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オランダのムスリム移民 義澤 幸恵(著) - 明石書店
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オランダのムスリム移民 (オランダノムスリムイミン) 「柱状化」と多文化主義の可能性 (チュウジョウカトタブンカシュギノカノウセイ)

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発行:明石書店
A5判
248ページ
上製
価格 4,200円+税
ISBN
978-4-7503-5549-8   COPY
ISBN 13
9784750355498   COPY
ISBN 10h
4-7503-5549-6   COPY
ISBN 10
4750355496   COPY
出版者記号
7503   COPY
Cコード
C0036  
0:一般 0:単行本 36:社会
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2023年3月7日
書店発売日
登録日
2023年2月1日
最終更新日
2023年4月3日
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紹介

文化集団ごとの「柱」に個別の権利を与えてきたオランダは今日、ムスリム集団の権利をいかに保障するのかという問題に直面している。こうしたシステムとムスリムの活動を丹念に追い、転換期オランダにおける包摂と排除の実態を明らかにする。

目次

 初出一覧

序章

第1章 ムスリムの流入と多文化主義
 1.1 どのような経緯でムスリムは移住してきたのか
  1.1.1 インドネシアから
  1.1.2 地中海諸国から
  1.1.3 スリナムから
  1.1.4 ムスリム数まとめ
 1.2 リベラル・コミュニタリアン論争の視座からみた多文化主義
  1.2.1 はじめに
  1.2.2 リベラルとコミュニタリアンの相違
  1.2.3 リベラルとコミュニタリアンの内部の相違
  1.2.4 議論の行方
  1.2.5 近年の議論
 1.3 1980年代から2000年代初頭までの移民政策
  1.3.1 1980年代の移民政策
  1.3.2 1990年代の移民政策
  1.3.3 2000年以降の新しい変化
  1.3.4 おわりに

第2章 ムスリムの社会的排除/包摂とナショナル・アイデンティティ
 2.1 社会的排除/包摂とは
  2.1.1 社会的排除
  2.1.2 社会的包摂
  2.1.3 排除とナショナル・アイデンティティ
 2.2 オランダのナショナル・アイデンティティとムスリム移民
  2.2.1 ナショナル・アイデンティティをめぐる議論
  2.2.2 「他者」として排除されるムスリム移民
  2.2.3 おわりに

第3章 柱状化とムスリム
 3.1 伝統的な柱状化論
  3.1.1 レイプハルトと柱状化論
  3.1.2 柱状化の定義をめぐって
  3.1.3 柱状化とは何か
 3.2 新しい柱をめぐる議論
  3.2.1 イスラームの柱と社会的排除/包摂
  3.2.2 イスラームの柱をめぐって
 3.3 ムスリム移民たちの視角
  3.3.1 柱状化の支持/不支持
  3.3.2 柱状化を支持するレトリック
  3.3.3 新しい柱の可能性
  3.3.4 おわりに
 3.4 新しい柱の解釈――インタビューより
  3.4.1 カラジャエル(H.Karacaer)氏
  3.4.2 タシュプナル(I.Taşpınar)氏

第4章 オランダの公共放送体制におけるムスリムの参入
 4.1 オランダの公共放送体制
  4.1.1 放送体制の出発
  4.1.2 緩む規制
  4.1.3 移民数の増加
 4.2 公共ムスリム放送局
  4.2.1 開設にいたるまでの困難
  4.2.2 ムスリム放送局の開設と開設後の困難
 4.3 なぜ、オランダにはムスリム放送局が存在しているのか
  4.3.1 ムスリム放送局の存在を可能にしたオランダ社会とは
  4.3.2 残る問題点
 4.4 ムスリムの枠をめぐって――インタビューより
  4.4.1 アテシェ(E.Ateş)氏
  4.4.2 ユルヘンス(H.Jurgens)氏
  4.4.3 サッテル(A.Satter)氏

第5章 ムスリム高齢者連合の認可と活動
 5.1 ムスリムの高齢者の状況
 5.2 NISBOとオランダ政府の関係にみる柱状化
 5.3 NISBOの活動――高齢者アドバイザーその他
 5.4 高齢者施設の準備
  5.4.1 政府の意向
  5.4.2 NISBO(TISBO)による高齢者施設の準備――ハーレムとデン・ハーグ
  5.4.3 NISBOによる高齢者施設の準備――ロッテルダムとスキーダム
  5.4.4 おわりに
 5.5 公的な認可を受けるということ――インタビューより
  5.5.1 スバシ(H.Subasi)氏
  5.5.2 ファン・ウンニック(L.van Wunnik)氏
  5.5.3 イェルデン(İ.Yerden)氏

終章 オランダは寛容な国か?スケープゴートにされるムスリムたち
 E.1 その後の変化
 E.2 オランダの「寛容」の動揺
  E.2.1 オランダ連邦共和国成立前後
  E.2.2 柱状化の時代
  E.2.3 おわりに

 おわりに
 索引

前書きなど

序章

 西ヨーロッパ諸国では、多文化主義の失敗が叫ばれて久しい。2010年10月にはドイツのメルケル首相が、2011年2月にはイギリスのキャメロン首相が多文化主義は失敗した、という旨の発言をしている。ヨーロッパで多文化主義の「失敗」の原因とみなされているのは、ムスリムあるいはイスラームである。ドイツの政治社会学者ヨプケ(C.Joppke)は「(ヨーロッパで)問題となっているのは文化多元主義一般ではなく、たいていが国際的な移住から生じたエスニックもしくは宗教的な相違(variant)である。詳しくみてみると、ヨーロッパの多文化主義の危機の中心にあるのは任意の移民ではなく、とくにムスリム移民である」と書いている。またカナダの政治哲学者キムリッカ(W.Kymlicka)は「多文化主義への反動は一部地域に限られ、一部の国の一部のマイノリティの要求にしか当てはまらない」としたうえで、「反動は主として移民多文化主義にほぼ限定される」としている。そして「ヨーロッパの大半の国で非欧州系移民で最大の集団はムスリムであり」、ムスリムは反リベラルで、テロ事件などの安全保障上の問題をもたらすとみなす人々がいるから、「ムスリム移民の統合にリベラル多文化主義アプローチを用いるのは西欧では厳しい」と述べている。またオランダの政治学者オッセヴァールデ(M.Ossewaarde)は、「多文化主義は死んだ」という言説とムスリム批判が分かちがたく結びついていることを例証した。いずれの主張でも、ムスリム移民と多文化主義は相いれないとされている。
 なかでもオランダで多文化主義の失敗が叫ばれるようになったのは、世紀の変わり目ごろからであり、イギリスやフランスよりも10年早かった。2000年1月、スケッフェル(P.Scheffer)はオランダの新聞にコラムを掲載し、オランダの多文化主義を批判したうえで、それまでタブーとされていたムスリム移民に対する批判を公然と行った(第1章参照)。また政治家フォルタイン(P.Fortuyn)は『われらが文化のイスラーム化に抗して』という本を、1997年に出版したが、その当時は注目を浴びることはなかった。しかし2001年に『われらが文化のイスラーム化』と改題、改訂して出版したときには、フォルタインがテレビなどに盛んに出演し、その発言が注目を浴びていたこともあり、大幅に売り上げを伸ばした(第1章参照)。日本の政治学者の水島はその著書のタイトル『オランダの光と影』にあるように、オランダの雇用・福祉改革による労働者らの包摂を「光」、2002年以降の移民や難民の排除を「影」として描いた。オランダでは2000年ごろに、多文化主義的な移民政策からの転換点があったように思われる。本書では、その転換期のオランダに着目する。
 一方で「寛容」という言葉は、オランダの社会や歴史が言及されるさい、金科玉条であるかのように付けられてきた。オランダにおける「寛容」は、オランダのナショナルな特徴を歴史的に語るうえで重要な意味をもっている。古くはエラスムスに執筆の場を与えたことや、アンネ・フランクをかくまったオランダ人がいたこと、近年では安楽死の認可や麻薬の販売、売春の合法化、同性愛者の結婚の権利の保障などをもって、オランダを「寛容な」社会ということは可能かもしれない。安楽死を望む人々の意思を認め、麻薬を吸いたい人の欲望を禁止せず、同性愛者を異性愛者と同じく扱うことを「寛容」だと主張する一方で、当時のイスラームやムスリムは「寛容」に扱われているとはいえなかった。2008年12月、労働者党(PvdA)の議長プラウメン(L.Ploumen)は党の出版物で、「移民の統合は、寛容の問題だった。最後にはすべてが自然とうまくいくはずであった」と書いた。オランダの多文化主義の問題は、寛容の問題と分かちがたく結びついている。本書で論じるように、たしかに1980、90年代をみてみると、ムスリムの主張を一部、許容している、あるいは「寛容」に扱ってきたとみなすこともできるだろう。しかし世紀の変わり目ごろから、その寛容は疑問に付されるようになった。オランダの寛容が疑問視され始めた時期と、多文化主義的な政策が疑問視され始めた時期は一致している。

 (…中略…)

 第1章ではまず、どのような経緯をもってムスリムがオランダに居住するようになったのかを明らかにする。次にリベラル・コミュニタリアン論争に着目し、多文化主義とは何かを論ずる。そしてオランダの移民政策の流れを追うことで、1980年代はコミュニタリアンな多文化主義、1990年代はリベラルな多文化主義がとられていたことを明らかにする。
 第2章では「包摂」と「排除」という概念に着目し、その意味するところを分析する。さらに世紀の変わり目ごろから盛んになったナショナル・アイデンティティをめぐる議論に着目する。ナショナル・アイデンティティの議論は、人々を「我々」と「他者」に分けることを前提に成り立っており、それが盛んに議論されるようになったのは、ムスリムを「他者化」し排除した結果であることを明らかにする。柱状化・脱柱状化(ontzuiling)の歴史をもつオランダ社会において、ムスリムの(自助)組織が作られたことで、彼ら/彼女らの存在が一つの集団としてクローズアップされることによって逆に、「他者」集団として排除の焦点になったのではないだろうか。
 第3章では柱状化のシステムが伝統的には、どのように議論されてきたのかを説明する。第3.2節では、1990年代初頭に起こった、ムスリムによる組織化を新しい「柱」の出現であると認めるかどうかをめぐる議論を紹介する。第3.3節では議論の対象とされたムスリムたちが、どのように自分たちの組織を認識していたのか、筆者が1997年に行ったインタビュー調査をもとに明らかにする。
 第4章ではイスラームの柱状化の具体的な事例として、国営ムスリム放送局の事例をとりあげる。第5章では、同じく具体的な事例として、公営のムスリム高齢者連合の事例をとりあげる。両方の組織はムスリム全体の利益を代表すると主張することによって、国庫からの財政援助を受ける、オランダのシステムに包摂された組織になったのである。
 終章では、オランダの「寛容」とは何か、最後にふれておきたい。

 (…中略…)

 イスラームやムスリムは西洋の価値観と相いれないから、多文化主義はうまく働かず、寛容に扱うこともできないとする説は、ヨーロッパで現実に起こっていることをうまく説明することができない。本書はオランダのシステムと、ムスリムの活動を丹念に追うことによって、転換期のオランダの実態を明らかにしようとするものである。

著者プロフィール

義澤 幸恵  (ヨシザワ ユキエ)  (

神奈川工科大学非常勤講師。社会学修士(一橋大学)。
専門分野は社会学、地域研究。おもな著書に『岩波イスラーム辞典』(共著、岩波書店、2002年)、『もうひとつのヨーロッパ―多文化共生の舞台―』(共著、古今書院、1996年)がある。

上記内容は本書刊行時のものです。