「国家」にこだわるロシア
2001年9月のアメリカ同時多発テロ以来、世界はテロの時代に入った。国家の主権を奪うのではなく、人々を恐怖で支配して実効支配の地を広げるのがテロ集団だ。なまじ国家など預かると、法律だの外交だのと面倒な文書手続きをせねばならなくなる。故に、国家主権など握らず、実効支配だけでよい、と考えるのである。
東西冷戦が終結する前から、すでに政府に異を唱える国家対非国家主体の紛争(内戦)はあったのだが、あの同時多発テロ以来、同様のテロを試みる非国家主体は増え続け、今や戦いの多くは、国家同士の戦争ではなく、国家対非国家である。
ところが、今や希少な、国家と国家の戦争を続けている国がある。ロシアである。2014年のクリミア併合にあるように、武力による領土拡大と統治を国際社会の批判にもかかわらず続けている。統治のコスト(民の不満を抑える警察と治安部隊の出動費、医療・教育などの住民サービス費)よりも、領土支配による効用(示威効果、資源の売買益、税収)のほうが大きいと思っているようだ。実際には計画経済が行き詰まったことと、治安出動の出費増大でソ連は崩壊したことを忘れたのだろうか。ロシア政府の下で暮らす人々に、思いが募る。
昭和25年創業の恵雅堂は、麻田平蔵会長の哈爾濱学院在学の経歴に由来している。満州国運営の、五族(日韓満蒙漢)がロシア語を学ぶ学院である。ソ連の侵攻とともに、学院生たちは“スパイ学校”の学生として多くの者がシベリアへと連行され抑留された。この極寒の地で約60万人もの日本人が抑留され、ラーゲリの中で栄養失調や、過酷な労働により多くの命が失われた。
北方領土の実効支配も抑留も、ロシア人には戦勝の証、賠償金代わりであった。政権は何か目に見えるものを握りしめ、国民の前に突き出さねば「勝った」と国民に言えない。国民もまたそれを望む。国土拡大、従う国・民族の増加が尊ばれる文化だ。国名がロシアに変わろうと、帝国主義から社会主義へ、そして権威主義(ソ連はこれを“民主主義”と自称した)へ体制は変わったものの、目指すことは同じ。こんな体制下で自分の能力を発揮するには、指導者に唯諾々従うしかない。
…と思いきや、大量テロの体制下でレーニンとスターリンに論戦を挑み、恐怖政治を生き抜いた女性がいた。レーニン時代に初代教育大臣となった女性がそれである(『恐怖政治を生き抜く―女傑コロンタイと文人ルナチャルスキー―』鈴木肇著、恵雅堂出版2016年1月)。名門貴族の家庭教育が彼女の確固たる信念を育て、自信をもたらしたようだ。
さて著者の鈴木氏は現在、帝政ロシア末期、政党首脳陣がテロを組織して改革を挫折させた史実に取り組んでいる。現代と過去をつなぐキーワードが「テロ」とは、興味深い。仕上がりをとても楽しみにしている。