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鶴見俊輔の言葉と倫理
想像力、大衆文化、プラグマティズム
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2022年9月12日
- 書店発売日
- 2022年9月12日
- 登録日
- 2022年4月13日
- 最終更新日
- 2022年9月13日
書評掲載情報
2022-10-22 |
日本経済新聞
朝刊 評者: 黒川創(作家) |
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重版情報
2刷 | 出来予定日: 2023-02-09 |
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紹介
鶴見哲学の中心へ
哲学と市民運動をまたぎ、戦後日本に巨大な足跡を残した鶴見俊輔。しかし、その平明な語り口とは裏腹に、思想の本質は捉えがたく、謎に包まれている。鶴見は今も読まれるべきなのか、もちろんそうだ。残された膨大な言葉の数々に分け入り、単純化を避けつつ独自の視点から思想の可能性をつかみ出し、現代の倫理として編み直す。鶴見俊輔生誕100年、気鋭の哲学者によりついに書かれた決定的論考。
「鶴見俊輔の哲学に価値があるのだとすれば――私はあると思うが――、彼の言葉を、そんなよそよそしい位置に放っておかずに、深く、適切に読み解くことで、彼の知的遺産をきちんと相続した方がいい。私が本書で試みるのは、彼の言葉を深く解釈し、現代の私たちが生きうる倫理へと再編集することであり、その仕事を通じて、彼の哲学を知的遺産として批判的に継承することだ。まともに読み解くことなしに、鶴見の言葉を、私たちの時代の経験に変えることはできない。」(本書より)
◎目次
はじめに
導入 ハックルベリー・フィンと悪の自覚――エピソード、(再)編集、境界
一 「よし、それじゃあぼくは地獄へ行こう」
二 読み、つかみ、憶え、編集する――「語る」のではなく「示す」
三 鶴見俊輔の言葉を再編集するという方法
四 「根っこにハックルベリー・フィンの伝統が生きている」
五 「文明を横に観て、そのそばをすりぬけてゆく」
六 「二つの世界を往復する人間、境界線上に立つ人間」
七 「聞いている方にはわからない時もある」
八 「ちゃんと読む」という扱いを受けてこなかった思想家
九 本書の構成
鶴見俊輔小伝
第一部 書く、読む、書く
第一章 鶴見俊輔は、なぜ作文が知的独立性の問題だと考えたのか――生活綴方、想像力、アナキズム、期待と回想
一 天才と秀才はどう違うのか――桑原武夫の鶴見評
二 理論と実感の隘路――生活綴方と、一九五六‐五八年の鶴見
三 詩的想像力の方へ――佐藤忠男の生活綴方論
四 The Exactness is a Fake. ――言葉選びという倫理的課題について
五 アナキスト、ソローの森での生活記録――準拠枠としての過去
六 原体験への誠実さ――期待と回想
七 矛盾の認識から、矛盾の吟味へ
コラム1 消極的であることほど難しいことはない――ネガティヴ・ケイパビリティ
第二章 鶴見俊輔は、なぜ自分の解釈理論を実践できなかったか――学びほどき、多元的自己、個人史的読解、エピソードという方法
一 書くことから読むことへ――解釈の理論と実践
二 固定化する解釈への抵抗
三 自己に根差した読解――コナトゥス、学びほどき、多元的自己
四 解釈理論の個人史的変形とその失敗
五 エピソード的方法とその限界
コラム2 認識は遅れてやってくる――ソルニット、ウルフ、ホワイトヘッド
第三章 鶴見俊輔は、なぜ文章教室で理想を書き留めることについて語ったのか――他愛ない夢、大衆文化、想像的変身、感性的横ずれ
一 三つの文章術と一つの自己論――現代風俗研究会の文章講座
二 気の利いた言葉を諦めること――鶴見の「紋切型」批判
三 言葉のプラグマティズム、あるいは「自分の声」を乗せること
四 問題を前に置き、制約の中であがくこと
五 想像力の線を引く――鮎川信夫との問答
六 無数の理想を書き留めること
七 探偵と忍者――理想的形象への変身願望
八 小さな変身を重ね、感性を揺らすこと
コラム3 精神のイディオムとしての漫画――長谷川町子の『サザエさん』
第二部 プラグマティズムとアナキズム、リベラリズムとニヒリズム
第四章 鶴見俊輔は、どのようにプラグマティズムとアナキズムを統合したか――短歌の倫理、自己不信、反射と日常性
一 短歌と倫理、あるいは哲学者の問題
二 哲学――集団分極化とシニシズム
三 内なる外部の育ち――二・二六事件、阿部定、金子文子
四 足並みの乱れを擁護する――抵抗の多元主義
五 プラグマティズムの実存主義的変形――自己論的可謬主義へ
六 同情による自己変革――自己論的アナキズムへ
七 "I'm proud of you."の自然さ
八 記憶と反射から作られる倫理
九 倫理としての不自然な自然さ
コラム4 メディア論、コミュニケーション論の先駆者としての鶴見俊輔
第五章 鶴見俊輔は、なぜ「コーヒーを飲むためなら世界が破滅してもかまわない」と言ったのか――「好み」のリベラリズム、あるいはニヒリズムに基づく大らかな政治運動
一 カナダの厳冬下で微笑む、そういうリベラリズム?
二 どうだって構わないという自由の境涯――宗教からニヒリズムを育てる
三 世界の破滅に優先する「好み」―― 『がきデカ』から『地下室の手記』へ
四 アーレントのカント講義――趣味判断と共同性
五 ニヒリズムという梯子、狂気と共同性――アーレントと鶴見
六 ナンセンスの楽しみ、あるいは「好み」が生み出す教養と自由
七 大まかな政治思想としてのリベラリズム
八 「世界は舞台、人は役者」――役割と自己に隙間を作ること
コラム5 自己演出の過剰さとジェンダーバイアス
第三部 日常とヴァルネラビリティ
第六章 鶴見俊輔は、なぜ人の「むちゃくちゃ」を面白がったのか――中野重治、気分のアブダクション、ヴァルネラビリティ
一 むちゃくちゃな室生犀星と中野重治
二 アブダクションを信じる意志
三 気分を契機とするアブダクション――中野重治『むらぎも』
四 「傷「が生み出す自己の根本的な気分
五 「傷」からの問いかけで自己の傾きは生じる――ヴァルネラビリティ
コラム6 「闇の定義を変えれば」――晩年の武谷三男
第七章 中野重治はなぜ「くりかえし」自分の弱さに目を向けたのか――柳田國男、日常の謎、ネビュラと祈り
一 中野重治と「くりかえし」の思想――弱さと反復
二 ゴムボールのように弾む記号――柳田國男と「老いたる母の糸車」
三 日常という謎へ飛び込む――身ぶりと民俗学
四 「傷」の中にある漠然たるネビュラ
コラム7 限界芸術論の魅力はどこにあるか
あとがき
参考文献
人名索引
目次
はじめに 9
導入 ハックルベリー・フィンと悪の自覚――エピソード、(再)編集、境界
一 「よし、それじゃあぼくは地獄へ行こう」
二 読み、つかみ、憶え、編集する――「語る」のではなく「示す」
三 鶴見俊輔の言葉を再編集するという方法
四 「根っこにハックルベリー・フィンの伝統が生きている」
五 「文明を横に観て、そのそばをすりぬけてゆく」
六 「二つの世界を往復する人間、境界線上に立つ人間」
七 「聞いている方にはわからない時もある」
八 「ちゃんと読む」という扱いを受けてこなかった思想家
九 本書の構成
鶴見俊輔小伝
第一部 書く、読む、書く
第一章 鶴見俊輔は、なぜ作文が知的独立性の問題だと考えたのか――生活綴方、想像力、アナキズム、期待と回想
一 天才と秀才はどう違うのか――桑原武夫の鶴見評
二 理論と実感の隘路――生活綴方と、一九五六‐五八年の鶴見
三 詩的想像力の方へ――佐藤忠男の生活綴方論
四 The Exactness is a Fake. ――言葉選びという倫理的課題について
五 アナキスト、ソローの森での生活記録――準拠枠としての過去
六 原体験への誠実さ――期待と回想
七 矛盾の認識から、矛盾の吟味へ
コラム1 消極的であることほど難しいことはない――ネガティヴ・ケイパビリティ
第二章 鶴見俊輔は、なぜ自分の解釈理論を実践できなかったか――学びほどき、多元的自己、個人史的読解、エピソードという方法
一 書くことから読むことへ――解釈の理論と実践
二 固定化する解釈への抵抗
三 自己に根差した読解――コナトゥス、学びほどき、多元的自己
四 解釈理論の個人史的変形とその失敗
五 エピソード的方法とその限界
コラム2 認識は遅れてやってくる――ソルニット、ウルフ、ホワイトヘッド
第三章 鶴見俊輔は、なぜ文章教室で理想を書き留めることについて語ったのか――他愛ない夢、大衆文化、想像的変身、感性的横ずれ
一 三つの文章術と一つの自己論――現代風俗研究会の文章講座
二 気の利いた言葉を諦めること――鶴見の「紋切型」批判
三 言葉のプラグマティズム、あるいは「自分の声」を乗せること
四 問題を前に置き、制約の中であがくこと
五 想像力の線を引く――鮎川信夫との問答
六 無数の理想を書き留めること
七 探偵と忍者――理想的形象への変身願望
八 小さな変身を重ね、感性を揺らすこと
コラム3 精神のイディオムとしての漫画――長谷川町子の『サザエさん』
第二部 プラグマティズムとアナキズム、リベラリズムとニヒリズム
第四章 鶴見俊輔は、どのようにプラグマティズムとアナキズムを統合したか――短歌の倫理、自己不信、反射と日常性
一 短歌と倫理、あるいは哲学者の問題
二 哲学――集団分極化とシニシズム
三 内なる外部の育ち――二・二六事件、阿部定、金子文子
四 足並みの乱れを擁護する――抵抗の多元主義
五 プラグマティズムの実存主義的変形――自己論的可謬主義へ
六 同情による自己変革――自己論的アナキズムへ
七 "I'm proud of you."の自然さ
八 記憶と反射から作られる倫理
九 倫理としての不自然な自然さ
コラム4 メディア論、コミュニケーション論の先駆者としての鶴見俊輔
第五章 鶴見俊輔は、なぜ「コーヒーを飲むためなら世界が破滅してもかまわない」と言ったのか――「好み」のリベラリズム、あるいはニヒリズムに基づく大らかな政治運動
一 カナダの厳冬下で微笑む、そういうリベラリズム?
二 どうだって構わないという自由の境涯――宗教からニヒリズムを育てる
三 世界の破滅に優先する「好み」―― 『がきデカ』から『地下室の手記』へ
四 アーレントのカント講義――趣味判断と共同性
五 ニヒリズムという梯子、狂気と共同性――アーレントと鶴見
六 ナンセンスの楽しみ、あるいは「好み」が生み出す教養と自由
七 大まかな政治思想としてのリベラリズム
八 「世界は舞台、人は役者」――役割と自己に隙間を作ること
コラム5 自己演出の過剰さとジェンダーバイアス
第三部 日常とヴァルネラビリティ
第六章 鶴見俊輔は、なぜ人の「むちゃくちゃ」を面白がったのか――中野重治、気分のアブダクション、ヴァルネラビリティ
一 むちゃくちゃな室生犀星と中野重治
二 アブダクションを信じる意志
三 気分を契機とするアブダクション――中野重治『むらぎも』
四 「傷「が生み出す自己の根本的な気分
五 「傷」からの問いかけで自己の傾きは生じる――ヴァルネラビリティ
コラム6 「闇の定義を変えれば」――晩年の武谷三男
第七章 中野重治はなぜ「くりかえし」自分の弱さに目を向けたのか――柳田國男、日常の謎、ネビュラと祈り
一 中野重治と「くりかえし」の思想――弱さと反復
二 ゴムボールのように弾む記号――柳田國男と「老いたる母の糸車」
三 日常という謎へ飛び込む――身ぶりと民俗学
四 「傷」の中にある漠然たるネビュラ
コラム7 限界芸術論の魅力はどこにあるか
あとがき
参考文献
人名索引
上記内容は本書刊行時のものです。