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トランスジェンダーの原理 神名 龍子(著) - ポット出版プラス
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トランスジェンダーの原理 (トランスジェンダーノゲンリ) 社会と共に「自分」を生きるために (シャカイトトモニ ジブン ヲイキルタメニ)

哲学・宗教
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四六判
縦188mm 横128mm 厚さ16mm
重さ 290g
240ページ
並製
価格 1,800円+税
ISBN
978-4-86642-019-6   COPY
ISBN 13
9784866420196   COPY
ISBN 10h
4-86642-019-7   COPY
ISBN 10
4866420197   COPY
出版者記号
86642   COPY
Cコード
C0010  
0:一般 0:単行本 10:哲学
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2022年1月18日
書店発売日
登録日
2021年9月13日
最終更新日
2024年3月8日
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書評掲載情報

2022-03-15 現代性教育研究ジャーナル  No.132
評者: 伏見憲明
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紹介

差別と偏見について。
性別について。
性的少数者と社会の関わりについて。
近代社会原理の再確認をしながら、1990年代初頭に日本初のトランス系ネットコミュニティ「EON」を創立し、2003年「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」成立に携わった経験から、マジョリティとマイノリティが「対立」ではなく「和解」へと進むことを考察する。

目次

はじめに   私はなぜ性を哲学するようになったのか

第1章 差別について
1. 差別とはなにか
2. 偏見とはなにか
3. 嫌悪とはなにか
4. 性的少数者はなぜ後ろめたいのか

第2章 性別について
1. 原型としての「男女」
2. 性的少数者における性別
3. 性別の変更について

第3章 近代社会原理の再確認
1. 近代社会思想の始まり
2. 自由と平等について
3. 民主主義について

第4章 性的少数者と社会
1. 特例法はいかに実現したか
2. 性差否定としてのジェンダーフリー
3. 政治的党派と性的少数者
4. 同性婚について

第5章 「対立の時代」から「和解の時代」へ
1. 実存と社会
2. 自分が変わる、世界が変わる
3. 温故創新 -新しい問題への対処

あとがき 

前書きなど

はじめに 

私はなぜ性を哲学するようになったのか

 この本では性についての考察を扱う。私自身、思春期の頃から性について悩んでいた。といっても、私のそれはよくある男女の悩みとは違っていた。
 私がかよっていたのは中高一貫の進学校で、中学に入った時からの憧れの先輩は三学年上、つまり高校一年生だった。その学校は男子校であり、もちろん私もその先輩も「男性」だった。そのため当初は私は自分が同性愛者なのではないかと思った。けっきょくその先輩に告白するだけの勇気を持てなかった。
 ただでさえ恋愛の告白は気恥ずかしい。まして相手が同性の先輩であればなおさらのことだったし、その先輩は三年後にはなにごともなく卒業していった。
 その前後のことだったと思うが、たまたま新聞の芸能欄を読んでいたとき、見慣れない美人の写真が目に入った。興味を引かれて記事を読んでみると「大変な美人だが実は男性である」と書かれていたので驚いて何度も読み返してしまったことを今でも覚えている。当時の新聞に掲載されていたのはまだドットが粗い白黒写真で、現在に比べれば見づらいものだったが、それでも男性であることを疑うには十分な美人がそこに写っていたのである。
 今では知らない人も多くなったかもしれないが、彼女の名前は松原留美子さん。今から振り返ればかなり早い時期に「ニューハーフ」と呼ばれ、角川映画「蔵の中」やテレビ時代劇「大江戸捜査網」にも出演していた記憶がある。私はすぐに彼女に憧れの気持ちを抱いたが、それは男性としてのファンの気持ちとは違っていたと思う。
 もしかしたら自分も彼女のように美しくなれるのではないかという気持ちの芽生えだった。この気持ちの芽生えはもうひとつのひらめきを私に投げかけた。それは、実は自分が同性愛者ではなく「女性」なのではないかという思いだった。もちろん自分の身体が男性のそれであることはわかっていたが、もしかしたら自分の心は「女性」なのではないか。そう思った。
 今でいうところのトランスジェンダーとか性同一性障害のようなものだが、当時にはそのような言葉は知られていなかったから、むしろこのひらめきによって私は自分をカテゴライズする言葉(用語)を失ってしまった。
 高校を卒業した私は、なんと警察官になった。
 今でも人にこの経歴をいうと驚かれる。なぜ自分を「女性」だと思っていながら、そんな男性的な職業を選んだのかというわけだ。その驚きはもっともだと思うが、それには理由があった。
 まず自分が「女性」であることを実現するために親元を離れる必要があったということ。性同一性障害、あるいはトランスジェンダーについて理解が進んだ現在でも、最も強く反対するのが身内、特に親であるという例はけっして少なくない。もちろん親元を離れてすぐに生活に困るようでは話にならない。
 その点、警察官になってしまえば地元の出身といえども警察学校は全寮制なのである。
 そして前述の通り、私がかよっていたのが進学校だったため、民間企業からは募集が来ない。進路は必然的に公務員、それも全寮制である警察になった(同じような条件を満たす職業として消防士があるが、こちらは応募資格に「握力」という項目があり、この点で合格がおぼつかなかった)。無事に採用試験にも合格して二五歳まで勤めた。その間に働いて得たお金は、都内の女装クラブにかよったり、好きな本を買って読むことにも費やした。
 警察を辞めてからは、退職金もあわせて自分が住むアパートを借りることもできた。
 自活する能力も持たない高校生だった私の、ここまでが数年がかりのプロジェクトだったわけだ。
 自分の無力さを嘆き、親や社会を恨んだところで、そこから先へは一歩も進むことなどできるはずがない。無力な存在だった十代の私がまず必要としたのは、自らの工夫によって必要最低限の「力」をつけることであり、そのための段階的な計画を実践することだった。
 簡単に私の半生を書いてきたが、これで私が「性について悩んでいた」ことの理由というか、その問題(モチーフ)はなんとなく察していただけるかと思う。
 男性が女装をするということは、今でも普通のこととはいえない。それでもアニメの女性キャラのコスプレや、おネエ系などといわれるタレント、あるいは一九九〇年代後半からの性同一性障害についての報道など、「性の越境」についてはそれなりに目にする機会も増えてきている。
 しかし三〇年も前にはもっと異常なこと、露骨にいえば「変態」とか「異常性欲」の一種としか見なされていなかった。学校の文化祭などのイベントにおける「余興」といった場合を除けば、今よりもずっと肩身が狭いことだったのだ。
 そういう自分をどのようにとらえ理解すればよいのかと考えても、その答えは用意されていなかった。
 前述のように、私の趣味の一つは読書だったし、知りたいことは、それなりの本を探せばそこに答えが書いてあった。しかし、この問題だけは話が違った。せいぜいこの社会にどのような「異常性欲」が存在し、その持ち主である個人やグループがどのように過ごしているかを風俗として記した記事が見つかる程度だった。
 自分自身の内側から常にわき起こってくる「こう在りたい」という欲望が何であるのか、その欲望を、あるいはそういう欲望の持ち主としての自分をこの社会の中にどのように位置付ければよいのかということは、どこにも書いていなかった。いや、今から考えれば「異常性欲」の持ち主として存在する自分、という位置付けは与えられていたのかもしれない。その「異常性欲」の発露として犯罪に走ってしまうのはまずいが、アウトローにはならずともアウトサイダーとして存在することはできるし、当時の日本の社会の中での位置付けもそんなものだったはずだ。
 しかしそれは社会性を持たない在り方だった。
 普段は「異常性欲」の持ち主であることをひた隠し、世間の常識(当時の)に沿う生き方だけを他者に見せ続け、ごく限られた時間と空間の中でだけ自分自身の「こう在りたい」を実現できる。それが九〇年代半ばまでの日本だった。今から四半世紀前の日本では、それが常識だったのだ。
 それでも少しは時代の恩恵がなかったわけではない。
 広い意味での「トランス系」、もう少し細かくいえば、トランスヴェスタイト(TV)、トランスセクシャル(TS)、少し遅れてトランスジェンダー(TG)や性同一性障害(GID)などの用語を知ることができ、かつて失った「自分をカテゴライズする言葉」を手に入れたときには、それだけでも安心感を得ることができた。
 これといって何が解決したわけでもないのだが、ただそれだけのことでも「なるほど自分はこのカテゴリーに属するのか」と思う、たったそれだけの自己了解でも心に少し落ち着きを取り戻すことはできたように思う。
 私が「性について悩んでいた」ことの根底には、自分がこんな存在の仕方しかできないはずがない、という直感があったはずだ。
 自己の解放、自己表現、自己実現などを求める気持ちといってもよい。
 ただし、私はその悩みの解決のために社会運動に向かうということをしなかった。
 のちに私は性同一性障害の当事者の戸籍上の性別変更を認める特例法(「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」二〇〇三年)の成立を求めて半年間ほど当事者団体の運動に関わったことがあるのだが、基本的には単独で性についての考察を重ねて年月を過ごしてきた。
 自分の欲望(こう在りたい)が何であるかを解明することもなしに他者に(社会に)何かを要求することが、ひどく理不尽に思えたからだ。
 そもそも九〇年代には、同性愛者の社会運動(ゲイムーブメント)やその背景となる理論(ゲイスタディーズ)はあっても、女装趣味から性同一性障害にいたるまで広く「トランス系」といわれる分野には、同性愛のそれに匹敵するような理論も運動も存在しなかった(自助グループは存在していた)。
 自分の「こう在りたい」という欲望が何であるのか、その欲望を持つ私たちは社会に向けてどうしろというのか、それを体系立てて説明することができなかったのだ。
 そのせいか、一部の者たちにはゲイスタディーズやフェミニズムなどに依拠する動きも見られたが、それらの思想はそもそものモチーフ(問題意識)が違う。
 また同性愛や「トランス系」を宗教的禁忌とするキリスト教圏(欧米)と日本とでは、社会的な背景も異なる(だから問題意識も異なるのだ、ともいえる)。私たち日本の「トランス系」は自分(たち)自身についての問題について、自分たちの「今・ここ」について自分自身で考えなければならない。
 ところが、これは始めてみるとひどく難しいことだった。
 なにも性的少数者に限った話ではなく、人間の性というのは、人々が生きる上で実に様々な側面に複雑にからみついている。性について考え始めると、すぐさま性というものが持つ多面的な複雑さによって思考が混乱してしまうのだ。
 行き詰まった私はしばらく試行錯誤したのちに、哲学を学び始めた。
 理由は二つあった。
 ひとつは哲学が「ものごとを根本的に考える方法」だということ。
 少し考えては混乱の迷路に入り込んでいた私には、迂遠なようでもまず「考える方法」から学ぶ必要があったのだ。
 ただし哲学といっても、なんでもよいわけではない。何人かの哲学者の解説を読んで、論理の飛躍などがなく、私自身が納得できる解説を探すことに手間と時間をかけた。この時に「発見」した二人の哲学者に、のちに私は直接に師事することになる。
 もうひとつの動機は、今の日本も含めた「近代社会」の原理を学び直すこと。
 自分(たち)の居場所がないと感じられるこの社会には、本当に居場所がないのか、それとも居場所を得られる可能性があるのかということを原理的に確かめ直す必要があった。
 その点では、ホッブズ、ロック、ルソー、ヘーゲルなどの思想を学ぶ中で大いに得るものがあった。
 ここでは詳しいことは省略して結論だけをいうと、近代自由主義社会の原理の中に、私はその可能性を見出すことができた。
 そこから先は考察が面白いように進んだ。
 私はそれを、当時自分で開設していたホームページに書きためていった。九七年から数年間のことである。
 以下に私が書くことも、この時の考察が根本にある。
 考察にあたっては、いつも私の頭の中に「架空の論敵」がいた。
 これは特定の人物をイメージしていたわけではない。ただ自分の考察が独善に陥らないように、もし私が「トランス系」の社会的承認に反対する人物であったとしたら、私自身の考察にどのような矛盾を見つけて反撃するか。そういう「もう一人の自分」を想定して、自分自身の考察を批判的に検討するということを続けてきたのである。
 そういう工夫をしないと、人間はついつい自分に都合のよいものの考え方をしてしまう。
 自説にとって都合の悪い事実から目をそらしたり、自説に賛同しない者に「悪」や「愚民」のレッテルを貼り付けてよしとしてしまうことがある。それでは何の意味もない。言論は常にその説得力を鍛え続けなければならない。強い言論とはそういうものだろうと、今でも思っている。
 だから当然、「トランス系」あるいは性的少数者のためだけに都合のよい社会を構想するような内容であってはならない。
 そんな社会を多数の人たち、つまり性的少数者ではない人たちが望んでいるとは思えないし、そんな構想に説得力があるはずもないからだ。
 だからといって多数派のためだけの社会でも困る。
 そもそも両者が根本的に対立しけっして相容れないようなものだとは、昔も今も私は思っていない。つまり多数派と少数派は、どちらか一方が得をしたら必ずもう一方がその分だけ損をすることを避けられないような構造になっているのだとは考えない。
 もし仮に両者の間に利害対立が生じたとしても、利得の奪い合い以外に解決方法が存在しないと最初から決めつけてかかるのはおかしい。
 むしろ双方の得になるような利害調停の方法を考えればよいのではないか。双方が自分たち「だけ」のためを考えて争い合うことは不毛だ。
 むしろ両者がそれぞれの勝手な「正義」を打ち立てて争い合うことこそが、利害の調停不能を招く原因になるのだ。
 そんな固定的な「正義」よりも、双方の利を考えよう。「理よりも利」を追求すれば、そこに解決の筋道が見つかるはずだ。
 私自身は性的少数者の、そのまた一分野である「トランス系」の一人にすぎないが、単に「こちら側」の主張を述べるだけではなく、マジョリティとの間の通訳を試みることを通じて、両者の相互理解の役に立てるように自分の言論を鍛えることができれば幸いである。

 なお本書で用いる用語については、執筆時点で一般に意味が通じやすいものを選んで使用することとした。
 たとえば「性同一性障害」という用語は元々、アメリカ精神医学会の診断基準(DSM)でも、WHOの診断基準(ICD)でも使われていた。しかし後にそれぞれ呼び名が改定され、二〇二一年現在では、前者では「性別違和」、後者では「性別不和」と呼称されている。このように、これらの権威ある診断基準に沿って正確を期すことで耳慣れない用語が並び、かえってわかりにくくなってしまうという問題が生じるからだ。
 本書はもちろん医学書ではないし、あくまでも一般向けの著作として、あえてわかりやすさを優先することとしたので、読者各位はあらかじめ了解されたい。

版元から一言

【オビ掲載推薦文】
神名龍子の
『トランスジェンダーの原理』
を、わたしは
推薦する

竹田青嗣◉哲学者

神名龍子はトランスジェンダーで、私は在日韓国人だ。つまりよく似た経験の場所を生きてきた。そのころ、私もまた思い悩んでいた。マイノリティとはそういう場所で、いまでも多くの若者が、自分の存在の不可解さにはじめてぶつかり、言葉もなく思い悩んでいることを私はよく知っている。誰もこの経験を迂回できないのだ。
人は、この経験の不可解さに思い悩んだとき、不幸な者が神仏を求めるように自分を助けてくれる「物語」を求める。私の前にもそういう救済の物語があった(たとえば、民族的自覚)。しかしわけあって私は、この「物語」の船に乗れなかった。そのため、その不可解さを自分で考え続けるほかなかった。この本を読んで私は、まさしく神名龍子もまた同じ道を歩いていたこと、そうして、自己と世界について、時間をかけて独力で深く考え続けてきたことを知った。たしかに、ここにこそ「哲学」することの原型がある。ここには、「マイノリティ」を生きるという独自の経験についての、救済の「物語」ではなく、哲学の書がある。「差別と闘え」、はもちろん一つの可能な道だ。しかしここではむしろ、差別されるという経験が人間の心にもたらしうる深い傷に対抗して、自分の生を、自らの選択として生き抜くための道がはっきりと描かれている。私は、すべてのマイノリティ、不遇の者、不幸な者に、この本をこそ読んでほしいと願わずにいられない。

著者プロフィール

神名 龍子  (ジンナ リュウコ)  (

1964年東京生まれ。MtFのトランスジェンダー。
90年代初頭に日本初のトランス系ネットコミュニティ「EON」を創立。
2003年「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」成立に携わる。土曜は新宿ゴールデン街で勤務。
本書が初の著作となるが、SNSやブログでも
自身の考えを積極的に発信し続けている。
Twitter:@LyukoJinNa
ブログ:https://www4.hp-ez.com/hp/eon

上記内容は本書刊行時のものです。