著者であり、編集者であり、発行者であろうとしたら、こうなりました。
初めまして、ハシモトオフィスという小さな会社を営んでいる者です。まさか自分が版元ドットコムさんの版元日誌を書く日が来るとはまったく想像をしておらず、寺門さんからメールをいただいたときは、正直目を疑いましたが、版元としての居住まいを正すためにも、これまでのこととこれからのことについて、記してみたいと思います。
私は、大学で建築学を学び、ごく普通に建築家を志していたのですが、訳あって建築専門誌を扱う出版社に編集者として勤務することとなり(もちろん自分で選択したわけですが)、30年ほど編集者人生を歩んできました。
子どものころからずっと理系だった人間が卒業と同時に文転したわけですから苦労が絶えませんでした。ただ、専門誌の編集者というものはけっこう特殊な領域というか、専門〇〇で成り立ってしまうようなところがあり(私だけかもしれませんが)、おかげで編集者の基礎素養は欠いたまま、現在に至っています。にもかかわらず、私の本業は「編集者」(名刺にはそう書きました)だと思っています。
私は、編集という仕事は、本を編むことだけでなく、とっちらかったものごとをとりまとめて道筋を見いだすことだと広義に解釈しており、それゆえ、地域イベントやまちづくりなどにも手を出したりしているわけですが、そうこうしているうちに、版元にもなる決意をするに至りました。そして刊行した本が、この『織田邸/家具・生活・空間』です。
この本は、友人の建築家から、北海道・旭川近郊にお住まいの世界的な近代家具のコレクター織田憲嗣さんのコレクションとそれらの並ぶご自宅を、訳あって広く知ってもらう必要が出てきたために本をつくりたいのだが手伝って欲しいといわれたことが端緒でした。その友人と共に、白樺林のなかに建つ織田邸を何度か訪ね、織田さんの話を聞き、彼がコツコツと集めた名作家具に囲まれるという心地よい時間を味わっているうちに、この幸せ感を伝えるためには、よい写真を撮り下ろし、ブックデザインにも気を使っていかなくてはならないなあ、となると制作に際してコストコントロールから自分でやらないとダメだろうなあと思い、友人に、出版社をつくってうちで出すよといったことが、そもそもの始まりでした。
織田さんを含めた仲間4人で編集委員会を立ち上げて全員が著者となり、私は編集と出版も請け負い、信頼する写真家とデザイナーに加わってもらってなんとかまとめ上げることができました。ですが、原稿を書きながら本の構成を決め、写真撮影に同行し、デザイナーとの議論を重ねるといった編集業務と並行して、ISBNコードを取得し、ツバメ出版流通さんに刊行物の取り扱いをお願いし、版元ドットコムさんにお邪魔して、版元としてのふるまいなどを教えていただきながら版元になるという、ずいぶんと慌ただしいスタートでした。
本業の編集事務所が版元を兼ねるというかたちで始めたわけですが、いくつか心がけたことがあります。同じ業界内にもいくつか専業の出版社はあるわけですから、他社と競って仕事をするのではなく、自分が手がけなくてはならない本だけをつくること、そのためには自分自身がその本の主題と内容に深く関わっている必要があり、結果として自らも著者の一員となることになります。それを自分が納得するビジュアルで本にすること、そのためにはブックデザインにこだわり、物質としてクオリティの高いものにすること、としました。そのための収支計画をどう立てるかですが、出版事業だけで独立採算とはせず、赤字にならないところまでコストをかけてものをつくる、という姿勢にしています。
いくつかの仕事をほぼひとりでこなしているので、オリンピック出版社と揶揄されていますが、それが自分のたどり着いた道なのですから、このまま走って行くしかありません。オリンピックもコロナ禍で延期になりましたが、当社の次の刊行物もコロナ禍で取材の手足をもがれた時期が続いたこともあり、現在はそちらの仕切り直しもしているところです。