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米寿を過ぎて長い旅
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2020年6月18日
- 書店発売日
- 2020年6月15日
- 登録日
- 2020年5月20日
- 最終更新日
- 2022年3月14日
重版情報
2刷 | 出来予定日: 2020-08-18 |
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紹介
「ひとりを楽しむ」「ひとりで生きる」「老いを味わう」ことにこだわり続け、「老後という長い時間をどう生きたらいいのか」という中高年の問いに答え続けてきた著者にとっては、米寿を過ぎても他者への興味は枯れることはない。
海外を訪れた時の驚きと興奮、国内の秘境に降り立った記憶、時事問題から、スポーツ、宗教、芸術、文学、歴史、人物、果ては人のみならず、動物へ植物へと、その思索と想像の翼は休むことなく羽ばたきを続ける。
そして、仏教をベースにした宗教家の顔が随所に現れる。生きるということ、老いるということ、死を迎えるということの意味を自らの生老病死に重ね合わせて、日本人の本質に迫っていく。自らの半生を振り返って自伝風とも言える「―序にかえて―『ひとり』のやぶにらみ」は味わい深く、また山折大原案の「くり童子」の可愛らしいイラストがほのぼのとした雰囲気を醸し出している。
目次
―序にかえて―「ひとり」のやぶにらみ
第一章 時空を超え
ヘルペスと人情話/天上の音楽/開眼、閉眼、半眼/ふたたび半眼について/幽体離 脱 奇跡の生還/骨噛み/お婆さんのお念仏/ロック嫌い/咸臨丸の後日談/伊藤比呂美という詩人の面白さ/二重国籍者/リニア新幹線/「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」 「東北沈没」/愛媛、久万高原の「投入堂」/「天女」と「森」の物語/羽生結弦とマイケル・ジャクソン/発想を転換するとき/パリの大聖堂と森
第二章 「ひとり」の八方にらみ
美空ひばり―叙情の旋律―/ひばり歌謡10選/三つの時間と無常/乾いた無常、湿った無常/「座の文化」を再考する/宴の松原/京都千年の歳事は京都一極集中/「善」と「悪」の勝負―日本人の宗教観―/師殺し、主殺し/『夕鶴』について/富士の山とスカイツリー/一と1/潮流体験と遍路の旅/啄木の歌碑/サルとヒト/神の死/「忖度」騒動を診察する/紫式部と夏目漱石の違い/恨の五百年/「象徴翁」の誕生/罪か赦しか
第三章 目には花
視力の衰えとともに/勝持寺の西行桜/草の化けた花/佐渡の落日/「美しい目」から「可愛い目」へ/一目妖怪/ガンジス川で散骨/マザー・テレサとの出会い/微 醺のバラ/主役を花に/タテ・ヨコ・タテの道徳観/天上の花園/鎮める香り、煽あおる香り 六角堂の夢/花降る海/父と花/いまを生きる聖ひじり/小さな星条旗/「はんなり」の奥行き/木の葉、舞う/まぼろしの花、まぼろしの人
第四章 静かな覚悟
「残心」と「無心」/佐久間艇長と漱石/広瀬中佐と漱石/大将の度量と副官の器/仇討ちの現実/北条時頼と「鉢の木」/支倉常長の船出/藤原道長の浄土/高浜虚子と柿二つ/アルツハイマー病の告白/ブッダ・フェースとオキナ・フェース
―あとがきにかえて― 京都の空の下で逝く
前書きなど
―序にかえて―「ひとり」のやぶにらみ
「ひとり」を手にするには時間がかかる
まだ二〇代
仙台でうろうろしていた
下宿住まいの貧乏学生
ときどき 持病の喘息の発作がおきた
喉をぜいぜいさせ 横臥していた
やがて同人仲間がやってきて、せまい枕元で安酒の宴会をひらく。世間話、噂話、面罵・嘲笑・悪口のかぎりをつくし、口角沫を飛ばして酔い痴れ、またたくまに退散していった。
ひとり つぶやいていた
「幸せ になんか なるものか」
ひとりへの墜落 ひとりへの郷愁
三〇代
結婚して 息子ができ 東京にいった
職はきまらず 居場所も不定のまま
非正規雇用の空間をさ迷い歩いていた
鬱屈し、血が頭にのぼってくると、よく散歩に出た。下駄をはき、郊外のたんぼ道、人気のないところを選んで歩いていく。わけもなく咆哮し、ただ歩くだけ。胸のうちにあふれてくる噴気を吐き出し、歩きに歩く。
ときに、雨が降ってきた。それでもペースを変えずに歩く。いつしか涙が頬を伝っている。鼻汁とまじり、雨滴と合流し、唇をぬらして、口の奥に入っていった。喉を降って、腹の底に落ちていった。
陽がかげる頃、集合住宅1DKのわが家にもどる。風呂場で水をかぶり、あとは焼酎を飲
み続けて、寝床にひっくり返る。
翌朝、脳髄から正体不明の毒気が抜けていた。ひとりを手にするには、時間がかかる。とにかく無駄な時間がかかる。だが、その至福の時間も、あっというまに去っていった。
四〇代
またとない 地獄の季節
非常勤講師のはしご はしご はしご
人 人 人と出会い
ぶつかり 口論し 別れていた
東京市内を ところかまわず かけずり廻っていた
ただ打ちのめされて
お前はひとりだ、ひとりだ、たったひとりだ、天の声がいつもきこえていた。天上天下唯我独尊と、いつも唱えていた。いつもつぶやいていた。毒気も噴気もまだ抜けてはいなかった。
ロダンの「考える人」、広隆寺の「半跏思惟像」が、いつになっても頭から離れない。まさか、猿から進化しただけのものではないだろう。それどころか、ひとりでいることの、典型像のように思いこんでいた。
彼はひとりで、いったい何を考えているのか。彼女はひとりで、いったい何をしようとしているのか。だが、東京は、そんな貧寒なひとりの問いには、何も答えてはくれなかった。答えてくれるはずもなかった。
答えは、うずくまるようにひとりで自閉していると、突然にやってきた。「考える人」は、考えることをやめるときは、腰を上げ、立ちあがり、直立歩行に移るだろう。だが「半跏思惟像」は、考えることをやめるとき、ためらわずに腰を下ろし、大地に坐り、深く呼吸して憩うだろう。人類の発展、成熟も、考えてみれば、ひとり、からはじまっていた。
人に会いすぎない
五〇代
ひとりが群集の中に入っていく
群集の「ひとり」になっていく
群れの「一個」になって
汚物のようにそこにはじき出されただけではない
群れのひとりにただまぎれこんでいく
ひとりの奴隷時代が いつまでも続いている
組んずほぐれつ 地獄の季節が まだ続いていた
それどころか まだまだ深化し続けていた
この頃 東京を去って 京都にやってきた
あるとき大きな集会で、老練の医師に出会う機会があった。その人物が言うには、「医者の三要件は、止める・ほめる・さすることだ」と。なるほど、そうかと思った。まず痛みを止める、患者をほめる、万策つきれば両の掌でさする。
それで、考えた。この三要件は、人と人とのあいだにおいても、そのままあてはまるだろう。
医師ひとりの愛語は、患者ひとりの奴隷状態を解放する霊薬になるかもしれない、そう思った。ただ、三要件の実行は、言うは易く、行うに難し、ひとりの深淵をのぞき見、かいま見ただけのことだった。
六〇代
京都にい続けて長逗留
ただ 気力体力が下り坂
何を言っても言わなくても ひとり
何をしてもしなくても ひとり
それで逆転勝負に出た
食べすぎない
飲みすぎない
人に会いすぎない
飯やおかずを、とにかくよく噛んで、噛んで、噛んで食べる。最後は、どろどろになってカオスのごときものとなって、喉に流しこむ。十回、二十回のレベルではない。噛む回数を五十回、六十回の水準まで上げていく。何しろ歯が軒並み弱り、十五本ほど入れ歯さし歯になっている。だから時間もかかる。根気もいる。
気がつけば、家人はどこかに去り、ひとり坐って、ただもぐもぐやっている。最後の嚥下の瞬間は、米と肉と魚と野菜の区別は微塵にくだけ、ただのドロドロジュース。これが晩めしになると、酒が入る。アルコール依存症で一日も欠かせない。噛んで、噛んでの合い間に、ちびりちびりのひとり酒が入る。食べすぎない、飲みすぎない、ひとり酒の三位み 一体で、ことがすすむ。
だが、人に会いすぎれば、これはたちまち崩壊する。暴飲暴食の下地がたちまち顔を出す。
このジレンマに耐え、その二律背反と遊びたわむれて、ひとりの深化がすすむ。玄妙なひとりの妄想舞台がはじまる。そこで、ひとさし舞うことができるかどうか、それが問題だ。
そのまま、ありのまま
七〇– 八〇代
気がつけば高齢社会
死が 抜き足差し足で近づいている
ひとりが暗転する季節 地獄の季節はすでに去り
闇の穴が大きく口を開けて待っている
「認知症」「認知症」の声が
聞こえてくる
食べすぎない
飲みすぎない
人に会いすぎない
もうそれでは もたない
ひとりの自己決定がぐらぐらしはじめている
今こそ ひとりの危機の時代
認知症では時間軸と空間軸が失われる、時間感覚と空間感覚が蒸発する、と専門家は言う。なるほど、徘徊とはそこからくるものか。その専門家に教えられたもう一つのこと、徘徊の人を介護する第一要件は、その状態を「そのまま」に受けとり、「ありのまま」に遇することだ、という。
そのまま
ありのまま
とは驚き入った。青天の霹靂、だった。時間と空間を放り出し、自己決定力を捨てた人のひとりを介護するとは、予想もできない難題・難問であるに違いない。
ひらめくものがあった。親鸞の「自然法爾」のコトバだった。九〇歳に近づいた親鸞の、最晩年のコトバだった。
そのまま
ありのまま
念仏だけで
ホトケさま
それが「自然」のすすめであり、「法爾」のかたちであるという。
けれども、本当にそんなことがあるのだろうか。そんな彼方の岸辺で愉しむことができるのだろうか。
いよいよ、「ひとり」の試練のときがやってきた。気がつけば、われもまた九〇の大台に近づきつつある。そんなこんなで「自然」や「法爾」を手にすることができるのか。
グレーゾーンの徘徊を愉しむ
さて、このところ、「めし」を食べるとすぐ眠くなる。たまらず、横になって昼寝する。昼寝三昧、である。
夜、「めし」と「酒」をのどに流しこめば、あとは、さあ死ぬか、とおのれに掛け声かけて、寝床にもぐりこむ。
だからだろう、早暁にはもう目覚めて、妄想のときを愉しんでいる。一時間か、二時間……。脈絡を欠く、劇的な空想断片が飛び出してくる。因果をこえる、ミステリアスなイメージ断片がかけめぐっている。
寝床のなかの妄想三昧、この世とあの世をつなぐ、グレーゾーンの徘徊である。
昼寝と妄想を引き連れた恍惚の人
昼寝三昧と妄想三昧を愉しむひとりの人
昼寝も「自然」のすがた
妄想も「法爾」のかたち
「認知症」よ
とっとと 立ち去れ
わしはただ「ひとり」で 呆ボーっと
していたいだけなんじゃ
上記内容は本書刊行時のものです。