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内村剛介著作集 第4巻
ロシア・インテリゲンチャとは何か
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2010年3月
- 書店発売日
- 2010年3月30日
- 登録日
- 2010年3月28日
- 最終更新日
- 2015年12月10日
紹介
ロシア・インテリゲンチャとは何か。またそれは如何なる意味で問題的問題となるのか。[インテリゲンチャ/ナロード]というロシア的メビウスの環を、著者独特のアプローチから読み解く。
●〈インテリゲンチャ〉というテーマの普遍性
近代世界に遅れて登場したロシアがその内的必然から提起した問題として「ロシア・インテリゲンチャとは何か」というテーマがある。ロシア特有のこの課題は日本にも輸入されて日本型知識人のテーマとして受容され、「知識人とはいかなる人間か、またいかにあるべきか」という問題として血肉化されていった。著者はその系譜と問題性を剔抉するべく、先ずロシアの生んだ巨人ドストエフスキーを俎上に上げ、その真骨頂を探るとともに、日本知識人に祀り上げられてきた「ヤマト・ドストエフスキー」という偶像化を排し、独自のドストエフスキー像を呈示する。
●人間にとって革命とは何か――コングロメラ・デ・リュス
ロシア・インテリゲンチャ論とは同時にロシア・ナロード論でもある。「社会主義」に向かう社会的波濤と直面することとなった革命期のロシア・インテリゲンチャたちは、この巨大な波濤とどのように対応・対峙したか。「コングロメラ・デ・リュス」論において、詩人エセーニン、ブロークたちの苦悩を辿りながら、ロシアにおける「神」と「社会主義」の諸相を追尋し、「人間にとって革命とは何か」を問うに至る。
目次
1ドストエフスキー
まえがき
1 ドストエフスキーの思想
1 ドストエフスキーとロシア近代
2 ドストエフスキーはどのような思想家か
2 ドストエフスキーの生涯
はじめに
1 ジャーナリズム以前
2 女をカネを名声を、雑誌経営
3 くらしの破綻―根源的テーマへ―『罪と罰』へ、再婚
4 異境の四年、大作『白痴』、『悪霊』
5 帰国、個人雑誌『作家の日記』を
6 『カラマーゾフの兄弟』、永訣
3 ドストエフスキーの著作
1 肉声抄
解説
一 さまざまなテーマ
二 文学と芸術について
三 宗教について
四 ロシアとロシア人について
2 作品抄
解説
一 『罪と罰』/〈酒場のマルメラードフ〉/〈やせ馬の夢〉
二 『白痴』 /〈ムイシキンのてんかん〉
三 『悪霊』 /〈シャートフとスタヴローギン〉
四 『カラマーゾフの兄弟』/第五部 第四章 反抗 / 第五部 五章 大審問官
〈付〉聖母の地獄めぐり
4 思想の衝撃
1 ロシア・ソビエトにおけるドストエフスキー
2 西欧におけるドストエフスキー
一 フランスにおけるドストエフスキー
二 イギリスにおけるドストエフスキー
三 ドイツにおけるドストエフスキー
3 日本におけるドストエフスキー
2第二の奇遇 ―シクロフスキー『ドストエフスキー論』
構造のつまずき―『罪と罰』日本語版について
わがドストエフスキー・テーゼ
ドストエフスキーとイエス
ドストエフスキーの「タワリシチ」について
途上のドストエフスキー学―桶谷秀昭『ドストエフスキイ』
「ツミとバツ」は日本製―ドストエフスキー翻訳にみる文化交錯
人さまざまな「狂いざま」
『創作ノート』をめぐって
3コングロメラ・デ・リュス
1 ロシアとのかかわり
2 エフトゥシェンコのエセーニン
3 エセーニンについて
4 ブロークとエセーニン
5 「フォークロア」、「ナロード」
6 現代ロシアの「無用人」
7 ロシアの「神」とロシア社会主義
8 「ロシア・インテリゲンチャ」とは何か―その1
9 「ロシア・インテリゲンチャ」とは何か―その2
10 「ロシア・インテリゲンチャ」とは何か―その3
11 人間にとって革命とは何か
あとがき
4ラジーシチェフの『旅』
宿命の窓―プーシキン『青銅の騎士』
ゴーゴリに即し国境とは何か
時空を超えた藤―ツルゲーネフ『父と子』
カテキズムへの回帰
トルストイとドストエフスキー
何故チェホフか
チェホフには日記がない
ロシア・インテリゲンチャの内在批判―『道標』をめぐって
やわな進歩、硬い反動
文明はインテリゲンチャを排泄する
「報い」とロシア知識人―リハチョフ・インタビューに思う
解説=内村剛介を読む 「世界史のなかの時間」と収容所 川 崎 浹
解題―陶山幾朗
表紙題字 麻田平蔵(哈爾濱学院24期)
カバーデザイン 飯島忠義
前書きなど
推薦のことば 川崎浹(ロシア文学者)==帯文
ロシア革命が「全世界史」のなかでどのような位置を占めているか、日本人は日本海の背中越しにしか見てこなかった。この問題を剛腕と自らの言葉で真正面に引き据えたのが内村剛介である。いま、それらの評論が著作集にまとめられると、一貫した意図のもとに最初から主題別の長編論文が書きつがれてきたかのような印象をうける。社会主義、ラーゲリ、ロシア文学、ハルビン学院、「ジャパン」の文化と、すべてが文明批評の視点から俯瞰されている。しかもそこにはつねに死と向きあう「実存」の姿勢も潜んでいる。「ジャパン」は内村の異才と執念によって「全世界史」のなかの社会主義を、さらに社会主義をとおしての「全世界史」を、またその副産物として鏡に映されるジャパンの像を見る目をもつことができた。そのような強烈な個性と相応の自負をもつ内村剛介を抜きにして、二〇世紀日本の思想をふり返ることはできない。
版元から一言
――今なぜ「内村剛介」なのか――
●二十世紀末の崩壊劇――「ユートピア」の終焉
・ 21世紀も、はや7年を経過した。前世紀の末、東西ベルリンを隔てていた「壁」が落ち、続いて東西冷戦の雄・ソ連邦が崩壊するのを目の当たりにした私たちだったが、しかし、何事によらず物事を忘却しやすい現代人にとって、こんにちこの記憶もすでに遠のき始め、世界も時々刻々とその様相を変容しつつある――まるでつい最近まで「ソ連」という国家が地球上に存在してことなど無かったかのように。
・ 二十世紀の終わりに生起したこの崩壊劇の象徴する意味を、私たちは何故忘れてはならないか。それは、そこにこそ私たちが等しく生き、また拠らねばならぬ地球の運命が懸かっているからである、と内村剛介は主張する。そして、世紀の変わり目において、今、あらためてわれわれはあの出来事に集約される歴史的意味を反芻し、これを継承していかなければならない、と。
・ あのとき、果たして最終的に何が「崩壊」し、何が「終焉」したのか。かつては「希望の星」として謳われ、未来への進路を領導すると世界に喧伝された「ソ連という夢」の、その無惨な瓦解劇が意味したもの。その結末がわれわれに指し示していたものとは――二十世紀を言わば「マルクス主義の時代」と仮に呼ぶなら、それは、或る眩しさとともに世界を覆った変革の教義としてコミュニズムの退場であり、それによって夢見られていた「ユートピア神話」の最終的な終焉であった。
●デモスと権力を見据えた内村「ロシア-ソ連論」
・ 内村剛介は、かつてスターリンの獄にあり、その獄の底からソ連国家の仕組み、その社会の実態をつぶさに目撃した。以後、抑圧的国家支配とそれに抗する人間(デモス)たちの生とが醸す軋みという問題は、彼の終生の課題となるが、この短かからぬ幽閉の歳月は、同時に、内村剛介にとって「母なるロシア」の本質、その大地に満ちる豊饒さの秘密を垣間見るという稀有な体験でもあった。
・ この体験を基底に据えながら、ロシアの民俗と文化への接近と、ロシア文学への深い理解に裏打ちされた内村剛介のロシア論が生み出されていった。それは、言わば聖から俗の極みまでを包含した「逆説のロシア」像であり、いわゆる「スターリニズム」と呼ばれた政治支配の構造からは決して被い尽くせない、ロシア・ナロードたちの不逞な生きる意志を見据えた、独特の「ロシア-ソ連」原論であった。
●冷徹な認識から繰り出される〈ジャパン〉批判
・ しかしながら、内村剛介が最も執着したテーマとは、ほかならぬ日本であり、「日本とは何か」という課題であった。この、おのが日本という問題を解き、真に愛しうべき日本を奪還する方途において、内村剛介はやはりロシアに拘わらざるをえない。自身の苛酷なロシア体験こそ、「日本」に到達する方法であったからである。
・ すなわち、眼前の日本を〈ジャパン〉と呼び、あえてこれをいったん遠ざけながら、ロシアに拘り、そのロシア経由して日本に至らんとする。この至難な道を行く彼にとって、「ロシア-日本」という往還運動は必須の作業となったのである。「わたしが内村剛介の仕事に関心をもつのは、かれが穿ちつづけているロシヤ語の世界と民俗とが、結局、〈妣〉なる日本と、西欧なる日本との空隙を埋めるための模索にほかならないとおもえるからである。」(吉本隆明)
追記
6カ月に1巻ずつ続刊予定
上記内容は本書刊行時のものです。