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〈増補・新装版〉水俣病にたいする企業の責任 水俣病研究会(著) - 石風社
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〈増補・新装版〉水俣病にたいする企業の責任 (ゾウホ シンソウバン ミナマタビョウニタイスルキギョウノセキニン) チッソの不法行為 (チッソノフホウコウイ)

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発行:石風社
A5判
価格 3,500 円+税   3,850 円(税込)
ISBN
978-4-88344-330-7   COPY
ISBN 13
9784883443307   COPY
ISBN 10h
4-88344-330-2   COPY
ISBN 10
4883443302   COPY
出版者記号
88344   COPY
Cコード
C0032  
0:一般 0:単行本 32:法律
出版社在庫情報
在庫あり
書店発売日
登録日
2025年2月17日
最終更新日
2025年3月25日
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書評掲載情報

2025-05-17 東京新聞/中日新聞  朝刊
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紹介

資本の論理に対し安全の論理を構築――。水俣病第一次訴訟を共同作業により理論面で支えた、ユニークな研究成果

現在そして未来への責任と施策を問うた、先駆的な書

―――〈増補・新装版〉刊行にあたって

有馬澄雄(水俣病研究会代表)

 水俣病研究会は、1970年8月に『水俣病にたいする企業の責任――チッソの不法行為』(水俣病研究会著、水俣病を告発する会刊、以下「本書」)を「研究報告第1報」として上梓しました。このたび、解題と注記を付して本書の〈増補・新装版〉を刊行いたします。
 本書は、専門を異にする研究者やチッソの労働者など、市民が手弁当で参集して学際的な議論を深め、工場廃水からのメチル水銀中毒(いわゆる水俣病)事件の実態と原因企業チッソの加害責任を詳細に明らかにした報告書です。安全性の考え方をベースに、それまでの学説・判例を覆す画期的な過失論を展開したばかりでなく、企業体質にまで遡ってチッソの責任を明らかにしたことで、第一次訴訟(1969年6月~1973年3月)を理論面で支えました。短期間で達成された渾身の内容は、現在も決して色あせていません。

目次

まえがき

第I部 水俣病の恐るべき実態

第1章 水俣病とはなにか―その医学的実態― 

1 水俣病の医学的な定義 
2 水俣病の重大性 
3 発生率  
4 死亡率(致死率) 
5 臨床症状―その悲惨な実態 
6 病理学的所見について 
7 胎盤経由の中毒発生 
8 治療―きめ手になる治療法は期待できない 
9 新しい型のメチル水銀中毒発生の可能性 
10 メチル水銀汚染は終っていない 
11 水俣病の概念について 

第2章 患者・家族の実態 

1 廃疾とならされ、生き残っているものたち 
2 チッソ水俣工場によって『健康体』と査定されている患者たちの実態 

第Ⅱ部 水俣病発生の因果関係

第3章 原因究明のあゆみ 

1 水俣病の発見 
2 原因は新日窒水俣工場の排水にあり 
3 排水中の原因物質を追う 
4 原因物質のわり出しは困難をきわめた 
5 水銀が浮かびあがる 
6 ついに、メチル水銀化合物がつきとめられる 
7 水俣病の研究は終っていない 

第4章 メチル水銀化合物 

1 メチル水銀化合物の毒性 
2 メチル水銀化合物が水俣病の原因物質である根拠 
  水俣病の特徴はメチル水銀化合物による中毒と一致する/メチル水銀化合物の確認/メチル水銀化合物による水俣病の再現

第5章 水俣病発生のメカニズム 

1 メチル水銀化合物は新日窒水俣工場アセトアルデヒド製造工程で生成された 
2 メチル水銀化合物は工場から排水溝を通じて流出した 
3 たれ流されたメチル水銀は魚介類に蓄積された 
4 メチル水銀化合物は遂に人および動物に水俣病を発症させた 

第III部 水俣病におけるチッソの過失

第6章 「過失」とはなにか 

1 過失の意義 
2 注意義務の内容 
  注意義務の程度―高度な注意義務/注意義務の内容―安全確保義務
3 チッソの論理 
  チッソは無過失を主張する/チッソの論理の分析
4 われわれの過失論の構成 

第7章 チッソの企業体質 

1 基本的視角―安全性の考え方 
2 チッソは安全無視型企業の典型であった―チッソ技術の分析 
  チッソは自ら日本における最高水準の技術を誇る企業であった/代表的な二つのアセチレン有機合成技術の分析/チッソの技術分析からみた企業体質
3 水俣工場の危険性 
  企業体質からくる危険性/化学工場としての水俣工場の危険性/水俣工場廃水の危険性
4 水俣工場の危険性の現実化―労働災害・環境汚染の発生
  水俣工場の労働災害/水俣工場による環境汚染

第8章 チッソは危険防止のための研究・調査を怠った 

1 チッソはいかなる研究・調査をなすべきであったか 
2 事前の環境調査の怠り 
  水俣湾及び水俣川川口の環境条件/チッソの環境調査の怠り
3 廃水の成分と流量の研究・調査の怠り 
  製造工程から見た廃水の研究・調査/廃水の分析/流量の測定
4 廃水処理方法の研究・調査の怠り 
  廃水をできるだけ排出しないようにする研究/具体的な廃水処理方法の研究 
5 環境の監視調査(事後調査)の怠り 
  水俣湾の汚染/漁業被害の発生/人間の発病
6 水俣病正式発見後も研究・調査を怠りつづけた 
7 チッソの有した水質汚濁についての知識と研究・調査の怠りを支えた意識 

第9章 チッソは危険の発生を予見すべきであった 

1 工場廃水による環境の汚染 
  工場廃水の危険性と廃水処理の必要性/日本における環境汚染の問題化/微量の有毒物質による環境汚染/廃水にたいする法的規制の動き
2 チッソは危険の予見を怠った 
  安全性不明の廃水の放出/環境の異常事態の発生/患者発見による問題の重大化

第10章 チッソは危険防止の措置をとらなかった 

1 廃水処理の原則と方法 
2 チッソは廃水を無処理排出した 
  チッソは処理原則すら守らなかった/チッソは廃水を無処理排出した/無処理排出は変わらなかった
3 チッソの強弁―人殺しの論理 
4 泥縄式の廃水処理 
  チッソの説明/泥縄式の廃水処理の実態

第IV部 加害者チッソの行動様式

第11章 チッソは原因究明を怠り研究を妨害した 

1 チッソは、自らの原因究明を怠ったのみか、内部における原因究明の努力に対して妨害さえ行った 
2 チッソは、自ら行った実験の結果を秘匿し、そのため原因究明を遅らせた 
3 チッソは、熊大を中心とする外部の研究に協力しなかったばかりか、その努力に対して妨害さえ行って、原因究明を遅らせた 
4 チッソは、非科学的な反論を提出し、また異説を利用することによって真因の断定をまどわし遅らせた 

資 料

水俣病年表 / 水俣病認定患者名簿 / 水俣工場関係資料 / 訴訟関係資料  / 参考文献 

***

解説 『水俣病にたいする企業の責任―チッソの不法行為』《復刻版》 

                         富樫貞夫 

解題 『企業の責任』と水俣病研究会の歩み―増補・新装版に寄せて 

                         有馬澄雄 

  増補・新装版 編者注 

  増補・新装版 あとがき

前書きなど

解説 『水俣病にたいする企業の責任―チッソの不法行為』《復刻版》

富樫貞夫

 本書は、水俣病研究会の研究報告書として、1970年8月、水俣病を告発する会から刊行された。発行部数は5,000部。その大半は当時の支援者の手に渡ったものとみられ、現在、古書店でも入手は困難な状況にある。
 本書は、水俣病第1次訴訟を理論面から支援するというきわめて実践的な目的で刊行されたものである。これをまとめた水俣病研究会は、1969年9月、患者支援組織である水俣病市民会議(水俣)と水俣病を告発する会(熊本)の呼びかけに応じて結成された。そのメンバーは、医学、工学、法律学、社会学等の専門家のほかに市民会議と告発する会に属する市民有志からなり、専門家と非専門家が対等の立場で議論するという、それまでほとんど例のないユニークな研究グループとして発足した。
 水俣病第1次訴訟とは、1969年6月14日、訴訟派の患者家族28世帯がチッソを相手どって提起した損害賠償請求訴訟をさす。水俣病50年の歴史のなかで、患者側が起こした最初の訴訟であり、これを契機に被害者が加害者に対して反撃に転じたという意味でも事件史上画期的な意義をもつ裁判であった。しかし、提訴後、患者側はチッソの過失責任をどう組み立て、それをどう立証するかという難問を抱え、このままでは勝訴の見通しが立たないという状況に置かれていた。それを打開して、理論的に勝訴の見通しをつけること、それが水俣病研究会に与えられた課題であった。
 この訴訟は、民法709条に基づいてチッソの不法行為責任を問うものであったため、原告である患者側は、①工場排水と水俣病発生との因果関係、②水俣病を発生させたチッソの過失、および③患者らが被った損害額を証明する必要があった。このうち、チッソの過失の有無がこの訴訟の最大の争点になった。それまで過失の有無は予見可能性の有無で決まるとする考え方が支配的であった。水俣病は、工場排水に含まれるメチル水銀により汚染された魚介類を繰り返し摂食することによって発生し(後天性水俣病)、また、汚染魚介類を介してメチル水銀に曝露された母体を通じても発生する(胎児性水俣病)。問題は、水俣病の発生前にチッソの技術者等がこのような結果を予見できたかどうかである。予見できれば、結果の発生を回避できたはずであり、それにもかかわらず結果を発生させたとすれば、チッソは過失責任を免れないということになる。
チッソは、工場排水が原因で水俣病が発生することはまったく予見できなかったと強調し、チッソに過失はないと主張した。被害者たちにとってみれば、水俣病を引き起こしたチッソの非は明らかであり、チッソに法律上の責任がないという主張はとても容認できるものではなかった。こうした患者家族のもつ道義感覚と過失をめぐる法律論との間には大きなギャップがあり、それを埋めることは容易なことではなかったのである。
 研究会の活動は、まず熊本大学医学部水俣病研究班編『水俣病―有機水銀中毒に関する研究―』(いわゆる赤本)や合化労連『月刊合化』に連載された宇井純氏の現地調査レポート(のちに富田八郎『水俣病』として水俣病を告発する会より刊行された)をテキストとして、それまでの水俣病研究の経過とその到達点を確認するとともに、水俣病に対する企業の責任を問う際に議論の基礎となる関係資料を可能な限り収集するように努めた。しかし、これだけではもちろん不十分である。チッソを過失なしとする従来の過失論を乗り越えるためには、まったく新しい視点から過失論を再構築する必要があった。そのヒントとなったのが、武谷三男氏の「安全性の考え方」である。
 水俣病研究会は、チッソのように有機合成化学工業を営む企業には高度な安全確保義務が課せられていると考え、その内容を具体的に明らかにした。そのうえで、これらの義務を怠れば、企業は過失責任を免れないと主張した。実際、水銀を使う製造工程の危険性やそこで生成する化学物質の毒性に関する文献調査、定期的な排水分析をふまえた適正な排水処理、排出後の環境汚染の調査等をきちんと実施すれば、水俣病のような被害を未然に防止することは十分可能だったのである。
 いま思えば、研究会の結成からわずか1年で本書の刊行までこぎ着けたのは驚異的である。訴訟はすでに始まっており、その進行をにらみながらの調査研究であったとはいえ、このような作業はメンバーのもつ深い危機意識とそこからくる集中力なしには到底不可能であったと思われる。
 本書に盛り込まれた研究成果は、水俣病訴訟弁護団により原告側の準備書面として裁判所に提出された。1973年3月20日に言い渡された第1次訴訟の判決で、熊本地裁は、患者側の主張に沿って水俣病に対するチッソの過失責任を明快に断定した。こうして本書の当面の目的は十分達成されたといってよい。
 本書の刊行からすでに37年になるが、その間の最も目立った変化は被害者の数であろう。本書の資料によれば、1970年7月現在の認定患者は、わずか121人(うち胎児性患者23人)である。その居住地をみると、大半は水俣市の住民であり、それ以外の地区の住民はきわめて少ない。とくに、この時点では鹿児島県在住の患者はほんの数えるほどしかいない。今日からみると、被害者の絶対数が少ないだけではなく、地域的な偏りが著しい。
 2006年6月末現在の認定患者は、2,265人(うち鹿児島県関係が490人)である。このほか、1995年の政治解決で救済の対象になった未認定の被害者は1万人を超える。さらに、2004年10月の関西訴訟最高裁判決以後、新たに5,000人を超える認定申請者が被害者としての救済を求めている。
 たしかに認定患者の数は1973年以降急増したが、それは水俣病被害者の一部でしかない。その他の被害者は未認定のまま救済の対象になっている。同じメチル水銀によると思われる被害者が認定制度によって分断された格好だが、これは現在の水俣病医学とそれに基づく認定行政がもたらした結果にほかならない。水俣病の判断基準や主要症状のとらえ方については、まだ決着がついたとはいえない状況である。
 1970年以降変転のはげしい医学上の問題と比べて、本書が提起した安全性の考え方は、基本的には現在でもそのまま通用する考え方である。その後の判例をみる限り、「安全確保義務」や「安全配慮義務」という言葉自体はかなり定着したようにみえる。しかし、安全性の考え方そのものがどれだけ深く理解されているかは疑問である。水俣病事件に限ってみても、水俣病に対する行政の責任を確定した2004年の最高裁判決には、残念ながらこのような考え方はみられない。行政の安全確保義務論を構築する作業は、まだ手つかずのまま残されているのである。
 また、安全性の考え方は、過失論の再構築という狭い枠を越えて、環境保護における予防原則とどう結びつけるかも重要な検討課題であろう。環境被害を防止するためのリスク評価やリスク管理は、安全性の考え方に裏打ちされてはじめてその目的を達成できるものだからである。
 なお、この復刻版は、大学等の研究機関においてもっぱら研究目的で利用する学術資料として刊行される。そのため、患者に関するデータを含めて刊行時の形そのままに復刻して刊行することとした。
2007年3月
(水俣病研究会前代表・熊本大学名誉教授)

*この解説を付した復刻版は、水俣学研究資料叢書1『水俣病にたいする企業の責任―チッソの不法行為 復刻版』として、熊本学園大学水俣学研究センターから2007年に発行された。
注:「患者家族28世帯」とあるが、提訴後に浜元家の姉弟を別世帯とされたことにより、29世帯として訴訟は継続された。





増補・新装版 あとがき

『水俣病にたいする企業の責任-チッソの不法行為』は、チッソによるメチル水銀中毒事件(いわゆる水俣病事件)を真正面から論じ、チッソの企業体質と加害責任を明らかにした最初の本です。重要な古典的著作であることを、あらためてしみじみと思います。多くの協力者を得て本書がリニューアルし、若い人たちに手渡せることを嬉しく思います。
 水俣病研究会は、第一次訴訟(1969年6月~1973年3月)を理論的に支えるために結成されました。患者家族の少数派が提起した裁判は、待ったなしの状況で進行していました。そこへ、研究者やチッソの労働者など、職業や専門を異にする市民が手弁当で参集し、患者家族が受けた受難の深さや切迫した想いを全員が受け止めながら、チッソの責任を裁判でどう立証すべきか議論を深め研究を重ねました。
 本書を読まれると了解できると思いますが、1970年の初版刊行時、この事件の主要課題は加害者チッソの責任をどう裁くかでした。チッソは操業にあたり除害措置を取らず環境を破壊し住民の生活と健康を奪いました。そして、以後文句は言わせないと涙金で「永久示談契約」を結ばせ、政治力で被害者を押さえ込みながら利潤追求に奔走しました。こうして、さまざまな汚染問題、果ては大規模なメチル水銀中毒事件を引き起こしました。
 そもそも〈水俣病〉の病因物質は、無処理で放流された工場廃水中のメチル水銀です。それが地域住民にとって全く予想しない形で中毒死、あるいは重篤な障害を引き起こしました。しかしチッソは、アセトアルデヒド生産工程でメチル水銀が生成されること、そして〈水俣病〉が起こることは全く予見できなかったので責任はない、と裁判で主張しました。当時の学説・判例では、予見可能性がなければ責任を免れるという「過失論」が常識だったのです。
 これに対し水俣病研究会では、メンバーが対等な立場で学際的な激論を重ねました。メチル水銀汚染による中毒(いわゆる水俣病)事件の実態と、原因企業チッソの加害責任をまとめ上げる作業は困難を極めましたが、スリリングともいえました。そして、「安全性の考え方」(武谷三男)をベースに、ドイツ法学を基礎としたそれまでの学説・判例を覆す画期的な過失論(安全確保義務論)を展開し、企業体質にまで遡ってチッソの責任を明らかにしました。本書は裁判の進行をにらみながら、きわめて短時日にまとめられました。この濃密で切迫した研究会に参加した当時、一番若いメンバーであった私は議論の一部始終を見聞きする機会を得て、その後の人生を決定づけられました。
 1973年3月20日の熊本地裁判決は、「低額永久示談」というチッソの常套手段を否定します。1959年の「見舞金契約」は患者家族の窮迫に乗じて結ばせたものであり、公序良俗違反で無効としました。その上で、多種多様な化学毒物を使用する企業は安全第一で操業を行い、無害の証明がない限り廃棄物を工場外に出してはならないと原則を示し、住民に危害を加え環境を破壊してはならないとして、チッソの責任を断罪し損害賠償を認めました。これは水俣病研究会が提示した過失論「安全確保義務」を採用した判決で、操業には安全を確保し、廃棄物は研究調査して無害にすべしと、利潤を優先して環境と生命を顧みない企業活動に対して倫理規範を示すものでした。本書がなければ、この判決は導き出せなかったでしょう。チッソは控訴せず、判決は確定しました。少数派である訴訟派患者家族の突出した闘いがもたらしたこの判決は、原告以外の患者家族にも適用されることになりました。
 判決後、事件は紆余曲折を辿り、長期間にわたって不知火海全域に汚染を拡大させたチッソおよび行政の責任と、その結果生じた膨大な中毒被害者をどう救済するかに主要課題は移りました。そこでは、事件に対する医学と行政の対応が問題でした。しかし実態調査をすべき責任を負う国・県の行政は、病因解明に関わった医学者で構成される認定審査会を設置することで、必要な実態調査を放棄しました。この認定制度は、1959年に見舞金契約を結ぶにあたりチッソの要請で設置されたことに始まります。企業の私的補償のために、公的機関で〈水俣病〉かどうかを審査するという奇妙な仕組みです。この認定審査では、「主要症状」(求心性視野狭窄、運動失調、構音障害、難聴、感覚障害など)がそろった被害者しか〈水俣病〉と認めず、多くの中毒被害者の訴えは無視されました。審査に関わった医学者は、認定制度のもとで厳格に審査することが「医学診断」であると強弁してきました。しかし、症状や病変の組み合わせに基づいて〈水俣病〉と診断する方法は、環境汚染によるメチル水銀曝露の中毒診断としては異常で、外国の研究者・衛生担当者には理解できない対応です。こうして、メチル水銀に曝露され中毒症状を持つ大多数の被害者は〈水俣病〉ではないとして切り捨てられました。国はその被害実態と診断の矛盾を、二度の解決策(1995年,2005年)で「ボーダーライン層」として政治的に収拾してきました。その対象となった人は7万人以上に上ります。これに対し、「厳密な審査」で認定された〈水俣病〉患者は、熊本、鹿児島、新潟の3県を足しても3,000人ほどに過ぎません。
 本書の初版刊行から半世紀以上が経過した現在も、この事件はいまだに先が見えず混迷の中にあります。事件は補償と救済を中心に政治的・社会的な力学で展開し、幾多の係争が続いています。また、汚染による生命・健康被害の全貌はいまだに明らかにされず、将来に対する被害防止に関しても対応がお粗末な現状です。係争が絶えない原因を考えると、不知火海全域にわたる汚染と中毒被害の実態をどう把握するかという問題に行き着きます。汚染地域に暮らし魚介類を食べ続けて健康に不安を抱く人たちの疑問に応え、中毒理解の基礎的アプローチで以下に整理してみます。
第一に、汚染源工場におけるメチル水銀の副生と流出の実態。除害措置は取ったのか。汚染源工場の稼働停止後、海域に流され蓄積・残留した水銀化合物の挙動と汚染魚介類の動き。どう対処されたか。汚染の期間と範囲および汚染メカニズムの追跡。
第二に、漁業の実態・推移と魚介類の販路(行商ルートを含む)、魚食の実態。これらの実態に基づく汚染範囲の割り出しと、メチル水銀に曝露された全住民の把握。
第三に、汚染地区住民が訴える自覚症状の把握(汚染のない一般住民のそれと比較した特徴)。
第四に、医師の診察による医科学的に客観的な所見の蓄積(全身症状や一般症状、神経症状、そして病理所見)。胎児性中毒の実態把握。
第五に、魚食を通じて侵入したメチル水銀が体内でどのように動き脳を傷害するか。人類が毒物に対し獲得してきたバリアーである脳血液関門・胎盤血液関門を通過して脳細胞をどう破壊するのか(生体内挙動)。個体差の影響。
第六に、環境中に放出された水銀化合物がどのように変化し(メチル化など)、地球上でどのように拡散・蓄積し循環するか(環境内動態)。
それらの基礎研究の上に立って、
第七に、病状に応じた対処方法と治療、そして将来の汚染を防止するための対策。
 これらの実態を追求することが、被害者の犠牲に報いるせめてもの贖罪に違いありません。しかし日本での研究は、メチル水銀中毒に関する海外の研究成果を活かさず、上記第四レベルのうち重症者の臨床・病理の解析に終始してきました。行政として対策を進める国・県およびそれを支える医学者は、疫学に依らず個別的診断で把握した臨床症状あるいは病理所見の組み合わせによって中毒診断ができるかのように振る舞ってきました。この国では、そうして拾い上げた重症メチル水銀中毒被害者を〈水俣病〉と「認定」し、中毒被害者の大多数を切り捨ててきたのです。
 なぜこのような歪な事件処理が行われてきたかは、医学的、科学的、そして法学的、政治学的に重要な解明課題ですが、明治以来進められてきた日本の近代化政策とも関わる問題であり、まだ十分に究明されていません。係争がなぜ起こり続けるのか、その本質に届く問いがまだ立てられていないと考えています。これらは、我々の前に課題として残っています。水俣病研究会は、日々新しい局面を迎える被害者の運動に寄り添いながらも独自に仕事を進めてきました。しかし、この事件の核心である行政と医学が果たした役割の解明は、ほとんど手つかずのまま残されています。水俣病研究会代表を長年つとめた富樫貞夫は、50年余にわたる研究会活動で、この課題すなわち「行政および医学の責任」を徹底的に究明できなかったことが心残りだと述懐しています。
 この50年余の間に、水銀その他の化学物質による環境汚染は世界的に深刻さを増し、また日本においては福島第一原発事故にも終わりが見えません。水俣の事件では、汚染物質は環境中に放出されたのち、生物的・化学的・物理的条件により地球上に拡散するとともに、生体に濃縮されることが明らかにされました。原子力発電所事故に対する東京電力の補償問題や汚染水の処理問題では、こうした水俣の経験が全く活かされていないように見えます。このような状況に照らしたとき、本書は〈水俣病〉事件のみならず、幅広く環境問題について、現在そして未来への責任と施策を問う先駆的な書であるといえます。
 ほとんどのメンバーが〈水俣病〉事件についてゼロの知識から出発しながら、短時日で達成された本書の濃密な内容は、現在でもまったく色あせず、知的刺激を発し続けています。本書を手に取り読んでくだされば、読者の皆さんにも納得していただけることと思います。
 この〈増補・新装版〉の編集に携わったいま、私は、この事件の核心となる未解明部分をすこしでも明らかにして、次世代へ引き継がなくてはと痛切に考えています。本書の出版が、その一里塚となることを願ってやみません。
 なお、凡例に記したように、この〈増補・新装版〉でも、被害者の方々のお名前を初版本と同様に敢えて実名で掲載しました。水俣病研究会では何度も検討を重ね、この決定に至りました。その当時、孤絶した状況で封じ込めと闘った被害者一人一人の存在を重く受け止め、お名前を歴史から消さないことが必要だと判断したからです。一人一人の存在の証であるお名前を残すことが、この事件の真実を後世に伝えていくことになると考えます。

謝辞
 この増補・新装版の制作には、次の方々の御協力を得ました。
 阿南満昭 (水俣病研究会)、
 慶田勝彦、下田健太郎、飯島力 (以上、熊本大学大学院 人文社会科学研究部)、
 塚本晋 (熊本大学大学院 文学研究科歴史学専攻修了)、
 川崎義仁 (熊本大学大学院 文化学専攻歴史学研究コース)
 ここに記して御礼を申し上げます。
2025年2月
水俣病研究会代表  有馬澄雄

著者プロフィール

水俣病研究会  (ミナマタビョウケンキュウカイ)  (

水俣病研究会は1969年に発足した市民グループです。1970年に刊行されて水俣病訴訟第一次原告を支えたその報告書を、全面的に文章を組み直し、図表や地図等も新しくトレースし直し、さらに現在の視点から綿密な「解題・注」を付して、〈増補・新装版〉として企画しました。

上記内容は本書刊行時のものです。