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だいたいを生きて 斎藤竜太(著) - 一葉社
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だいたいを生きて (ダイタイヲイキテ) 医は仁術か? (イハジンジュツカ)

社会一般
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発行:一葉社
四六判
縦188mm 横128mm 厚さ38mm
重さ 500g
640ページ
定価 5,000 円+税   5,500 円(税込)
ISBN
978-4-87196-097-7   COPY
ISBN 13
9784871960977   COPY
ISBN 10h
4-87196-097-8   COPY
ISBN 10
4871960978   COPY
出版者記号
87196   COPY
Cコード
C0036  
0:一般 0:単行本 36:社会
出版社在庫情報
不明
初版年月日
2026年6月15日
書店発売日
登録日
2026年5月20日
最終更新日
2026年6月5日
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紹介

誰にとっても切実な医療、その医療問題に関心のあるすべての人必読! 
「同調圧力を排して第一歩で抵抗せよ」――医療問題は政治問題、何よりも人権問題。
医療の本義と本質を常に直視しながら闘いつづけた市井の医者の稀有な歩みがここに。
今こそ医療従事者のみならず、一人ひとりに真正面から「医とは」を問いかける。

目次

第1章 だいたいを生きて
幼少期の断片と両親のこと
 ⚫『呑水――斎藤龍雄を語る』より
 はじめに――刊行にあたって/「斎藤龍雄を偲ぶ集い」出席者への謝辞
 ⚫『回想 斎藤アヤ』より
 この文集を編むについて/おふくろのこと少し
出生から疎開まで
沢内村での三年間
黒沢尻小学校から中学卒業まで
黒沢尻北高校から横浜翠嵐高校に編入、そして……
東ドイツへの留学と脱走、党との軋轢
九州大学医学部編入以後
過ぎたるものすべて夢の如くなり

第2章 闘う
学生ストの提起したもの――揺れ動く九州大学の白き巨塔
僕らの意とすべきこと
すべての医者に問いなおす
混乱期をむかえ、新入部員を迎える
「腕のたつ」先生たちへ
入江前学長に答える
素粒子論の大家
ふたたび入江前学長に答える
われわれの依拠すべき立場
労災・職業病闘争と医療運動の任務
私の医療技術論
第七回国際じん肺会議に参加して――アメリカ合州国雑感
検証・西日本臓器移植ネットワークシステム――『技術と人間』掲載の真弓・井形文書への反論
こころざし(志)
爆音直下で住民を診る〈厚木〉――ある患者の死
不当な鍼灸治療制限を撤回した労働省
与党の医療保険制度「改革」案は改革を約束するか?――いくつかの論点について
社会保障・医療保障の理念と原則について
厚生白書は何を言いたいか
課 題
小泉社会保障・医療保障改革――「創造的破壊」か「反動的破壊」か
ドイツの鍼事情――主にドイツ東部を中心に
ブッシュ政権のイラク攻撃
医学と人間理解
謦咳に接す
墓碑銘のない墓――一枚の写真
アスベストによる健康被害について――共闘労組が締結したアスベスト協定について
「脳死―臓器移植」についての私の考え
新しい希望
東京電力福島第一原子力発電所災害
労住医連発足のいきさつとその頃 

「体 罰」 
麻生副総理発言を評す
「秘密保護法」を読む――廃止・施行阻止を!
旅の思い出――近江一瞥
集団的自衛権行使――安保関連法案(戦争法案)を検討する
緊急事態条項のファシズム性――憲法9条の骨抜き条項
不思議な体験―夢なのか、幻なのか
「第一歩で抵抗せよ」――第二歩でも
中村 哲さんの死を悼む
中村 哲くんのこと、など
「新型コロナ症候群」
だいたいを/に観る
ウクライナ戦争
天明佳臣先生のこと、少し
「十条通り医院」閉院にあたり職員の皆さんへ
駄弁の「ひも付け」
自己内ブレーンストーミング――ウクライナ戦争再論

 あとがき

著者プロフィール

斎藤竜太  (サイトウリュウタ)  (

1939年、東京生まれ。医師、十条通り医院・元院長。国立信州大学医学部に入学するも、退学して63年8月、当時のドイツ民主共和国(東独)の国立ライプツィヒ大学に、翌年9月、同国立ロストック大学医学部に留学。66年8月、政権の修正主義を批判して東独を去り、中国に渡って「プロレタリア文化大革命」を経験。72年3月、中国から帰国後、九州大学医学部に編入学(76年3月卒業)。72年4月、国家公務員共済組合連合会・田浦共済病院内科勤務(横須賀市)。75年5月、神奈川県大和市南林間に「十条通り医院」を開設し院長に。その後、横浜市に神奈川県勤労者医療者生活協同組合を仲間と共に立ち上げ、同時に同組合港町診療所を設立し、「十条通り医院」と並行して定期的に診療活動を続ける。「十条通り医院」も同組合化したが、2023年6月30日に閉院。

上記内容は本書刊行時のものです。