してもらうとか、してあげるとか
どこかの市長が、誰かのメダルを囓ったのが話題になっている今、この原稿を書いています。たぶん、この記事が掲載されて直ぐに読んだとしても「あ、そんなこともあったな」いや「そんなことあったっけ?」くらいに、古びたニュースになっていることでしょう。
情報があっという間に古く(さく)なって忘れ去られていくのはいかんともしがたいことですが、今日は、なかなかどうして古くならない(といいなぁ)絵本——の一制作過程、四方山話のフリをした宣伝を気ままに書いてみます(宣伝になりますように)。
なんとか7月刊行にこぎ着けた、弊社の絵本第3弾『ちいさなてのおおきなうた』
は、大手版元に断られた持ち込み企画である(こんな言い方をするとネガティブに聞こえてしまうが、零細版元はそのような企画に嬉々として取り組むことを生業としている。少なくとも私はそう思っている。他の版元さんからは異論があるかもしれないが……)。タイトルから類推できるかどうかはわからないが、作者の五味さんが手話教室に何年も通い詰め、当事者への取材を重ねて編んだストーリーである。内容の説明は野暮になりそうなので、早速メイキングに話題を移そう——2年前に作者の五味さんが弊社の絵本第1弾『ママのバレッタ』の原画展で声を掛けてくれたのがコトの始まりだった。
絵の担当はすぐには決まらず、何人かの画家さんに連絡をしてみたもののなしのつぶてで、無名中の無名の出版社としては、断りの返事をいただいただけで喜んでしまう始末……。さてどうしたものか。
時に、弊社刊行の絵本1、2作目は「当事者」が著者である。
1作目は、企画が一般社団法人キャンサーペアレンツの「えほんプロジェクト」、がんサバイバーのたなかさとこさんが作者で、2作目は、『ママのバレッタ』
の刊行記念の集いにいらした、えいしましろうさん作『ぼくはレモネードやさん』
で、自身の小児がん治療のために病院で過ごした日々とその後に後遺症を抱えながら送る生活が描かれている。
となると……、やせ我慢半分、バカの一つ覚え半分ではあるけれど、3作目も当事者に関わってもらうのが筋なような気がしてきた。そこで、五味さんにろう者の知り合いで絵が得意な人がいたら、是非声を掛けてみて下さいと伝える。五味さんも同じことを考えていたようで、その日は何も進展していないにもかかわらず、意気揚々と帰っていった。
程なくして、ユルト聖子さんを連れてきてくれた(ユルトさんの話は稿を改めなければとても書き切れない)。手話がわからない(「手話できません」はごくごく最近覚えた)なりに、筆談と五味さんの通訳で話を聞いてるうちに、当初のややハートフルなストーリーに少し違和感を感じるようになってしまった。細かい点にあれやこれやと注文をつけた挙げ句、失礼を承知で、五味さんに「……すみません、全面的に書き直していただけますか」と伝える。五味さんはそのダメ出しを訳すという苦行にも耐えていたのだから恐れ入る。通訳どころではなく「いや、文がOKだから絵を描く人を探してたんじゃないの?」と言いたかったに違いない。実際「なんで、この企画をOKしたんですか?」と訊かれたような気がする。「こういう無茶苦茶を言っても途中で頓挫しないような気がしたからです」と言いそうになったが、ただ曖昧な返事をしたように記憶している。
五味さんは私の不躾きわまりない要求にもへこたれず、原稿を書き直し、またユルトさんを交えて議論を重ね……というプロセスを繰り返し、ストーリーはほぼほぼ固まった。
そして、ユルトさんが絵を描き始めると早かった。
アレッ、暗中模索の絵本の編集・制作がトントン拍子で進んでいるような気がする。
しかし、好事魔多しと相場は決まっている。下版を迎えようという段階に入り、遅まきながら手話を少しでも身につけようと、youtubeやtwitterを巡回しているうちに、「手話ソング」が必ずしも手放しで受け容れられていない、という情報を目にしてしまった。いや、そもそも手話ソングがそれほどマイナーではなく、YouTubeにもこれでもかとアップされている。新米編集者よろしくリサーチがアマいままに企画を進めてしまったといえばそれまでだが、幸いなことに類書は多くはない(というか、それだけは企画をいただいた時点で調べた)。
いずれにせよ、手話とうたの組み合わせを忌避する人が少なくないのは、どうやら事実である。
見なかったことにするのもちがう気がして、恐る恐るインターネットの海を泳ごうものなら、なかなかに辛辣な言葉が飛び交っているではないか。
さらに、「ろう者や手話を理解してもらう」ために「うたと手話を結びつけるとは……」、というような文言が目に入る。
目眩がする。
自分の言語を「理解してもらう」と言わしめているものは何か、この発信者は当事者だろうか……、「理解して差しあげる」誰かがいるのかしら……。いやいや、私とて他人の社会的弱者へのまなざしとか権力勾配への意識とかに注文をつけられるほど高尚な人間ではない。
ただ生まれ育った土地の言語(口語と同一ではないかもしれないが)を使いながらも、そのモードが違うがために「理解してもらう」という表現が自然と出てくる。その日常に思い至らなかったことに、目眩がするのだ。「理解してもらう」のは気持ちや内面の話ではない、言葉だ。
なんというテーマに足を突っ込んだのだろう……、というほど後ろ向きになったわけではないが、想定していなかったセンシティブ議論に面食らってしまった。
ただ、「手話」と「うた」の組み合わせへの忌避も、私が普段ついつい「テーマ」と呼んでしまうようなものも、どこか理念的な気がする。「誰がどういう文脈で、どういう関係性の中で、手話でうたうのか」を問わずに好きも嫌いも、良いも悪いも言えない気がする。いやいや、考えてみると、そもそも歌が嫌い、という人も当然いるのだし、他人の好き嫌いに口出しするのもお門違いの気がする。いずれにせよ、この問題をこれ以上掘り下げるには、私の手話についての知識も、ろう者との直接の関わりも、絶望的なまでに乏しい。ただ言えるのは、この本は、目の前に聴覚障害をもった級友がいたとして、なにができるかなと考える(いや、もちろん考えなくてもいい)、アクチュアルなストーリーであるということだ。つまり「手話ソングを好きになって欲しい」と訴えるものではない。
そもそも絵本に目的や「この本を通して学べること」を設定してしまったらドリルみたいなものになりかねない。それはそれで、なんだかもぞもぞする。
手話うたについての議論を目にして1週間ほど、頭の中のエアリプ合戦が熱を帯びた(いや、まだ続いているかもしれない)。しかし、その間、製作に「待った」をかけていたわけではない。印刷も製本も否応なしに進み、当方が本の内容に不案内であることを少しずつ自覚するうちに、坂を転げ落ちるように刊行にこぎ着ける。いつものパターンだ。
保育園の帰り道、こらえきれず、我が子に「そういえば、あのあたらしいえほんよんだ? どうだった?」と尋ねる。
「え? おもしろかったよ。」
生活の医療社 秋元麦踏
ちょっとだけ自己紹介……年に2〜3冊しか新刊を出さない(出せない)、万年新米編集者(兼レイアウター、時にデザイナー、時にカメラマン、時に頼りない営業……)。
歯科専門書の編集・制作を業とする編プロに7年ほど勤めた(その間もウェブサイト制作やレイアウト、撮影なんでも係で、書籍編集の経験は乏しかった)だけで出版社を始めてしまったものだから、5年経った今も出版のイロハがわかっていない……。いや、ひょっとするとニには多少の覚えがあるけれど、イとハは抜けている、きっとそんなところだと思う。
ほぼ一人出版社の編集者ということになっているけれど、営業、流通はもとより、編集のことも何がわかっていて何がわかっていないかも、わかっていない。
それでも営業や広報を積極的にしてくれる著者の皆さんに恵まれ、なんとか5年続いてきた。もちろん、今後の5年はおろか、6年目の今年がどうなるかハラハラしながら日々の仕事に追われている。