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戦争トラウマを生きる
語られなかった日本とアジアの戦争被害、傷ついたものがつくる平和
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2025年7月3日
- 書店発売日
- 2025年7月3日
- 登録日
- 2025年6月9日
- 最終更新日
- 2025年7月4日
紹介
痛みを知る側から社会変革の可能性を探る「高強度」の平和論かつスリリングな対談集。
史上初めてPTSD日本兵の家族会を作った黒井秋夫。心を病みながら戦後を過ごし、時には家族に暴力を振るい、社会に適応できずに生きた元日本兵士の存在を明らかにしたその活動は新聞・テレビで注目されている。もう一人の著者・蟻塚亮二は沖縄・福島で戦争・原発事故のトラウマ治療に取り組んできた第一人者。
両親が戦争トラウマを抱えて生きた著者二人が、苦難に満ちた自分と家族の戦後の歩み、兵士や戦争被害のPTSDを語り、今も続く戦争の真の残酷な姿を明らかにする。また、被害者側から声を上げて戦争の実態や国家による被害を明らかにし、行き詰まる反戦の動きを民衆の側から実現しようと試みる、読み継がれるべき平和論、対談集。
黒井や蟻塚が「PTSDの日本兵家族会」や治療の現場で実践する、フラットに人と接しながら痛みを抱えたものが相手の話をさえぎることなく丁寧に聞き、相手の気分、感情をシェアして何かを作り上げていく手法。その手法をもとに傷ついたものが回復し、反戦の声を上げ始めている。これまでの「多少の犠牲は仕方がない」という社会や国家の在り方を見直し、世界中の傷つけられたもの同士で交流を図る平和運動の広がりについて語り合う。
「東アジア・戦争トラウマシンポジウム」も収録。
ここでは「韓国」社会学者・鄭暎惠、「中国」歴史学者・李素楨、「沖縄」対馬丸記念館館長・平良次子と、国家による被害を受けた民衆同士の連携と赦しを模索する。
目次
第1章「親の戦争PTSDと生きる」ー戦後の「手のひら返し社会」と戦争トラウマ
第2章「戦争トラウマを生き抜いた戦後」ー私たちの青年時代
第3章 「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」ー回復の実践
第4章 見捨てられ続けた日本兵、戦争・災害被害者とその家族
第5章 「痛みを知るものがつくる平和」ー少数派を犠牲にしないために
第6章「東アジア・戦争トラウマシンポジウム」
【第Ⅰ部・韓国編】国家から被害を受けた民衆の連携を模索するー日本人の無力感を超えて
【第Ⅱ部・中国編】 旧満州で黒井さんたちが謝罪した意味ー民衆レベルで平和の土台を作る
【第Ⅲ部・沖縄編】「命に対する向き合い方が変わる」平和論ー戦争体験者の生き方から
あとがき
「戦後史の闇を背負って」 黒井秋夫
日本人の無力感を形成する「軍国主義のトラウマ」 蟻塚亮二
目次
第1章「親の戦争PTSDと生きる」―戦後の「手のひら返し社会」と戦争トラウマ
第2章「戦争トラウマを生き抜いた戦後」―私たちの青年時代
第3章 「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」-回復の実践
第4章 見捨てられ続けた日本兵、戦争・災害被害者とその家族
第5章 「痛みを知るものがつくる平和」-少数派を犠牲にしないために
第6章「東アジア・戦争トラウマシンポジウム」
【第Ⅰ部・韓国編】国家から被害を受けた民衆の連携を模索する―日本人の無力感を超えて
【第Ⅱ部・中国編】 旧満州で黒井さんたちが謝罪した意味-民衆レベルで平和の土台を作る
【第Ⅲ部・沖縄編】「命に対する向き合い方が変わる」平和論-戦争体験者の生き方から
あとがき
「戦後史の闇を背負って」 黒井秋夫
日本人の無力感を形成する「軍国主義のトラウマ」 蟻塚亮二
前書きなど
あとがき 日本人の無力感を形成する「軍国主義のトラウマ」
蟻塚亮二
作詞家のなかにし礼が満州から引き揚げてくるとき、船上で姉が「海に身を投げて死にたい」といった。なかにし礼も「一緒に死んでもいいよ」と姉に返した。それくらい引揚者たちは暴力や虐待や恐怖によるトラウマでボロボロだったのだと思う。
敗戦当時外地には、そんなトラウマを抱えた人を含めて660万人の日本人がいたが、彼らを迎えた日本社会は経済復興一辺倒で巷には明るい歌謡曲があふれ、外地にいた兵士も引揚者も中国残留日本人も、とりわけPTSD兵士や沖縄の人たちも、在日朝鮮韓国人も、戦後社会が彼らのトラウマに向き合うことはなかった。だから彼らは戦後社会に捨てられた。本書の論点の一つは、そのような戦後社会とは何であったかを問い直すことにある。
二つ目には、戦争PTSDを病む兵士たちへの国家的ケアがなされず、戦争トラウマを家族が引き受けたことにより、毎日暴力で荒れ狂う父のもとで暮らした人たちの物語である。親のトラウマにより家族関係が壊れた人たちは悩み、苦しみ、貧乏に喘いできた。経済成長とか豊かで平和な家族みたいな、戦後日本のモデルとはまったく無縁だった。
しかし「PTSDの日本兵家族会」では、父親から殴る蹴るを受けた人たちが、「父親から愛情を受けられなかったのは父親に愛情がなかったのでなく、戦争でおかしくなったから愛情を与えることができなくなった」という理解を持つにいたり、戦争に行く前の優しかった父親との「出会い直し」をしているのだという。「さよならのない別れ」をした人たちが、再び出会うことができるなんて、すごいな。
私は、日本社会にはびこる無力感の原因にはどんなトラウマが先行しているのだろうかと考えてきた。「どうせがんばったって」とあらかじめ逃げを打つ心理や、「争いごとを嫌い」「目立たないこと」を常套手段とする日本文化はどうしてこんなに負け犬的な無力感に彩られているのか。
この点では「明治150年の天皇制と軍隊の国家システムに抵抗できなかった」ことにあるのではないかとの第6章でのチョン・ヨンヘさんの論説に目が覚めた。私も、この150年の軍国主義の時代に形成された部分が大きいのだと思う。
黒井さんは中国で謝罪するという思いもつかないことをやられたが、チョン・ヨンヘさんは、国家間の問題とは別に「(アジアの)人と人との間では、互いに憎みあい続ける苦しさよりも、赦し合いたいんです」と言う。そもそも日本の平和はアジアの国々との話し合いによって成立するはずだが、戦後日本の平和論は国内完結型だという指摘もある。その点では黒井さんの行動は双方向型の平和の積み上げの先陣を切ったといえる。
1945年2月に近衛文麿首相は「もうそろそろ戦争をやめませんか」と天皇に問うたところ、「もう一つ戦果をあげて」有利な講和を実現するのだと言い、沖縄戦に突入した。結果12万人もの沖縄人が殺された。ところが戦後日本が再スタートするにあたり、1945年12月、帝国議会で衆議院議員選挙法改正により沖縄県民の選挙権を停止した。かくして国民主権を原理としながらも国民の一部の参加を拒否して日本国憲法は「成立」した。これで憲法は成立したといえるのか。その後の沖縄は米軍統治と「復帰」後も基地被害に悩まされ、憲法でうたう人権が無視されている。民主主義や自由をうたう日本の国家が実は、沖縄の軍事要塞化の犠牲の上に成り立っているのだ。
沖縄の平良次子さんから、平和運動をされている方の、「生き物とか植物に対する向き合い方、命に対する向き合い方がかわる」とお聞きしました。南風原文化センターの学芸員をされていたとき、沖縄戦の体験者の奥様が電話で語られるには、「車があるときは車で、車がないときはバスでほぼ毎日、隣町の山のほうに行って、野良猫に餌をやりに行っています、命が助かるものはすべて生かしてあげたい」との言葉に感じ入りました。「毎日猫に会いに行く平和論」、「命がある者はすべて生かしてあげたい平和論」です。
原発事故の被害を受けた福島県も見放された地域だ。憲法には、居住の権利や職業選択の自由、そして健康で文化的な生活を保障されているが、人々は否応なく避難を余儀なくされ失業と生活苦に追いやられた。放射能に汚染された故郷を返せと言う浪江町津島地区の人々に対して裁判所は、国と東電の責任を否定し、汚染された故郷の放射能の除去の責任はないとした。つまりひとたび原発事故が起きて故郷が汚染されても「やられ損」だということ。さらに小児甲状腺がんの年間発症率は人口100万人に2名程度とされているが、福島県の累積患者数は390人を数えている。原発のあった福島県浜通り地区の児童虐待は事故後、全国(3.5倍)に対して9倍もの高さとなっており、子どもと大人のメンタルヘルスに何かが起きていて、ここは「まるで戦争状態」が続いている。そういう地域で私は働いている。天の配剤か。私は3月11日生まれ。
版元から一言
史上初めてPTSD日本兵の家族会を作った黒井秋夫。心を病みながら戦後を過ごし、時には家族に暴力を振るい、社会に適応できずに生きた元日本兵士の存在を明らかにしたその活動は新聞・テレビで注目されています。もう一人の著者・蟻塚亮二は沖縄・福島で戦争・原発事故のトラウマ治療に取り組んできた第一人者。
両親が戦争トラウマを抱えて生きた著者二人が、苦難に満ちた自分と家族の戦後の歩みと兵士や戦争被害のPTSDを語り、今も続く戦争の真の残酷な姿を明らかにする。また、被害者側から声を上げて戦争の実態や国家による被害を明らかにし、世界の被害者同士がつながることで行き詰まる反戦の動きを民衆の側から実現しようと試みる、読み継がれるべき平和論、対談集。
「東アジア・戦争トラウマシンポジウム」も収録。
ここでは「韓国」社会学者・鄭暎惠、「中国」歴史学者・李素楨、「沖縄」対馬丸記念館館長・平良次子と、国家による被害を受けた民衆による連携と赦しを模索する。
上記内容は本書刊行時のものです。