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タイのかたち
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2019年10月25日
- 書店発売日
- 2019年10月25日
- 登録日
- 2019年10月9日
- 最終更新日
- 2019年10月25日
書評掲載情報
2020-02-09 | 毎日新聞 朝刊 |
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紹介
タイは「外来人国家」である。タイには「タイ人」はいない。誰が「タイ」をつくったのか? なぜ? どのようにして? 謎が次々に明らかになり、不明瞭な「タイのかたち」がはっきりと見えてきます。タイ研究の第一人者である著者の長年の研究と考察が明快なタイ論として結実しました。専門的な内容ですが、自らの体験を踏まえたわかりやすい記述となっており、「タイ」ファンに広く読まれると思われます。
謎をはらんだ「ラームカムヘーン王碑文」の原文と日本語訳を配した菊地信義の装幀もユニークです。
目次
序章 タイにはタイ人はいない
第1章 地政学的背景
第2章「スコータイ神話」
第3章 三つの世界
1「サヤーム世界」/「外来人国家」
(1)アユッタヤー
(2)「クンナーン」
(3)アユッタヤーの街
(4)ムスリムの故郷
(5)スコータイ王朝による乗っ取り?
(6)「アヨータヤー」
2タイ世界/ムアン
(1)身分制社会
(2)「民衆反乱」
3マレー世界/海賊基地
(1)パッターニー:交易、女王、海賊
(2)「小クニ」
第4章 「チャート・タイ」の創出
1強大な王権
(1)現人神
(2)王統
(3)王族
2「タイ化」
(1)労働力の解放と身分制の解体
(2)国民国家形成に向けて
(3)「カー・ラーチャカーン」へ
(4)「タイ世界」の包摂
第5章 現代タイの葛藤
1「タイ化」の進展
(1)国名「タイ」の決定
(2)「サリット革命」
(3)大王プーミポン
(4)「チャート・タイ」の変遷
(5)「タイ語」――大きな「チャート・タイ」
2まとわりつく「外来人国家性」
(1)「外来人国家性」
(2)見えない身分制
(3)「サヤーム世界」の優越性
「
終章 新しい「チャート・タイ」を求めて
あとがき
主要参考・参照文献
索引
前書きなど
序章 タイにはタイ人はいない
一九六七年、私がタイへ留学し、チュラーロンコーン大学文学部の教室でタイ人学生と机を並べ始めてしばらくしてからのことであった。周囲の学生の容貌がどうも一様でないことに気が付いた。よく観察すると、各人の肌の色はもちろんのこと、目鼻立ちが異なる。アジア系というよりヨーロッパ系と思われる顔立ちの者も多く、不思議に思った。ターバンを巻いた学生もいた。学部長も、肌は黄色であったが、どちらかと言えば顔は欧米系で、体格もずば抜けて大きかった。学生の話では、英語学科の色白の気品のある女性教官はタイ、ロシア、アメリカ、日本の血が混じっているということで、驚いた。それにしても、いったいどの顔立ちが典型的なタイ人なのか、留学の二年間が終わっても私にはわからなかった。
それ以来、私の頭からは、「タイ人とは何か」という問いが離れなかった。離れないどころか、「タイ学」を志し大学という場での教育研究生活に入ったこともあり、より真剣に「タイ人」について思索するようになった。
その後の長い教育研究生活の中で、現在のタイという国家がきわめて多様な民族(人種)的グループから構成されていることを徐々に理解していった。
一〇年ばかり前にタイで参加したある研究書の編集会議で次のような経験をしたが、もはや驚くこともなかった。その会合の参加者は全部で一二名ぐらいであったが、私以外は皆タイ人であった。編集作業が終わって、コーヒーを飲みながら雑談していた時、なぜか委員の中でもっともタイ人らしい人はだれだという話題になった。各人の先祖の話にもなり、クメール系、華人系、モーン系、ラーオ系、マレー系、インド系…などと話は弾んだのだが、その場のだれもがティピカルなタイ人ではないという結論に達した。ある委員は民族(人種)的視点から純粋タイ人を措定するのは無理であると話し、「タイにはタイ人はいない(タイには、これがタイ人であると断言できる典型的な人ないしはグループは存在しない)」という一見矛盾した結論にその場は落ち着いたのであった。
そうした私の経験を裏打ちしたのは、オン・バンチュンの著になる『シャム:民族的多様性』である。二〇数名のごく一般の「タイ人」へのインタビューによるライフヒストリーを基本に、その人物を描き、さらに多くの関係文献を駆使しながら、各人が帰属する民族の歴史や文化にも深い解説を試みた秀作である。ここに登場する人々は、クメール系、モーン系、ムスリム、華人、ラーオ系、タイ・ユワン、ミエン、インド系、ベトナム系、プータイ、タイ・ヤイなどなどきわめて多様であるが、彼らこそが現在のタイの一般庶民の実像であることを示している。
この書に「序」を寄せたタムマサート大学元学長で歴史家であるチャーンウィット・カセートシリは、著者のオン・バンチュン自身を「モーン人で、普通人(タイ人)ではない普通人(タイ人)である」という逆説的表現で紹介している。
いずれにしても、タイには、オン・バンチュンや彼が取り上げた庶民のように、「タイ人ではないタイ人」がほとんどで、私が古くから探し求めていた典型的タイ人は、どうやら存在しないことがわかってきた。結局は、「タイにはタイ人はいない」という考えに達したのである。本書では、この「タイにはタイ人はいない」というモチーフを土台に、遠まわりではあるが、「タイのかたち(タイとはどんな国なのか)」を考えていくことにする。
一九六〇年代に日本に紹介された地域研究という考えに触発されて、タイ研究=「タイ学」に取り組み始めた私の本来の関心ごとは、「タイとはどんな国か」であった。つまり、「タイのかたち」を探し求めることであった。タイというインドシナ半島に位置する東南アジアの中の一つの国民国家の個性を知ることであった。それは、タイ国の鳥瞰図を描くと言い換えてもよいだろう。もちろん、そのためには、個々の事実(歴史事象も含む)を掘り下げてこと細かに調べ研究することがたいそう大切である。しかし、私は頑固な反要素還元主義者ではないが、そのレベルで留まっている限りでは、タイそのものの全体像は見えてこないと思う。やはり、時には、上空からタイを眺めて鳥瞰図を描いて初めてタイがよりよく理解できる。私にとっての「タイのかたち」は、その鳥瞰図に近いものである。
「タイのかたち」という鳥瞰図にも様々な種類があるだろう。ここで取り上げる「タイのかたち」は、タイという国民国家およびタイ国民の形成過程(歴史)から導かれる特徴である。つまり、「タイ人がいないタイ」という国家がどのようにして生まれ、どのような特徴を備えているのかを探っていくことになる。そして、この「タイのかたち」の把握が、現在のタイ社会理解にいかに有効であるかに話を進めたい。
本書の内容を先取りし、もう少し具体的に敷衍しておきたい。
交易に適した土地であるアユッタヤーには外から様々な人々が来住し(外来人)、彼らが一四世紀半ばから約四〇〇年間も継続するクニをつくった。そのクニを、「外来人国家」と呼ぶことにする。そして、その後も続くことになる「外来人国家」の特徴は、後継者たちがクニの中心を、チャオプラヤー川を少し南下したところ(バンコク)に移した後も、基本的には変わらなかった。
ただ、「外来人」が建設したクニは、西洋のこの地域への進出に刺激され、一九世紀半ば頃から近代(国民)国家への変容を迫られた。その際、核となった「外来人国家」は「サヤーム(シャム)」と呼ばれることが多かったがまだ固定した正式なクニ(国家)名は存在しなかった。その後の近代化過程で支配下(領域)に組み入れられることになった周辺地域の主たる民族の名称である「タイ」を借用して国名に採用したのは、最終的には一九三〇年代末であった。「国民国家タイ」としては、国名と連携した「タイ人(民族、国民)」の創出が急務となった。
そこで、「外来人国家」の周辺に居住していた本来的タイ族やその他の種族に加えて、拡大していく領域内の「外来人」とその末裔、およびその後も新しく流入した夥しい「外来人」のすべてを、「タイ人」という錦の御旗の下に国民として糾合したのである。種族(エスニック・グループ)としては本来互いに異なるのだが、皆が「タイ人」にされていった。だから、外見から見ても多様な「タイ人」が生まれたのである。また、中央集権化が進んだ一九世紀末以降は、「外来人」またはその末裔との混血が急速に拡大した。この混血による「ハイブリッド」こそが、我々が現在目にしている一般タイ人である。
以上が、私が強調する「タイには、(典型的)タイ人はいない」事象の背景である。したがって、近代(国民)国家建設の上で、もっとも苦労することになるのは、こうした多様な「タイ人」を国民として統合するためのタイとしてのアイデンティティーの模索と構築であった。タイ的価値の探索ないしはタイ文化の創出といってもよい。アユッタヤーを継承した権力の中心であるバンコクは、アユッタヤー以上に「外来人国家」的要素が強く、元来そこには今日タイ文化と呼ばれるものは、王権とタイ語および仏教を除けば、ほとんど存在しなかった。実際、「(タイ)民族」が意識され始めるのはラーマ四世時代頃からであるが、以後約一〇〇年という長い時間をかけて、タイという国家創りが試みられてきたのである。
もう一つ、重要な点に触れておかねばならない。それは、ほとんどのタイ人および我々を含む外国人が、タイという国家の起源がスコータイであり、スコータイ王朝→アユッタヤー王朝→トンブリー王朝→バンコク王朝と直線的に発展してきたと理解しているが、それは間違いである。現在のタイに直接つながる最初の国家(クニ)はアユッタヤーであり、スコータイではない。だから、アユッタヤーを出発点とし、その社会を根底に置き、その後の歴史を捉えていかねばならない。とりわけ、アユッタヤーが変転を経ながらも、約四〇〇年もの長い間続いたことを重く見なければならない。バンコクはアユッタヤーを継承しており、現在のタイの社会的性格の基本はアユッタヤー時代に形成されたのである。タイ社会を紐解くカギも、アユッタヤーという社会の解析にあると言っていい。本書でアユッタヤーについての言及が多いのはそのためである。
アユッタヤーがバンコクに継承され、その後どのような過程を経て現在のタイに発展していったかを検討することにより、明瞭な「タイのかたち」が見えてくるはずである。
本書で論じる主要テーマは、おそらくは、「民族と政治体(クニ polity)」の問題に関わっている。一般に、ある政治体の形成は、有力な一つの民族(民族共同体的基盤)による場合が多い。たとえば、ベトナムの場合キン族が約八六%を、ミャンマーの場合もビルマ族が約七〇%をそれぞれ占めている。しかし、タイの場合にはその中心的民族が存在しなかった。中心的民族を欠きながらも一つの政治体を形成し、長い過程を経て今日では国民国家に成長したケースである。政治的に民族そのものも仮想のものを置き、外来の多様な民族がその仮想の一つの民族に昇華し、一つの政治体に包摂されていき、想像とはいえ国民国家に進展したと捉えることができる。ただ、それは今日一般的に言われる「多民族国家」とも素直には呼べないし、ましてや「単一民族国家」ではない。
もちろん、本書は、最終的には「タイという国の現在を理解する」目的を持っている。「タイという国はわからない」という話をよく耳にする。たとえば、クーデタを二度も引き起こしたここ一〇数年間の政治的混乱は、私たちにとって理解に苦しむところである。そうした「わからないタイ」への理解を深めるために、一つの新しい「タイのかたち」を提示しようとするものである。
上記内容は本書刊行時のものです。