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悲しみの夏 菊地 慶一(著) - 中西出版
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悲しみの夏 (カナシミノナツ) 北海道空襲を忘れない (ホッカイドウクウシュウヲワスレナイ)

歴史・地理
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発行:中西出版
A5判
縦210mm 横150mm 厚さ13mm
重さ 262g
154ページ
並製
定価 1,300円+税
ISBN
978-4-89115-414-1   COPY
ISBN 13
9784891154141   COPY
ISBN 10h
4-89115-414-4   COPY
ISBN 10
4891154144   COPY
出版者記号
89115   COPY
Cコード
C0021  
0:一般 0:単行本 21:日本歴史
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2022年7月1日
書店発売日
登録日
2022年6月24日
最終更新日
2022年7月11日
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紹介

あなたに伝えたい。
戦争の“愚かさ”と“恐ろしさ”

敗戦のひと月前の1945年7月14日と15日の2日間、北海道に大規模な空襲があった。
戦後80年が近づき、空襲や戦時の記憶をはっきりと抱えている人が少なくなりつつある今、忘れてはならないという思いで焦燥と警告を込めて書き綴ったエッセー集。

「北海道空襲」は大戦末期に計画され、現在3000人近くの犠牲が判明している。
少年期に釧路で空襲を体験し、その後北海道空襲や戦後開拓、流氷や捕鯨など、庶民史に関わる著作を書き続けてきた著者が、北海道の歴史にとって唯一の戦禍を今一度思い出し、伝え残さねばならない時代のために記した書。

目次

はじめに

第一章 空襲の日
光る機影――B29の偵察飛行か
B29は飛んで来なかった――七月一五日
あっ、グラマンだ――米軍機の代名詞
防空壕に逃げる――念仏を唱えるお年寄り
防空壕の生と死――壕で死んだ人々
空襲の日の天候――晴れか曇りの分かれ目
青函連絡船全滅――津軽海峡の悲劇
木造漁船への攻撃――逃げられない海上で
機銃掃射の恐怖――艦載機の空襲
計根別飛行場――根釧原野に五カ所も
結婚式の最中に爆弾――石狩空襲の悲劇
札幌にも空襲が――機銃掃射で死者

第二章 犠牲者たち
北海道空襲犠牲者の数――なぜ増えたのか
室蘭の艦砲射撃――一トン爆弾八六〇発
御真影を守るために――奉安殿の記憶
全島の御真影を集めて――奉護壕を造った沖縄
あの子たちがいた七月――子どもたちの犠牲
センセイニアイタイ――白糠空襲
望来空襲で死んだ子どもたち――なぜ小市街地に
氏名不詳者はなぜ――ぼうだらを持った少年

第三章 空襲の後で
空襲資料の湮滅――敗戦で焼却される
絶唱――老父の短歌
綿入れを着て――藤原順子さんの言葉
炭鉱空襲の不思議――炭鉱町の被害は
炭鉱空襲の謎――俘虜収容所との関わりは
強制連行の人たち――朝鮮人、中国人の犠牲
またかの提出見送り――空襲被害者救済法案
陸軍病院防空壕で――地獄絵図の行方

第四章 戦時という時代
アメアメ、フレフレ――勤労動員の女学生
農村青年に召集令状――六人の少年兵の死
軍国の母――崖端で泣いた少年兵の母
少年兵の遺書――土地への執着
空襲の新聞報道は――軍司令部の検閲
ボートが流されて――春採湖で
朽ちていくトーチカ――迎撃もなく標的にもならず
トーチカを掘る――網走市鱒浦の林の中で
銃後を守る防空演習――国防婦人会
イタンキ浜で泣く砂――空襲犠牲者の声
机を並べた朝鮮の子――楊君と金君
イモころを食う――空襲当時の食糧難
空襲時の家庭の心得――戦時は狂気の時代
戦時中のことば――言葉の言い換え
戦時色が伝わる――小学生の日記

第五章 空襲を伝え残す
開戦の日――戦争の時代を生きて
樺太(サハリン)空襲――一〇〇人以上の豊原の死者
湿原のフローラ――愛し子の幻影
米軍の損害――敵も味方も命を失う戦争
三船遭難と交換手九人の死――敗戦後の悲劇
空襲警報と警戒警報――木製看板の謎
天災地変人禍――北海道の災害と文学
潜水艦からのロケット弾――斜里町の艦砲射撃の真相
空襲記念日の集い――全道各地の慰霊
子どもたちの目――空襲の話を聞いた感想

あとがき

前書きなど

あとがき
 北海道空襲は、来たる2025年に80周年を迎えます。その頃、当時10歳より上の年齢で、空襲や戦時の記憶をはっきり抱えている人が、どれだけ残っているか分かりません。恐らくわずかになっているでしょう。10歳以下や幼児だった人々でも、空襲は記憶されておられるでしょうが、直接の記憶は薄らぎ、祖父母や父母から聞かせられた記憶と重なっているかと思います。空襲は日々に遠いものになりつつあります。
 釧路空襲を13歳で体験した私は現在90歳、もう目や耳が衰えて、文章を書くことも苦労になってきました。それで、今年は空襲から77年という中途半端な年月ですが、この『悲しみの夏』を書くことにしました。
(中略)
 北海道空襲や戦争記録は多くの記録が残されていて、今更新しく書き残すものはないにもかかわらず、今回再び北海道空襲をエッセー風に書き残すことは、老いの妄言と言われるかもしれません。しかし戦争という時代に育った人生を送らざるを得なかった世代の人間として、戦争で犠牲になった人々を忘れないという一徹で、この小冊子を発刊することにしました。
 誰もが知っているはずの北海道空襲も、いまだ「えっ、北海道にも空襲があったの?」と聞かれることがありますし、たとえば「本土空襲全記録」という本の中で、北海道という名が出てくるのは、ただ1カ所「――沖縄占領後には、膨大な数の戦闘機、爆撃機が日本上空を飛来し北海道や九州東北の小さな町までくまなく空襲が行われた。…」という程度です。
 確かに北海道空襲は2日間だけのもので、犠牲者の数も本州各地の大空襲に比べて少ないかもしれません。記録の上では、取るに足らない規模だったということなのでしょうが、北海道の災害の中で、人間が起こした人災であるはずの戦争の災禍を、忘れるべきではありません。
 これを書いている現在、ロシアがウクライナに侵攻するという戦争が行われています。叡智を持ったはずの人類が、今もなお愚かな戦争を続けることを、絶対に認めず、戦争を完全放棄する世界が来ることを願うばかりです。

著者プロフィール

菊地 慶一  (キクチ ケイイチ)  (

昭和7(1932)年旭川市生まれ。90歳。
昭和20(1945)年13歳の時に釧路市で北海道空襲を体験する。北大雪の山村に疎開し、戦後開拓を体験する。その後オホーツク管内の小学校、高等学校に勤務する。網走市に在住した44年間に流氷記録、北海道空襲、戦後開拓、捕鯨、童話など多数を執筆出版する。林白言文学賞、北海道新聞文化賞などを受ける。2013年から札幌市在住。
主な著書に『北海道空襲―1945年7月14・15日の記録』『もうひとつの知床―戦後開拓ものがたり』(以上北海道新聞社)、『流氷―白いオホーツクからの伝言』(響文社)、『街にクジラがいた風景-オホーツクの捕鯨文化と庶民の暮らし』(寿郎社)、『沖縄で骨を掘る』(オホーツク書房)、『黄色い川』がある。

上記内容は本書刊行時のものです。