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人はなぜ山へ登るのか
登山四方山話
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2024年8月11日
- 書店発売日
- 2024年8月11日
- 登録日
- 2024年7月12日
- 最終更新日
- 2024年8月6日
紹介
23歳で山の魅力に取りつかれ、モンブランやキリマンジャロなど世界中の山に挑み、日本勤労者山岳連盟会長も務めた守屋益男さん。
その経験を元に地元マウンテンクラブでの指導の傍ら、登山ガイドブックの編集や、自らの足で踏査し、より詳しく正確な情報を掲載した登山詳細図を考案するなど登山者の安全を考え続けました。2023年8月11日没。
本書は、「人はなぜ山に登るのか」を主題に、守屋益男さん自身の登山記録、登山紀行等をまとめたものです。
目次
はじめに
『人はなぜ山へ登るのか』を考える
モンブラン登頂/エルブルース登頂/キリマンジャロ登頂/アララット山登頂/玉山登頂/ムラセン山登頂/コジオスコ山登頂/オリンポス山登頂/トゥヴカル山登頂/マウナ・ロア登頂/カイラス巡礼/漢拏山登頂/ベン・ネビス登頂/バルチスタン紀行/ミルフォードトラック紀行/天山シルクロード紀行/天山未踏峰カシカール登頂
日本百名山登頂記録
守屋益男 登山経歴
前書きなど
■巻頭言
この本は、「人はなぜ山へ登るのか」を主題にして、それに加え、私自身の登山記録、登山紀行等をまとめたものである。
私が生まれたのは一九三五年一一月一四日、岡山市小原町(現清輝橋)であった。一九四五年六月二九日、九歳のとき、米軍による岡山大空襲に遭い、母の里である備中高松へ疎開した。
一九五四年四月、就職して会社員となり、岡山市、津山市、岡山市三幡と居住を変えた。
一九六三年一〇月、現配偶者と婚姻、二男、一女を儲けた。
備中高松で暮らしていた頃、近くの八幡山、高松龍王山、鬼ノ城山等に登った。
一九六〇年二月、津山へ転動になり、初めてキャラバンシューズを買い、那岐山、泉ヶ山、毛無山などへ単独で登った。丁度その頃、勤務先の会社の山好きが集まり、山岳連盟が結成され、その中に、岡山支店に勤務していた登山家の平岡さんがいて、彼から登山を教えて頂いた。4月から5月の連休に伯耆大山地獄谷駒鳥小屋の下に幕営して、ピッケルを使った振子沢、壁沢等の雪渓、雪壁登りを習い、7月には北アルプス剣沢に幕営して長次郎雪渓、三ノ窓雪渓などから剣岳に登頂した。
一九六二年労演大山登山五〇名のリーダーを、当時、岡山山岳会会員であった木村従光氏と共に行い、それが端緒となり岡山勤労者山岳会結成を二人で主導した。
一九六九年倉敷勤労者山岳会の創立に携わり、後、岡山県勤労者山岳連盟結成に尽力した。
その後の私の登山については、巻末の登山経歴をご高覧ください。
版元から一言
世界中の山に挑戦し、2023年8月11日に亡くなられた守屋益男さん。2016年1月には、満80歳でキリマンジャロ最高地点ウフルピーク(5,895m)を踏破。三度目の挑戦でした。
その傍ら、山岳クラブの講師をつとめ「道迷いをなくし身近な山から安全な登山を多くの人が楽しんでほしい」との思いを語られていました。吉備人出版から発行している登山詳細図はまさにそのためのシリーズで、2022年末まで正確な情報を足で確かめるため踏査を続けられていました。
「人はなぜ山に登るのか」守屋益男さんご自身の山登りの記録に今更のように感服しています。
上記内容は本書刊行時のものです。