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同時代美術の見方
毎日新聞展評 1987-2016
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 書店発売日
- 2022年11月24日
- 登録日
- 2022年10月30日
- 最終更新日
- 2022年12月2日
紹介
同時代の美術を見続けて30年、本書は世紀末から新世紀はじめまで、毎日新聞の三田晴夫記者による展覧会評(展評)を時系列に集大成したものである。過去を扱う歴史的な展覧会ではなく、ただいま現在われわれの目前に生起する美術、まさに同時代の美術を対象とした記録集であり、美術の「いま」という歴史の記録集ともなっている。
個展からテーマ展、美術館から画廊街、ときに海外のビエンナーレなど、内外の美術状況をつぶさに目撃してきた記者の眼は展覧会の作品に何を見てどう論じてきたのか。その記述は、作品にこめられた作者の意図を解きほぐす過程で読者に考える契機を投げかけると言う姿勢で一貫しているだろう。一般社会面での美術報道といえば、技術を誇る流行の超絶技巧、あるいはオークションの高額落札値など、ポピュリズムに傾くものなどの多いのがこの国の実情だ。概ね一時の興奮で終わるそうした報道の裏面に着実に根を下ろし活発な展開を繰り広げているのが今や世界水準と言われるわが国の現代美術である。
ここに収録された1000件余の個展評は、自己表現を超えた真の芸術表現とは何かを問うことで貫かれているが、そうした中で繰り返し問い続けられる問題もまたある。「ガラクタの反芸術」に象徴される60年代、現代美術の前衛たちが一旦は追いやった絵画は何ゆえにその彼らによって復権を果たしえたのか。あるいはまた、返還後半世紀を経てなお一括公開されない戦争画とは何かなど、観念主義とミニマルアートという表現の極限を迎えた70年代を経て80年代から90年代にかけて、反西欧主義と異文化への眼差しを含む多元主義の時代へと激変する現代美術史を一記者の眼から、いわば定点観測だから見えてくる芸術表現の展開の軌跡が本書である。芸術作品の機微に触れるとは作者と作品を通じて考える時間を共有することでもあるだろう。美術の「いま」を問うことは未来の価値を生み出すことにつながるとの確信の下に。
前書きなど
「本書より」ノートから:なぜ現代美術なのかと自問して(三田晴夫) 「実物には少しも心を動かされないのに、人はそれがそっくりに描かれているだけで感嘆する。そのように皮肉ったのはパスカルだという自分の走り書きを、ぱらぱらとめくっていた古い取材ノートの中で見つけた。今月末で美術担当記者としての現役を退くため、職場の机まわりを片づけていた時のことである。
彼の著作なぞ読んだためしはないので、たぶん美術評論書を介して、それがパスカルの言葉であると知ったのに相違ない。絵画や彫刻における人物像の変遷について、文章にする必要に迫られていたらしく、その走り書きの周辺にそれらしい種々のメモも書き記されていた。
パスカルが冒頭の皮肉を呈したのは、絵画は対象の情報をたっぷりと盛り込んで描かれるのが当然とされた時代であった。しかし、偉大な頭脳の放つ風刺は、時代を経ても古びないのはさすがである。表現を少しいじるだけで、それは現代の状況に対しても見事な警句となり得るからだ。
実物には少しも心を動かされないのに、人はそれがそっくりに描かれていないだけで憤慨する、というように。そう、20 世紀以来、絵画も彫刻も対象描写から一気に遠ざかった。従来の美術愛好者には、それは度しがたい変化だったろう。「現代美術はわかりにくい」という執ような批判も、このあたりに起因している。美術を受け持った 28 年間、そんな「わかりにくい」現代美術のウォッチングを続けてきたのはなぜか。パスカルの言葉は、改めてそのような自問を促したのである。自分は決して、時代の最先端に立つ新しさを信奉してやまない進歩主義者ではなかった。はたまた現代美術への偏見や誤解をいさめようとする、啓蒙的伝道者を志したわけでもなかった。
ただ、美術を価値づけるのに、「わかりやすさ/わかりにくさ」が基準となっていることが、とても奇異に思えただけなのだ。その基準が結果的に、常識や通念の殻を破ってはばたこうとする、しなやかな精神や想像力の芽をつみ取ってしまいかねないことが。退役してからも、この違和感だけは手放さずにいたいと思う。」
版元から一言
国の内外を問わず、美術館博物館では作品が公開されており、画廊・ギャラリーでも「美術作品」が常に生み出されています。本書は三田晴夫氏個人の現代美術作品との出会いの日録というものです。本書を読み、使い古された常套句ではありますが、本書を持って美術館・画廊に出かけてみませんか!
上記内容は本書刊行時のものです。