何でも屋、編書房の日記
編(あむ)書房の日常は忙しい、余裕ない、お金もあまりない。毎日どうしてこのように時間がないのであろうか?小さな小さな版元(一人出版社です。新卒採用予定は永久にゼロ)だから、さぞかし暇だろうと創業のとき(3年前)には考えていました。たっぷり本を読む時間もできるであろうと。しかし夢と現実は違うのでした。
本は大急ぎで読むしかないのです。その理由は以下の通りです。
1. 午前中、編書房の本来の仕事をする。注文品を倉庫に取りに行ったり、荷作りしたり、愛読者カードに返事を書いたり、メールに返信を出したりする(やたらと長いメールをくれる人がいるので、それなりにこちらも誠意をもって長く書く)。書く仕事がものすごく多い。
2. 午後からはオンライン書店に出稼ぎに行く。有難いことに文庫新書のエディターとして棚をまかされているので、好きな本をウエブ上に並べる。サラリーマンではないが組織に従属する苦痛をチョッピリ味わう。
3. 午後8時ごろ帰宅して、『図書館の学校』(図書館流通センター発行)で連載中の永江朗さんと斎藤美奈子さんの対談、「甘い本、辛い本」で使う対談本を読んだり、原稿を書いたり、新聞を読んだり、ビールを飲みながらご飯を作ったりする。
4. 編集プロダクションとして企画している本の原稿を読んだり、夜中に電話やFAXで著者と打ち合わせをしたり、見積書を書いたりする。
5.これらの仕事を終えてやっと読みたい本に飛びついて自分を取り戻す。時間が足りないのでいつも不満。先週読んだ本は『「教養」とは何か』『教養論ノート』『新教養主義宣言』 『バカのための読書術』『光の教会』『俳句殺人事件』『東方見便録』。買ったが積んだままの本は『君の中の見知らぬ女』『職業としての翻訳』『迷いの体』など10冊余り。毎週かなりの本を買う。いつ読むんだろう?
これだけ休みなく働き頑張ってもサラリーマン時代の給料には及びもつきません。最近出したばかりの『古本屋サバイバル』(小田光雄、河野高孝、田村和典著・ 2001年3月刊・本体1700円)も、満を持しての出版だった(部数も随分刷ってしまった)にもかかわらず、売れんのですわ。著者の小田光雄さんと「なぜ、売れないんだろうね」と電話で愚痴大会に。「こんないいい本なのに、なぜ無視されるのか、悲しいね」。ふたりの愚痴はいつまでも続きます。こういう部数決定の間違いと大量返品が、お金のたまらない理由でしょうか。