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日本のビルメンテナンス産業創生の礎――浅地庄太郎伝 岡田 玉規(著/文) - 知玄舎
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日本のビルメンテナンス産業創生の礎――浅地庄太郎伝 (ニホンノビルメンテナンスサンギョウソウセイノイシズエアサジショウタロウデン)

ビジネス
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発行:知玄舎
四六判
縦194mm 横134mm 厚さ21mm
重さ 385g
256ページ
定価 2,200円+税
ISBN
978-4-434-31432-2   COPY
ISBN 13
9784434314322   COPY
ISBN 10h
4-434-31432-7   COPY
ISBN 10
4434314327   COPY
出版者記号
434   COPY
Cコード
C0023  
0:一般 0:単行本 23:伝記
出版社在庫情報
不明
初版年月日
2023年2月4日
書店発売日
登録日
2022年11月7日
最終更新日
2023年1月24日
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紹介

GHQの支配下にあった日本の戦後復興期、占領行政の終わりとともに、日本において初めて、契約によるビル管理(メンテナンス)という業務形態がスタート。やがてそれは、自然発生的に新しいビルメンテナンス業という新しい産業として右肩あがりの発展を遂げた。今日のメガロポリス都市の勇壮なインフラが日本国土の経済基盤を支えている背景に、ビルメンテナンス業界の中心でこの産業を牽引してきた浅地庄太郎という男の存在がある。本書は、すでに若いころから先見の商才を発揮し、GHQでは住宅局日本人首席顧問として実力を見せつけ、やがて日本のビルメンテナンス業の創生と発展を導いた浅地庄太郎の功績を記録した人物伝である。浅地は、ついに世界ビルサービス連盟の終身名誉会長にまで就任した。明治38年3月16日生まれ、金沢市出身の浅地庄太郎は、昭和58年8月8日、享年78歳でその生涯を閉じた。

目次

序 章 日本ビルメンテナンスのパイオニア
第一章 少年時代
第二章 金商時代
第三章 輸入食料品取扱販売業・菊屋で初就業
第四章 新天地・軽井沢時代
第五章 初志貫徹に揺れた実業家志望青年時代
第六章 営業三人衆と庄太郎の結婚
第七章 日本栄養食での働きと戦時下の家族への想い
第八章 終戦直後に進駐したGHQの光と影
第九章 戦後復興の歴史を刻むビル管理業ことはじめ
第十章 日本ビルサービスの設立と躍進
第十一章 高度経済成長とビル管理業界の生成発展
第十二章 浅地庄太郎の最終幕

著者プロフィール

岡田 玉規  (オカダタマキ)  (著/文

昭和30(1955)年生まれ、兵庫県出身。昭和52(1977)年京都産業大学法学部卒業。同年株式会社社会環境研究所入社。編集部次長、同取締役編集長などを歴任。その後、日本ビルサービス株式会社広報部長、総務部部長、グローブシップ総務部長代理兼広報課長、同参事などを経て、現在に至る。平成20(2008)年から特定非営利活動法人快適な街づくり協会理事長。 著書としては『究極のビル観察学』が、また共著として『東京大転換』(住宅新報社発行)などがある。また絶版となっていた『逗子なぎさホテル物語』(復刻版)、『建物清掃の実際』(復刻新訂版)の復刻に取り組み、編集を担当した。

浅地 正一  (アサジショウイチ)  (監修

昭和13(1938)年生まれ、東京都出身。昭和35(1960)年慶應義塾大学経済学部卒業。同年日本ビルサービス株式会社入社。昭和50(1975)年同社代表取締役社長就任。平成17(2005)年同社株式をビル代行に譲渡、同特別顧問に就任。昭和50(1975)年社団法人東京青年会議所理事長、昭和52(1977)年社団法人全国ビルメンテナンス協会理事、昭和57(1982)年東京商工会議所議員、平成5(1993)年労働省中央労働基準審議会委員、平成13(2001)年東京商工会議所副会頭、平成15(2003)年日比谷公園100周年記念事業実行委員長などを歴任。現在、浅地事務所代表、東京商工会議所顧問。

上記内容は本書刊行時のものです。