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一九六八年と宗教
全共闘以後の「革命」のゆくえ
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2025年1月30日
- 書店発売日
- 2025年1月30日
- 登録日
- 2024年4月17日
- 最終更新日
- 2025年2月5日
紹介
「一九六八年の革命」と「宗教的なもの」は、いかに関係を取り結んだか。
近代宗教史研究と社会運動史研究の架橋により、既存の枠組みでは捉えきれない六八年の運動の秘められた可能性を問う画期的共同研究。時代を牽引したイデオローグが見せたスピリチュアルなものやオカルトへの接近、そして宗教者たちの闘争、それらが持つ意味は何だったのか。
「近年、フランス現代思想やポストコロニアル批評の代表的論者たちが、「宗教の回帰」に至っている。いずれもポストモダニズムのアポリア(例えば脱構築と批判主体のジレンマ)の徹底あるいは超克として、各々の歴史的伝統に立ち返って「宗教」や「霊性」に着目する点に共通性がある。これと相似したことが、日本の〈一九六八年〉以後でも起こっていたのではないか。だが、それが「革命」の具体的な「形式」の問題であるならば、単にアナロジーのみで理解して事足りるわけにはいかない。本書はこのことをポストモダニズムの動向の類比や適用ではなく、〈一九六八年〉の具体的な事例から検討しようとしているのである。」(本書より)
◎目次
序章 「近代主義を超えて」を超えて(栗田英彦)
第Ⅰ部 一九六八年を捉え直す――芸術宗教・死者・ファシズム
第一章 安保・天皇制・万国博(絓秀実)
第二章 高橋和巳の全共闘運動と一九六八年前後――未成へと向かう臨死者の眼(川村邦光)
第三章 橋川文三の「超国家主義」研究と折口信夫―─「ファシズムと異端神道」論・再考のために(斎藤英喜 )
第Ⅱ部 一九六八年から新宗教・ニューエイジ運動へ
第四章 神々の乱舞―─一九六八年革命と「民衆宗教」観の変遷(武田崇元)
第五章 一九六八年の身体―─津村喬における気功・太極拳(鎌倉祥太郎)
第六章 革命的抵抗の技術と霊術――戸坂潤・田中吉六・太田竜(栗田英彦)
第Ⅲ部 一九六八年の宗教――キリスト教から考える
第七章 東大闘争における無教会運動の活動とその背景(エイヴリ・モロー)
第八章 観念と現実のはざま――─ 田川建三における大学闘争と宗教批判(村山由美)
第九章 日本基督教団の「一九六八年」――万博をめぐる闘争から(塩野谷恭輔)
終章――もうひとつの全共闘以後(栗田英彦)
目次
序章 「近代主義を超えて」を超えて 栗田英彦
一 「日本宗教史像の再構築」とポストモダニズム
二 ポストモダニズムと〈一九六八年〉
三 近代日本における「宗教」的条件
四 新左翼の源流へ――労農派・ファシズム・天皇制イデオロギー
五 「革命」の亡命先としての「宗教」
六 本書の目的――全共闘以後の「革命」のゆくえ
七 各部・各章の概要
第Ⅰ部 一九六八年を捉え直す――芸術宗教・死者・ファシズム
第一章 安保・天皇制・万国博 絓秀実
一 安保闘争は存在したか?
二 吉田茂から岸信介へ
三 日本帝国主義の復活と一段階革命論
四 新左翼の天皇制ボナパルティズム論
五 天皇の戦争責任論へ
六 左派/リベラルによる天皇制擁護
七 芸術前衛としての反スターリン主義
八 アヴァンギャルドの滅亡
第二章 高橋和巳の全共闘運動と一九六八年前後――未成へと向かう臨死者の眼 川村邦光
はじめに――孤立と憂愁のなかで
一 六七年一〇・八の「未完の模様」
二 自己否定の果て
三 生病死
四 臨死者の眼
五 未成の展望
おわりに――大衆と御詠歌の世界
第三章 橋川文三の「超国家主義」研究と折口信夫―─「ファシズムと異端神道」論・再考のために 斎藤英喜
一 橋川文三・全共闘運動・ファシズム
二 橋川文三の超国家主義研究と「宗教」
三 折口信夫と「ファシズム」
四 「橋川文三と折口信夫」という問題設定
五 折口信夫と「超国家主義」運動
六 昭和八年、「十人組徒党事件」
七 「大正維新」の精神構造
八 折口信夫「零時日記」を読む
九 「神性を拡張する復活の喜び」
一〇 昭和三年の大嘗祭と「天皇霊」
一一 異端神道と「鎮魂」の行法
一二 運動としての「ファシズム」再考のために
一三 「神、やぶれたまふ」のあとに
第Ⅱ部 一九六八年から新宗教・ニューエイジ運動へ
第四章 神々の乱舞―─一九六八年革命と「民衆宗教」観の変遷 武田崇元
序論
第一期:呪術排撃と土俗蔑視 一九四五~一九五三 123
小口偉一 佐木秋夫
第二期:眼差しの変化 一九五四~
『教祖─ 庶民の神々』 六全協の影
戦後大本の「平和路線」村上重良の民衆宗教論 『大本七十年史』
第三期:土俗からの反撃 一九六八~
邪宗門と『民衆宗教の思想』 梅原正紀と本願寺闘争
公害企業主呪殺祈禱僧団 「近代の超克」としての新宗教
第四期:神々の乱舞 一九八〇~
結語
第五章 一九六八年の身体―─津村喬における気功・太極拳 鎌倉祥太郎
はじめに
一 「日常性批判」と浮かび上がる身体
二 津村喬における身体性の政治
三 西洋近代への批判と身体
四 身体の共同性
おわりに
第六章 革命的抵抗の技術と霊術――戸坂潤・田中吉六・太田竜 栗田英彦
はじめに――技術論と一九六八年
一 戦後主体性論とトロツキズム――戦後社会運動史の盲点
二 『季刊理論』の革新的ナショナリズムと占領下抵抗
三 技術と霊術――一九三〇年代の唯物論研究会と日本主義哲学
四 一九四〇年の交差――三二年テーゼとコミンテルン第七回大会
五 田中吉六の主体的唯物論――一九三〇年から一九六八年へ
六 共産党時代の太田竜
七 五〇年代の太田竜と国際的トロツキズムの動向
八 六〇年安保闘争・核戦争・第三世界
おわりに――技術・霊術・戦争
第Ⅲ部 一九六八年の宗教――キリスト教から考える
第七章 東大闘争における無教会運動の活動とその背景 エイヴリ・モロー
はじめに
一 無教会における非暴力主義の源流
二 「流血回避・非暴力連帯」の創立までの経緯
三 「非暴力連帯」への反応
四 東大闘争の燃え尽きとクリスチャン・ネットワーク
結び――近代的な、あまりにも近代的な
第八章 観念と現実のはざま――─ 田川建三における大学闘争と宗教批判 村山由美
はじめに――聖書学者=思想家としての田川建三
一 キリスト教系大学における全共闘運動
二 国際基督教大学における闘争
三 「何故私はここまでやったのか」――知識人としての田川
四 類比としてのイエス
五 宗教批判へ
六 立ちつくす知識人
七 表象されたイエスとどう向き合うのか
おわりに――田川建三のたじろぎから
第九章 日本基督教団の「一九六八年」――万博をめぐる闘争から 塩野谷恭輔
一 はじめに
二 キリスト教の大阪万博参加と、反万博運動の勃興についての経緯
三 万博をめぐる神学――「にもかかわらず」と「主体」の在処
四 パウロ主義批判に見られる内在的批判について
五 「一九六八年革命」におけるキリスト教の反万博
終章――もうひとつの全共闘以後 栗田英彦
はじめに――社会運動論研究との接続
一 予示的政治と世界革命
二 新しい社会運動・政教問題・人権
三 敵対性と死の問題
おわりに――「あとがき」に代えて
上記内容は本書刊行時のものです。