「考えること」は、やめられない
日々を生きていると、さまざまな思いが胸をよぎります。人と接し、物事に直面し、そうしたことから生まれる感情に、行動が左右されます。
「嫌だ」と思ったこと、「何か違うんじゃないか」と感じたことが、すぐに口から飛び出してしまっている感覚。
歳を重ねていくうちに、そうした状態に至る臨界点というか沸点のようなものが、少しずつ下がってきている気がしています。
今、口にしなくてもいいこと、言葉にして表すと差し障りがあることを、自分のなかにとどめておけず、周囲の人々に放ってしまう。
昔は、そのほとんどを胸のうちにしまっておくことができたはずなのに、どんどん「堪える」という行為が難しくなっていく。
ひとりになったときに、ふと、そう感じる瞬間が増えています。
じゃあ振り返ってみて、10代・20代の頃の自分が我慢強い人間だったかと言えば、実際にはそうでもありませんでした。
意に反することには噛みつき、声を荒げることも、一度や二度ではなく。感情を露にすることに、ためらいがなかった部分は、確かにありました。
今との違いは、それを置かれた状況のせいにするか、自分自身の内面的な問題として片付けようとするか、というところにある気がします。怒りや憤りをぶつけていく先が、かつては外側ではなく内側を向いていた、ということです。
その頃に戻りたいという思いは、少なからずあります。矛先が違うんじゃないか、もっと足元を見据えるべきなんじゃないか、という、自問自答のようなものです。
もう少し若かったとき、いつも頭の片隅で唱えていたのは、「考えることをやめない」ということでした。
考えに考え、二進も三進もどうにもいかなくなるぐらいにまで考え抜いた先に、なんとなく、人生の答えみたいなものが見えてくるんじゃないか。
それは絶対ではなく、もしかしたらで構わなくて、答えがあってもなくても、死ぬまで考えることを続けていこうと。
そういえば、大学のスポーツ新聞部で最後に綴った日誌に、同じようなことを書き残したことを思い出します。十数年が経っても、人間としての本質的な部分に、大きな変化はないのかもしれません(単に成長していないだけとも言えます)。
出版社の編集部に籍を置く人間として、読んだ人に考える「きっかけ」をもたらすような本をつくることが、たぶん向こう10年の目標になってくるのではと感じています。
生きることと結びつく、書籍という形の贈り物を、1冊1冊仕上げていきたいと思います。