていたのだった。ところがこの構想には無理が多すぎた。朝鮮の独立はまだしも、千島や台湾を失ったことの説明が難しい。
書き始めてすぐ、昭和史を教訓として未来へ残すには、敗戦までの歴史的事実に手を加えるべきではないと気がついた。むしろ学校教育でも現代史の部分が貧弱と言われている中で、若い世代が半日で読める程度の長さにまとめておくことに意義があると思い直した。この目的変更は、ブログへの連載形式で書いている途中で進行し、私は一日ごとの苦しい切り抜けで「自分は何のために書くか」を悟ったと言ってよい。
しかしこれは史実そのものの抜き書きではない。かつて国の総力を挙げて誤った道へ踏み込んだ愚行を、絶対に二度と繰り返すことなく、その教訓を世界人類の未来に生かすための「祈りの書」である。その祈りに力を与えるために、私は日本の国にしかいない高貴な人の立場を借りたいと思った。
だからこの部分については、これはフィクションである。私たちは想像の翼によって「もう一つの平和な世界と宇宙」に向かって行くこともできるのだ。
思い出すこと
大学の同期生が集まる同窓会に行くと、今でも「あの人」のことが話題になる。「あの人が出てきて天皇陛下って言われると、今でも違和感があるわね」というわけだ。あの人は、私たちにとっては「皇太子」か「殿下」か「チャブさん」だった。私たちは英文科で、皇太子さんは政経学部だから学部は違うのだが、教養課程では同じ科目を取ることもあった。それに、英文科は学習院の女子部からきた女子も多いから、なぜか皇太子さんと親しげに会話する人もいた。学内にいる限り「あの人」は、ちょっと気になる同期生の一人という位置づけだったと思う。
皇太子さんの身辺には常に数名の「ご学友」がいたようだが、SPなど特別な警備がついている気配はなかった。私たちは特別なご学友でもないから、 あまり気にせずに、 出会っても自然体でいるのがいいというのが、暗黙の合意だったような気がする。それは先生も同様で、戦後に皇室のために尽力したと言われるブライス教授も、授業の終りぎわの雑談で「これからクラウン・プリンスの家庭教師に行くが、このままノーネクタイで行く」と言っていた。詩心に飾りは不要という話のついでだった。
そんな中で、 私にも一つの思い出話ができた。昼休みに卓球場で英文科の女子と打ち合っていたところ、受け損なって後ろへそらした球を、ワンバウンドで受けてスマートに投げ返してくれた男子がいた。「どうも」と会釈して顔を見たら、皇太子さんだったので一瞬驚いた。知らぬ間に後ろで次の番を待っていたのだ。そのとき、近くにいた「ご学友」らしい一人が、ニヤリと笑顔を見せたのが記憶に残っている。
それだけのことで自慢にするわけもないのだが、皇太子「殿下」がその瞬間、ごく自然に反応して親切を示して下さったことについて、温かいものを感じたのは事実である。私は父から「建世」と名づけられていた。満洲国建国の翌年に生まれたから、国よりも大きくしたという説明だったが、やや重荷な名前ではあった。その影響かどうかは知らないが、少年期に「自分が天皇だったら」という空想をしたことはある。それ以来、天皇の名において行われた悪を憎むことはあっても、天皇に悪意を抱いたことはない。
英文科の同窓会では、冒頭の話題が出てくると、決まって次のような流れになって終るのだ。「あの人を見ていると、自分が年をとるのもしょうがないと思うのよね」と。だが、私たちには、人類最後の世界戦争を見てきた者として、恒久平和の価値を間違いなく次の世代に伝えておかないと、死んでも死に切れない思いがある。その思いを、「あの人」の立場で代弁するように書いてみたらどうなるのだろう。あのときの「殿下」は、今も同じように穏やかな顔で許して下さらないだろうか。
版元から一言
小社の『少国民たちの戦争』をはじめ、戦争体験をされた最後の世代として何冊も執筆されてきた著者が、最後の遺言として残される昭和史の総括です。明仁天皇と大学で同期であったことから、「遺言としての天皇の言葉」として語るところがユニークな記述になっている。
上記内容は本書刊行時のものです。