版元ドットコム

探せる、使える、本の情報

文芸 新書 社会一般 資格・試験 ビジネス スポーツ・健康 趣味・実用 ゲーム 芸能・タレント テレビ・映画化 芸術 哲学・宗教 歴史・地理 社会科学 教育 自然科学 医学 工業・工学 コンピュータ 語学・辞事典 学参 児童図書 ヤングアダルト 全集 文庫 コミック文庫 コミックス(欠番扱) コミックス(雑誌扱) コミックス(書籍) コミックス(廉価版) ムック 雑誌 増刊 別冊
ラオス競漕祭の文化誌 橋本彩(著) - めこん
.
詳細画像 0
【利用可】

書店員向け情報 HELP

書店注文情報

在庫ステータス

在庫あり

取引情報

直接取引:あり(その他)

出版社への相談

店頭での販促・拡材・イベントのご相談がありましたらお気軽にご連絡ください。

ラオス競漕祭の文化誌 (ラオスキョウソウサイノブンカシ) 伝統とスポーツ化をめぐって (デントウトスポーツカヲメグッテ)

このエントリーをはてなブックマークに追加
発行:めこん
A5判
縦210mm 横155mm 厚さ15mm
重さ 530g
288ページ
上製
価格 5,400円+税
ISBN
978-4-8396-0319-9   COPY
ISBN 13
9784839603199   COPY
ISBN 10h
4-8396-0319-7   COPY
ISBN 10
4839603197   COPY
出版者記号
8396   COPY
Cコード
C3039  
3:専門 0:単行本 39:民族・風習
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2020年2月29日
書店発売日
登録日
2020年2月25日
最終更新日
2020年3月19日
このエントリーをはてなブックマークに追加

紹介

ラオス・タイ・カンボジアなどで盛大に行なわれる競漕祭(ボートレース)をスポーツ人類学の面から研究した専門書。著者は長期間ラオスに滞在して数多くのレースを観察、関係者にインタビューを重ね、さらに往時の現地新聞を丹念に読み込んで、19世紀から今日に至るまでの「競漕祭」の変遷をまとめました。特に、ボートレースと儀礼の研究がユニークです。カラー口絵8ページに実際のレース風景、儀礼などを紹介。

目次

序章
1.競漕祭における「伝統」と「スポーツ」:本書の意義と目的 ----------------------
2.ヴィエンチャンの歴史・地理・文化背景 ------------------------------
 

第1部 フランス植民地政府の影響下で創造された競漕祭

第1章 ラオス刷新運動期の競漕祭とスポーツ(1893年~1945年)
1.ラオス・ナショナリズムの萌芽:ラオス刷新運動
2.ヴィエンチャンにおけるラオス刷新運動   
3.考察:ラオス刷新運動期の競漕祭における「伝統」と「スポーツ」

第2章 競漕祭に付随する儀礼と守護霊の召喚(1953年~1964年)
1.アルシャンボーが記録した儀礼の分析(1953年)
2.儀礼における文言(守護霊の召喚句)の分析
3.考察:ラオス王国独立後の競漕祭と「スポーツ」の関係性

第2部 王国から社会主義国へ移行した激動期の競漕祭
第3章 伝統スポーツ概念の登場(1965年~1974年)
1.《サート・ラーオ》新聞における競漕祭
2.「伝統」と「スポーツ」の接近
3.王族の参列による競漕祭の拡大
4.考察:「伝統スポーツ」という概念の登場

第4章 団結と国家繁栄のための競漕祭(1975年~1999年)
1.社会主義政権樹立直後の競漕祭を取り巻く情勢
2.《ヴィエンチャン・マイ》新聞から読み解く競漕祭   

第3部 21世紀の競漕祭における伝統論争

第5章 伝統をめぐる地域間の駆け引きと舟に集約される「伝統」
1.2000年のカテゴリー分化に関する伝統論争
2.競漕祭における舟の規定:舟に集約される「伝統」の形
3.伝統舟とフーア・スード(スポーツ舟)の分布
4.競漕祭に付随する儀礼 
5.考察:21世紀の競漕祭における「伝統」と「スポーツ」

参考文献

巻末資料
地図 首都ヴィエンチャン
調査村の位置
表1 調査村落の基本情報
表2 調査村落が保有する舟
ハートサイフォーン郡
サイターニー郡
パーク・グム郡
シーサッタナーク郡
シーコータボン郡
サイセーター郡
ヴィエンチャン県トゥラコム郡
表3-1 1941年~1974年のワット・チャン競漕祭参加村
表3-2 1975年~1985年のワット・チャン競漕祭参加村
表3-3 1986年~1995年のワット・チャン競漕祭参加村
表3-4 1996年~2008年のワット・チャン競漕祭参加村
ルール規定
表4 競漕関連年表

前書きなど

まえがき

旧暦11月の満月を迎え、季節が雨季から乾季へと移る節目の日にラオス人民
民主共和国(以下、ラオスと記す)では年中行事である出安居祭(ブン・オーク・パンサ
ー bun ook pansa)が行なわれ、次いで競きょう漕そう祭さい
(ブン・スワン・フーア bun suang heua)が
全国各地で行なわれる。安あん居ご とは、僧侶が自分の所属する寺に篭って修行をする
期間のことを指すが、僧侶だけでなく、仏教徒であるラオス人の中には自分自身
に断酒や禁煙などの禁忌をもうけ、安居期間である3ヵ月間実践する人も多い。一
般的にこの3ヵ月間は結婚式も控えられるため、1年の中で最も禁欲的な3ヵ月と
言えるかもしれない。そのため、安居の終わりを告げる出安居祭や競漕祭は人び
とが自身の戒めを開放し、喜びを表わす時期とも言えるので盛大に祝われる。首
都ヴィエンチャンの競漕祭では、会場となるメコン川沿いに出安居祭1週間前か
らずらりと出店が並び、通りは人で埋め尽くされ、動けないほど混雑する。特に
競漕祭当日は、あちらこちらで宴会が開かれ、人びとは飲めや歌えやの大騒ぎで
ある。私が競漕祭の研究をしていると知人に話すと、決まって「あの酒盛りの研
究なのですか?」と聞かれるほどである。しかし、競漕祭に自分たちの舟を参加
させる各村の人びとは、村の威信をかけて競漕に臨むため、祭りを楽しみつつも
真剣な熱気に包まれている。
この年中行事は、ラオスを統一したラーンサーン王国の都が、北部ルアンパバ
ーンから現在の首都であるヴィエンチャンへ遷都した1560年より連綿と続けら
れてきたという言説があるほど、ラオ人の誇りある伝統行事として認識されてい
る。この伝統行事であるヴィエンチャンの競漕祭に、1990年代後半から2000年
にかけて「伝統」をめぐる論争が持ち上がった。競漕祭は、主に競漕祭前に行な
われる儀礼、そして満月を迎えた翌日に行なわれる競漕で構成されているが、「伝
統」をめぐる論争は後者の競漕に「スポーツ」的要素が色濃く入ってきたため、祭
りの伝統が損なわれているとして反発の声が上がったのである。私が調査に入っ
10
た2007年、伝統の保持を訴える参加者が競漕祭の「伝統」を阻害する要素につい
て語るとき、多くの場合使われる言葉は「タイ」そして一般的にはスポーツの意
を持つ「キラー(kila)」という言葉であった。一方、伝統を阻害しているとして非
難されたメコン川沿いの村人たちも伝統を壊してでも新しいものを取り入れる
べきであると思っている節はなく、むしろ競漕祭は伝統に則って行なわれるべき
であるとの想いを共有しているようだった。しかし、状況はそう単純ではないと
のニュアンスも語りの端々に感じた。
なぜ伝統の阻害要因の1つとして「タイ」という言葉があがったのかと言えば、
それはラオスと隣国タイの歴史的な関係性が影響している。その関係性を紐解く
1つの研究として、ラオスの言語ナショナリズムを扱った矢野順子の研究がある
[矢野2013]。1893年にラオスがフランスの植民地となって以降、「ラオス国民」と
いう意識を醸成する過程においてラオ語の形成は重要な位置を占めており、ラオ
語の形成は常にタイ語からの言語的独立を念頭に進められてきた歴史がある。競
漕祭においても、「競漕」という表現のラオ語スワン・フーア(suang heua)とタイ語
のケーン・ルーア(kheng reua)の違いに執着を見せるなど、矢野が明らかにしたよ
うなタイ語への対抗意識が見られる。また、「伝統」を阻害するものとして語られ
る「タイ」という言葉には、ラオスの舟の形状に悪影響を及ぼした諸悪の根源と
いった意味合いが込められて伝統保持の立場から語られる。しかし、ヴィエンチ
ャンの競漕祭に参加する同じラオス国民、同じヴィエンチャン市民であっても、
居住地域の立地的条件ならびに歴史背景により、国境線で分断された国としての
「タイ」に対する心情、語りは一様ではなく、そのことが先に述べた微妙なニュア
ンスに繋がっているようであった。
「タイ」と同様に、ラオスの伝統を阻害するものとして語られる「キラー」とい
う言葉は、競漕祭のカテゴリー分けに深く関係している。現在、出安居翌日にヴ
ィエンチャンで行なわれる競漕祭の競漕は、男性による「フーア・パペーニー(heua
papheni:伝統舟)」、「フーア・スード(heua sud)」、そして女性による「フーア・メーニ
ン(heua mening:女性の舟)」の3つにカテゴリー分けされている。「フーア・スード」
の「スード」という用語はF1レースなどで使われる「フォーミュラ」すなわち「あ
る特定の規格・方式に則った型」との意味を持つため、「フーア・スード」はレース
に特化した舟、すなわちスポーツ用に作られた舟と認識されており、カテゴリー
は じめに11
の正式名称としては「フーア・スード」であるものの、一般的にはラオ語「キラー」
を舟に冠して、「フーア・キラー(heua kila:スポーツ舟)」という名称が用いられてい
る。この「スポーツ舟」というカテゴリーは、従来「男性」と「女性」を分けるカ
テゴリーしか存在しなかったヴィエンチャン競漕祭において、2000年に初めて設
けられたカテゴリーである。上述の通り、1990年代後半から2000年にかけて起
こった伝統をめぐる論争の帰結が男性カテゴリーの分化であり、カテゴリー名か
らも推測できる通り、「伝統」を阻害するものとして「伝統舟」から切り離された
カテゴリーが、「スポーツ」を冠する「スポーツ舟」であるため、競漕祭を担う村
人たちが「伝統」を語る際、歓迎されないものとして語る代表的な用語の1つが
「キラー(スポーツ)」なのである。
しかしながら、「伝統」を阻害するものとして語られる「タイ」や「スポーツ」が
ある一方、伝統論争における「伝統」は舟の形状をめぐる議論に終始しており、「ヴ
ィエンチャン競漕祭の伝統は何をもって伝統と言えるのか」ということについて、
舟の形状以外のことは多く語られなかった。それは、ラオ人の慣習として古来よ
り伝わる「ヒート・コーン・パペーニー(hit khong papheni:伝統的慣習)」「ヒート・シ
ップソーン(hit sipsong:12の慣習)」の中に競漕祭が含まれており、特に「伝統」に
疑問を差し挟む余地がないと考えるためであるかもしれない。また、競漕におけ
るレースの公平性に主眼が置かれた伝統論争は、あくまでも公平なレースを確実
に実施することが目的であったため、「伝統」が舟の形状に集約され、「スポーツ
舟」とカテゴリーを別にする結論が出た以上、さらに論争をこじれさせる必要が
なかったとも言える。しかしながら、競漕祭は競漕だけに特化された祭りではな
い。
「伝統」が先祖代々に伝わる古い歴史を持つものとするならば、競漕祭を構成
するもう1つの要素である儀礼も重要な位置を占めていると言える。1950年代に
ラオス競漕祭について詳細な研究を行なったシャルル・アルシャンボー(Charles
Archaimbault)は、競漕であるレースについてはほとんど言及せず、儀礼に特化し
た研究を行なっているほど、かつての競漕祭に儀礼は欠かせない要素であった。
アルシャンボーの問題点は、儀礼研究に特化しすぎたために、競漕そのものに関
わる漕ぎ手や舟に対する調査が欠落していた点にあり、当時の知識人にとって重
要であった儀礼が、当時の舟の漕ぎ手たちにとっても重要であったのかについて
12
は不明である。現在、アルシャンボーが記録した儀礼はほぼ消失しているが、こ
の記録された儀礼に関して漕ぎ手たちが「伝統」を問い直し、復活の声をあげな
いのは何故なのだろうか。現在の舟の漕ぎ手たちが重要と考える儀礼と、アルシ
ャンボーが記録した儀礼との間にはどのような断絶、もしくは差異があるのか、
儀礼の変容を追うこともまた、現在の競漕祭を支える漕ぎ手たちが考える「伝統」
を明らかにする上で重要だと考えている。
本書では、ヴィエンチャンの競漕祭を取り巻く歴史背景を紐解きながら、2007
年の調査時に疑問を感じた3つのキーワード、「伝統」、「スポーツ」、「タイ」を中心
に「伝統」と「スポーツ」の関係性、および競漕祭における「タイ」の関係性を分
析し、首都ヴィエンチャン競漕祭を事例としたラオス競漕祭の文化誌を描いてい
く。

著者プロフィール

橋本彩  (ハシモトサヤカ)  (

東京造形大学造形学部准教授。博士(人間科学、2015年、早稲田大学)。
1999年、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。2012年、早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学。
【専攻】スポーツ人類学、ラオス地域研究。
【主な著書、論文】『スポーツ人類学の世界』(共編著、虹色社、2019年)、『よくわかるスポーツ人類学』(共著、ミネルヴァ書房、2017年)、「ラオスにおける12人姉妹:男山・女山として語り継がれる物語」(『CIRAS Discussion Paper』No.77、2018年)、「若手映画人によるラオス映画の潮流」(『CIRAS Discussion Paper』No.67、2017年)、「Artistic weight lifting Kantou: Tradition and Acculturation」(『International Journal of Sport And Health Science』vol.4 Special Issue、2006年)など。

上記内容は本書刊行時のものです。