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事務所猫の話

 初代は、当時小学生だった二女が学校の帰りに拾ってきた。子どもの両手に収まるくらいの小さな仔猫だった。生後間もないようで、弱々しく、放っておけばその日のうちに命はなくなると思われた。
 わが家は、自営の出版社、二階に居住し、一階で仕事をしている。至る所におびただしく、猫が遊びたいような紙の山がある。とても猫など飼えない。二女は、泣く泣く「コネコ飼って下さい」のチラシをつくり、友だちと二人で町内を回った。その甲斐はなかったのだが、長女がクラスメートにその話をし、引き取り手をみつけてきた。

 しかし、三日が経っていた。赤ん坊猫を三日、手元に置くと、もうだめである。手放せなくなっていた。猫をもらえると喜んでやってきた長女の友人に平謝りに謝り、ウチで飼うことになった。(その友人には、ちょうどその頃、私の友人が子犬の引き取り手を探していたので、そのなかの一匹を引き取ってもらうことになった)

 娘たちが「エリザベス」とかなんとか、カタカナの長い名前を次々とあげる中、「ミー」と名付けた。猫は、すぐに姿をくらます。大声で呼んで探さなければならない。「エリザベス!」よりは、「ミー!」だろう。正式名を「美也」とすることで、娘たちを説き伏せた。
 一階と二階をバタバタと行き来する飼い主たちに倣って、美也も上下階を自由に行き来し、わが家のペットであると同時に、事務所猫としての務めも果たすようになった。事務所のあちこちに居場所をみつけてはそこに寝そべり、私たちの仕事ぶりを監視する。来客があると見定めるように近づき、猫好きと察するとすり寄ったり膝に乗ったりする。心配していた、あちこちにある紙の山を崩したり汚したりすることはなかった。
 敏捷で大胆な子だった。やがて外遊びを覚えると、二階のベランダから外に出るようになった。「えっ! そんなの、あり?」と思っていると、二階のベランダから戻ってきた。ちょうどベランダの下にストックハウスがあり、それを仲介点として楽々と出入りするようになったのである。ベランダの窓を開けっ放しにしておくのは不用心に思えたが、猫より大きいもの(人間とか)が利用できるような経路ではなかったので、美也の専用通路として承認することにした。一人で勝手に出入りができるようになり、「外に出るよ」「ウチに入れてよ」のやりとりの必要がなくなったので、便利だった。
 この経路は、どうも、ほかの猫も使っていたようである。恋の季節ともなると、ときどきベランダに雄猫から美也への貢ぎ物だろう、鳥やネズミの死骸があって弱った。美也には避妊手術を施していた。飼い主とはいえ、出産・子育ての機会を奪ってよいものだろうか、と悩みはしたが、生まれてくる仔猫たちに責任をもつだけの余裕はなかったのである。そのせいだろうか、美也はクールで、ほかの猫を寄せつけず、ほかの猫をベランダから中に入れることはなかった。
 プライドの高い、野性味を残した猫だった。深夜、一人で事務所にいるとき、ふと目が合うと、ドキリとさせらることがあった。あらぬ方向に目を凝らし、まるで獲物を探しているような目をしているのである。こんなとき、うっかりかまいかけると、「フー!」と凶暴に拒否された。
 ある夜、美也が戻っていないことに気が付いた。長女の高校卒業を控え、なにかと慌ただしい日々が続いていた頃のことだった。ちょうど近くの密柑山が住宅地になるべく造成されて、作業の車の出入りの多い時でもあった。「ミー!ミー!」と町内を呼んで回ったが姿を見せず、翌朝、近くの公園横の溝の縁で見つかった。冷たく、既に身体は硬く強ばっていた。享年八歳。人間で言えば、働き盛りの中年というところか。

 二代目は、その数ヶ月後、大学生になった長女が、大学の水泳部の部室で飼われていた仔猫を引き取ってきた。生後数ヶ月の、可愛い盛りである。部員の一部にこのまま部室で飼い続けたいという意見があったものを、「これからどんどん大きくなるよ。うちにくれば、自由に外遊びもさせられるよ」と言って引き取ってきた。その出自のせいか、水を気にせず浴室もずかずか歩き、学生たちにおやつを貰っていたのだろう、菓子の袋を開ける音に敏感で、カラムーチョを盗み食いしたのには驚いた。
 猫の名前は「ミー」。私がそう主張するので、娘達は正式名を「未来(みく)」とすることで折り合った。
 気性の穏やかな、上品な子だった。ベランダから出入りすることはなく、出たいときはドアの前で「開けて」と啼き、外から帰るとドアの下方をカリカリと爪で掻いて「入れて」と合図した。深夜でも野生の血を騒がせる気配はみせず、騒がしいところからはそっと姿を消し、一人静かにいるもののところに、そっと寄りそった。
 ところが、ある日のこと、家族そろっての外出から帰宅してみると、未来が入り口の一点に目を据え、身体をふくらませている。あたりに緊張した空気がみなぎっている。入り口の隅に、大きな蛇がいた。なんと、彼女は飼い主達の留守宅を、蛇の侵入から守ってくれていたのである! ただ温和しいだけではなかったのだ。
 家に彼女がいるのが当然のことになって、歳月が流れた。小柄でしなやかな猫で、いつまでも若々しかった。なので、いつの間にか年老い、生活習慣病的な身体になっていることに気がつかなかった。気が付いたときは、遅かった。膀胱炎をきっかけに急速に衰弱した。ちょうどゴールデンウィークの、動物病院といえども休日が多くなる中、動物病院に通った。行きつけの病院が、休診日のときも診てくれ、出張の日程をかいくぐりながら点滴を施してくれた。それでも、甲斐無く、ゴールデンウィークの最終日、5月5日に亡くなった。
 何歳?と問われると、十四、五歳かなあ、と応えていた。たいてい、へえ、もっと若いかと思った、と言われていた。それで何年も通していたような気がする。きちんと計算してみると、十七歳になっていた。そうなのか。寿命だったのか。そう思うことにした。

 そして、三代目である。
 友人に、野良犬・猫、捨て犬・猫の命を救うボランティアをしている人がいる。常に、犬猫の里親捜しをしている。未来が元気な頃から「二匹目、どう?」とよく言っていたものだが、未来が亡くなってからはそんなことは口に出さず、親身に慰めてくれていた。
 二、三ヶ月経った頃のことである。用事でうちを訪ねてくるのにキャリーに入れた仔猫を連れてきた。
「可愛いでしょ。そろそろ、どう?」
 そのときちょうど、同居していた五歳の孫が階下におりてきた。
「可愛いでしょ。撫でていいわよ」と友人。おそるおそる撫でて、かわいい、と呟く孫。やりての業である。かくて、その猫はわが家の猫となった。美衣子と名付け、ミーと呼んでいる。
 友人は、出産した野良猫を、母猫と五匹の仔猫ともども保護していた。その五匹のうちの一匹だった。それまで母親やきょうだいたちと賑やかに暮らしていたらしい。「ほかの子たちを追っかけ回して、やんちゃな子なの。とっても元気よ」と友人は言った。知らないところに連れてこられ、ひとりぼっち。そりゃ、寂しいし、怖いだろう。二日間、啼かず・食わず・飲まずでハラハラさせた。その間も逃げ回り走る回ることだけはやめず、棚の隙間や家具の裏など、思いも寄らぬ所に入り込み、その都度、部屋の模様替えに迫られた。
 やがて観念したのか、啼くようになり、飲むようになり、食べるようになった。友人の言葉のとおり、やんちゃで元気な子だった。
 美衣子がやってきて、そろそろ二年になろうとしている。三代目の彼女には、初代・二代目と大きく違うところがある。今のところ、完全な室内飼いで、わが家にきてからというもの、一度も外の土を踏んでいないのである。二代目未来が、晩年、食事もトイレも寝室で過ごすようになってきた。その後やってきた、目の離せない仔猫。食事もトイレも寝室に置くことに抵抗がなかった。そのため、彼女の行動範囲は、これまでの猫とは違い寝室を起点に始まり、徐々に広がる、という経過をとり、今、ようやく、家中(ベランダも含め)上下階のテリトリー化を済ませたところである。外とのドアが開く度に身構えるが、あえて外に出ようとはしない。また、私たちも、外に出そうとはせず、むしろ、できるだけ閉じ込めようとしている。
 というのも、この数年であたりの飼い猫の環境がどんどん変わり、外飼いの猫がすっかり減ってしまっているのである。先代の猫たちは、家と外とを自由に行き来し、ご近所の庭先も自由に闊歩し、ときには粗相もしていたにちがいない。近所の飼い猫たちも、わが家の庭を勝手に訪れ、なにかと悪さもしていた。お互い様だし、猫と人間の共存の形としては、まあこんなところだろう、と思っていた。しかし、外をうろつく猫がうちの猫だけとなると・・・ちょっと考えてしまう。また、ほかの飼い猫たちがどんどん室内飼いになってしまったのは、安全を考えてのこととも思われる。わが町内、昨年から、下水道化の工事が始まり、今後数年、町内のあちこちが次々と掘り返されていくらしい。つねにどこかしら工事のために通行止めにされ、迂回路をうろうろさせられている。つまり、いまや戸外は、猫にとって安全な場所ではなくなっているようなのだ。
 ふと、いつの間にか集団で登下校する小学生たちに親や教師が付き添っている、子供達の安全な空間が狭くなっているらしい現状に、思いを馳せた。人間の子どもだって、一歩外に出ればどこに危険があるかわからない時代なのだ・・・
 美衣子は、今、二歳。まだ、二歳、である。これから、外に出たがるにちがいない。その時、私はどうするだろう。行ってお帰り、と、出してやることが出来るだろうか・・・

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