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昭和百年を目前に
我が人生の記録
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 書店発売日
- 2024年11月8日
- 登録日
- 2024年10月8日
- 最終更新日
- 2024年10月25日
紹介
昭和の記憶と体験を後世へ
日米開戦の二ヵ月前に生まれ、激動の昭和を走り抜けた、元建築技術者による人生の記録。工事、設計、開発企画、技術管理、営業などの業務から、家庭での夫として、父としての在り方、定年後に始めた絵画、彫刻、旅行などの趣味に至るまで、貴重な体験の数々を記し、後世へのメッセージとする。
私は開戦の二ヵ月前に横浜で生まれ、戦火を逃れて福島で過ごし、戦後六年目に上京、戦禍の跡がまだ生々しい東京で育ち大学の建築学科を卒業して建築技術者になった。昭和の戦後に育ち、教育を受け、就職して戦後の繁栄の担い手である猛烈サラリーマンの端くれとして働き、バブル崩壊までを走り抜けていた。バブル崩壊後も働いた後、趣味に明け暮れ八十歳まで過ごしてきたが、二〇二二年一月に脊髄梗塞という我が国では稀な病気に罹った。病院での入院生活中に自分の歩んできた経過を振り返るといろいろなことを思い出した。脈絡なく思い出す過去は平凡に生きたいと思いながら、決して平凡ではなかった。家庭では亭主と父親をやった訳だが子育ても妻と共に懸命にやった。そこで自分の生きて来た自分史を書いてみたいと思うようになった。(「はじめに」より)
目次
はじめに
第一章 横浜・谷地橋・道久内
1.横浜
南京豆事件
横浜から田舎へ
2.谷地橋
3.道久内
戦後の病気
母方の祖父
道久内での父
小学校
事件
下校
優等賞
工作
東京へ
第二章 東京の小学校・中学・高校
1.東京に引っ越し
2.六郷小学校四年生
木村君
3.六郷小学校五、六年生
本の音読
小川君
工作の宿題
クラスの友人達との不調和
4.出雲中学校
試験勉強
先生たち
授業
工作
校舎の移転
得意な競技
その他
高校受験
5.都立小山台高校
柔道班
その他の体育
受験
6.浪人
呉さんのこと
勉強
入学試験
第三章 横浜国立大学
1.工学部建築学科入学
柔道部
2.弘明寺キャンパス
3.大学祭
4.構造演習
5.設計製図
6.卒業論文
7.卒業設計
8.冤罪
9.就職まで
第四章 建設会社
1.奥村組東京支店
2.石浜小包郵便局
試験掘り
現場体制
躯体工事
仕上げ工事
3.富士通長野工場測量応援
4.Mビル
5.吉川工業
6.石浜小包郵便局二期工事
7.東京競馬場調整ルーム
8.日通府中倉庫
9.平井ボール
10.浦和マタイプール
11.転職の動機
12.鈴木商館
13.千葉パークホテル
14.転職
15.新しい職場に備える
第五章 設計
1.三菱重工入社
2.信越化学堺工場の工程キャッチアップ
3.横浜旭ごみ焼却工場改修工事炉体鉄骨設計
4.富士宮・富士写真フィルム自家発プラント管理棟&RC煙突設計
5.横浜市南戸塚清掃工場の炉体鉄骨設計
6.ごみ投入扉振動の調整
7.ボイラー基礎の割れ
8.セジマートの設計
9.娯楽
10.アラムコ
11.神戸市ごみ焼却炉建築設計
12.引き合い業務
13.三菱地所に監理業務委託
14.市原市ごみ焼却場
15.本社へ転勤
第六章 事業開発
1.都市産業
2.結婚
3.沖縄海洋博
4.池袋拘置所後の交通システム
5.横浜シーサイドラインの計画
6.エネルギープロジェクト
7.転勤&自宅建設
第七章 技術管理
1.埼玉中部ごみ焼却プラント担当
2.建築設計課長に昇進
3.世界最大のプラント受注
4.英語教室
5.行橋事件
6.建築設計の改善
7.見積
8.家庭生活
9.後継者
10.新体制
11.建設課長
12.OA化
13.ごみ焼却炉建設工事の改善
14.社員の地元とのこと
15.環境装置技術部次長
16.災害の事例
①相模原ごみ焼却場
②シンガポールの死亡災害
③札幌市・発寒ごみ焼却場建設工事の通勤重大災害
④札幌市ごみ焼却場建設工事の後施工アンカー引き抜けによる重大災害
17.相模原ごみ焼却炉追加工事
18.ごみ焼却炉のモジュール化
19.台湾樹林・新店ごみ焼却炉フルターンキー工事受注
第八章 営業
1.台湾・台北新店ごみ焼却炉建設工事の工程回復
①ゼネコン・工事所長の交代
②設計変更して工程短縮
③外国人作業員の採用
④工程の管理
⑤コンクリートの鉄筋量
⑥現場の食堂
⑦その他
2.木曜会会長
3.営業部の業務
4.京都の件
5.奈良の件
6.営業部長に昇進
7.営業部長の仕事
8.阪神淡路大震災
9.懲罰
10.人生の体験
11.会社を去る
①本社からの帰任について
②建築技術者として
第九章 関連会社へ
1.専門部長
2.初めての海外旅行
3.運転免許取得
4.建設部長
5.配筋の問題
6.建設部の管理・営業・戦力
7.大宮の社内工事
8.経営と営業
9.問題案件
10.追加工事の不当な高額請求
11.関連会社を去る
①住宅の建築
②ゼネコン事業について
12.油彩画を始める
第十章 定年退職後
1.法律
2.塾講師
3.建築学会
4.東京地裁建築専門民事調停委員
5.ハローワーク
6.絵画
7.彫刻
8.新制作展
9.ハマ展
10.二人展
11.海外旅行
12.国内旅行
13.家族
あとがき
前書きなど
私は開戦の二ヵ月前に横浜で生まれ、戦火を逃れて福島で過ごし、戦後六年目に上京、戦禍の跡がまだ生々しい東京で育ち大学の建築学科を卒業して建築技術者になった。昭和の戦後に育ち、教育を受け、就職して戦後の繁栄の担い手である猛烈サラリーマンの端くれとして働き、バブル崩壊までを走り抜けていた。バブル崩壊後も働いた後、趣味に明け暮れ八十歳まで過ごしてきたが、二〇二二年一月に脊髄梗塞という我が国では稀な病気に罹った。病院での入院生活中に自分の歩んできた経過を振り返るといろいろなことを思い出した。脈絡なく思い出す過去は平凡に生きたいと思いながら、決して平凡ではなかった。家庭では亭主と父親をやった訳だが子育ても妻と共に懸命にやった。そこで自分の生きて来た自分史を書いてみたいと思うようになった。(「はじめに」より)
上記内容は本書刊行時のものです。