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万葉集の筑波山
- 初版年月日
- 2021年10月20日
- 書店発売日
- 2021年10月20日
- 登録日
- 2021年6月21日
- 最終更新日
- 2023年2月27日
紹介
日本最古の歌集『万葉集』に、筑波山の歌は25首詠まれている。それは、奈良の都のあった大和三山や、富士山など、どの山よりも多い。
しかし、これまで筑波山の歌の解釈は、充分に尽くされてこなかった。筑波山の麓に生まれ、育った郷土史家の著者が、長年の研究を基に、地元ならではの視点を加え独自の解釈を試みた。
目次
『万葉集の筑波山』に寄せて 門脇 厚司(筑波大学名誉教授)
はじめに
第1章 筑波山における祭祀の歌(5首)
第2章 高橋虫麻呂の歌(5首)
第3章 遠妻を思う歌(2首)
第4章 防人の歌(2首)
第5章 筑波山を衣と見た歌(2首)
第6章 さまざまな恋の歌(6首)
第7章 嬥歌の歌(3首)
第8章 民謡としての東歌の世界
あとがき
前書きなど
筑波山は関東平野の北に位置する。周囲に遮るものは何もない。山頂からは関東平野を一望にすることができる。また筑波山は、ひとつの山体に二峰を頂く山容が、古くから男女の神の山として崇められてきた。ランドマークとして、信仰の山として、筑波山は傑出した地位を占めてきた。
『万葉集』は、古代の歌集である。七、八世紀頃の歌四千五百首が集められている。奈良の都の人々の歌が中心であるが、地方の人々の歌もある。とりわけ東国の人々の歌、いわゆる東あずまうた歌は巻十四に収められている。
その『万葉集』の中に筑波山の歌は二十五首ある。富士山の歌は十二首(異文歌を含めれば十五首)である。大和三山は奈良の都に近接し、都の人々に愛めでられたはずだが、香具山は十三首、畝傍山は六首、耳みみなしやま梨山は三首である。吉野・春日・三輪の歌の数には遠く及ばないとしても、筑波山の二十五首は、山を詠んだ歌としては、意外に思われるかもしれないが、日本一多い。
その二十五首の内訳は、都みやこびと人が筑波の地に来て詠んだのが十一首、在地の常ひたちのくに陸国の人々が詠んだのが十四首である。都人の歌は、常陸の国府の役人として赴任して来た高橋虫麻呂の作が長歌、短歌合わせて七首、丹比真人国人の歌が長歌、反歌各一首、外に作者不明の歌が二首ある。筑波山の名が都の人々にも知られていたことがうかがわれる。
地元の人々の歌は東歌が十一首、防人歌が三首である。常陸国の東歌は十二首採録されているが、このうち十一首が筑波山の歌である。これを上野国と比較してみると、上野国の歌は二十五首あり、その中でもっとも多い伊香保山の歌は八首である。常陸国において筑波山が占める重みが、理解されるだろう。
このような筑波山であるからこそ、深田久弥氏は日本百名山から筑波山を外すことはできなかった。『日本百名山』の中では筑波山は最も低い八七七メートルである。「筑波山を日本百名山の一つに選んだことに不満な人があるかもしれない。高さ千米にも足りない、こんな通俗的な山を挙げるくらいなら、他にもっと適当な名山がいくらでもあるのではないかと。しかし私があえてこの山を推す理由の第一は、その歴史の古いことである。」として、『常陸国風土記』や『万葉集』の昔から、語り継がれ、歌い継がれてきた筑波山の歴史の古さを推称する。
歴史的な文化遺産が今日に残るのは、総じて偶然の賜たまもの物である。いくつもの偶然が重なり、錯さくそう綜して、今の世に残った。しかし、これは結果論だが、残ったものは歴史の淘汰を経て残ったのであり、残るべくして残ったとも言えるだろう。
筑波山の好立地と厚い信仰と、それが筑波山歌二十五首を成立せしめ、遺存せしめた理由である。古代の人々が、筑波山とどう関わってきたのか、それを明らかにすることによって、二十五首の歌の意味するところを究めたいと思う。
なお本書における歌の掲載は、『万葉集』における順序には従わない。一覧にすると次表の如くである。これは一冊の本としてストーリー性を持たせるための試みである。
版元から一言
万葉集に収録されている筑波山の歌は、25首と多いものの、万葉学者をはじめとし、これまで正当な評価を受けてこなかった。
本書は、筑波山麓に生まれ育った著者が、40年以上にわたる文献資料の評価研究を踏まえ、自ら筑波山の考古学資料の発見や現地調査などを基にその実像を明らかにしたという点で、これまでにない万葉集研究の画期の書といえる。
万葉集の筑波山の歌が正当に評価されなかった背景に、古代の東国は未開の地であるというれ固定観念がある。とくに、筑波山が11首も歌われている巻14の「東歌」は、無名な詠み人によりうたわれたことから、その歌の意味、歌が詠まれた場などが謎に満ち、多くの誤解を与え、間違った評価につながったと著者は言う。
本書は、筑波山を男女二神の神の山と位置づけ、嬥歌(かがい)という独特な歌の場があった古代以前の実像に迫る。と同時に、東歌をはじめその歌をうたわざるを得なかった無名な人々の姿を浮かび上がらせる。それは、歴史修正主義をいとも簡単に許してしまう現代への警鐘でもあり、正しい歴史認識に向けた地方からの挑戦ともいえる。
上記内容は本書刊行時のものです。