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ベトナム戦争の最激戦地中部高原の友人たち
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2021年10月1日
- 書店発売日
- 2021年10月5日
- 登録日
- 2021年9月10日
- 最終更新日
- 2021年10月19日
紹介
最も苛酷な戦場だったベトナムの「中部高原」とはどんなところなのか…。
30年余の従軍体験の中でこの地の人と自然に魅せられたベトナム随一の作家が綴った回想記。ベトナムで最も権威ある文学賞「ハノイ作家協会賞」を受賞しています。
「中部高原」については、フランスの人類学者による著名な研究記録がありますが、日本にはほとんど紹介されていません。また、ベトナム戦争の報道においても、この地の地政学的・歴史的分析はありませんでした。
本書は、ベトナム現代史と文化人類学、さらには開発と自然保護問題の面で重要な意味を持つエッセイです。解説「タイグエン略史」はベトナム研究の第一人者古田元夫氏によるものです。
目次
第1章 永遠の時空に身を置く人々
第2章 古木の森の木彫り
第3章 森の賢明さ
第4章 地下水、緑の森と生命
第5章 共同の家、部落の魂
第6章 高原のわが友人たち
第7章 ヌップ、全中部高原の部落の長老
第8章 ニンノン月
第9章 ステン人の六つの魂
第10章 ムオンホンのアーボック
第11章 森の中の旅芸人
第12章 クニアの木を生んだ無名の芸術家
第13章 コンクロに帰った人
第14章 銅鑼に声を教える
第15章 アカーン、春
第16章 コンブライユーのごった煮野菜スープ
第17章 雷鳴と稲妻、男性と女性、ザライの不思議
第18章 耳吹きの儀式と甕酒、散漫な記憶と忘却
解説――タイグエン略史
前書きなど
中部高原とは
中部高原は、ベトナム中部のチュオンソン山脈から続く高原地帯で、北から南へ、コントゥム、ザライ、ダクラク、ダクノン、ラムドン各省で構成される。マラヤ・ポリネシア系、モン・クメール系などの少数民族の居住地域である。米国の介入で南部がサイゴン政権の施政下に置かれていた時期には「中部高原」と呼ばれたが、現在は「タイグエン(西原)」と呼ぶ。海から離れた内陸で、赤道にも近く、高温、乾燥地域であるが、雨期には豪雨に見舞われ、自然災害も多い。抗仏戦争ではベトミン軍とフランス軍、抗米戦争ではベトナム解放勢力と米・サイゴン軍が、中部高原の少数民族の支持を獲得するためにしのぎを削った。作家グエン・ゴックは抗仏、抗米戦争の両時期、解放後と長期にわたり、中部高原で活動してきた。
訳者あとがき
ベトナムの文学界を代表する作家グエン・ゴックの本書『ベトナム戦争の最激戦地中部高原の友人たち』(原題『高地の友人たち』)は二〇一三年のハノイ作家協会賞(散文部門)の受賞作品です。
この作品は、二〇歳前後の青年期から壮年期にかけて中部高原の戦場で抗仏戦争、抗米戦争を闘い抜いたグエン・ゴックの回想記です。中部高原はマラヤ・ポリネシア系やモン・クメール系の少数民族の主要な居住地で、先住民族であるこれらの少数民族の歴史と文化の宝庫であり、彼らの共同体の社会と暮らしを育んできた高原と南チュオンソン山系とラオスのメコン水系につながる大自然が存在します。
ベトナムの多数派民族キン族の青年グエン・ゴックは中部海岸地帯のクアンナム省の出身で、はるか遠くに望むチュオンソン山脈に人間が住んでいることさえ知りませんでした。その青年が二度にわたって抵抗戦争に参加した中部高原には、これらの少数民族の人々が生活していました。最初に覚えた少数民族の言葉は「お腹が空いた」と「この道を行っても安全か?」の二つだったと言います。
二次にわたるインドシナ戦争では、フランス、アメリカと、抵抗したベトナムの解放勢力が中部高原を舞台に激戦を繰りひろげました。この戦争は同時に地元の少数民族をどちらの側が獲得するかの抗争でもありました。グエン・ゴックらベトナムの解放勢力は現地の少数民族の社会に溶け込み、彼らを助け、鼓舞しつつ、同時に彼らからの協力を得て、この解放戦争を闘いました。もちろん米=サイゴン政権側も戦略的要衝である中部高原を重視していたので、少数民族の支持獲得をふくむこの地の戦闘や抗争は熾烈でした。
ベトナム戦争の帰趨を決したのは一九七五年三月の中部高原での戦闘でした。北部から進攻するベトナム人民軍の大部隊の通過を少数民族の人々は「見守るだけでサイゴン政権に通報しなかった」と解放軍に同行したグエン・ゴックは語ります。中部高原の要衝バンメトートは一九七五年三月一一日に陥落しました。この戦闘で「少数民族が解放勢力を支持した」と報じたAFPのポール・レアンドリ記者は、サイゴン警察本部で射殺されました。サイゴン政権の極度の動揺を示した事件でした。
グエン・ゴックが「高地の友人」と呼ぶ少数民族の人々はもちろん一枚岩ではありません。アメリカは、フランスと同様に各地の少数民族の獲得に動きました。こうして米側に就いた少数民族の少なからぬ人々が戦争終結後、米国への亡命を余儀なくされました。
故郷の中部高原にとどまった少数民族の人々も、解放後の政権指導部による中部高原の原始林破壊、村落共同体破壊の犠牲者です。トンキン・デルタのキン族の中部高原への大量移住、森林伐採によるコーヒー園やゴム園の造成やアルミニウムの原料ボーキサイト乱掘による自然破壊で、自分たちの居住地を次々に奪われていきました。グエン・ゴックはこうした現政権による少数民族の居住地や村落共同体破壊にも警鐘を鳴らしています
グエン・ゴックは中部高原の少数民族の共同体、焼畑耕作や、墓捨ての儀式などの冠婚葬祭、中部高原を遊び歩く気ままな男性たち、その男性たちを尻目に家族と共同体を守る女性たちを偏見のない目で見つめ、彼らの生活や共同体を深く分析し、そこに大自然と人間との関係、永遠の自然と人間・文化との「引っ張り合い」の関係を描きつつ、さらに思索を深めて彼らの生活と規範の中に、現代社会に生きる私たちが学ぶべき貴重な歴史遺産があることを見出しました。世界がコロナ禍から新たな生活と社会のありかたを模索する中で、本書は私たちにポスト・コロナを生きる貴重な糧となる「一つの生き方、考え方」を提供しています。
グエン・ゴックは中部海岸の交易都市として栄えたホイアンの近くで生まれ育ち、チュオンソン山脈の山に分け入り、抗仏戦争の初めのころは、この大平原を「気ままな戦場特派員」としてさまよい歩き、抗米戦争のもっとも熾烈だった時期には、故郷のクアンナム省の激戦地で一部隊を率いて米軍部隊と直接対峙して戦闘を指揮したこともあります。戦争終結後も今日まで、中部高原の変転にかかわり続け、見届けてきたグエン・コックが世に問うたすぐれた文学作品である本書を翻訳し、出版できたことは私にとって大きな喜びです。
上記内容は本書刊行時のものです。