採録・刊行プレトークイベント“『「本屋」は死なない』への想い”
10月17日のトークに来てくださった皆さん。有難うございました。
当日の話のすべてを、すこし言葉を直して文章にしました。長くなりますが・・・聴きにくかったところ、わかりにくかったところもあると思いますので、興味があれば確認のためにご覧ください。
本と本屋のかっこよさ
今日の会は・・すこし変わっていますよね? 本が出る前に話す、そういう企画に来てくださった方々に何を話せばいいか、と考えましたが、1時間よろしくお願いします。
どこから話そうかと・・今日配られているチラシ、すごくきれいなのを作ってもらいましたが、ここに書いてあるとおり、僕は1998年に新文化通信社に入りました。最初はアルバイトで半年間。1999年から社員にしてもらいました。
最初、電話をしたんですね、入りたいということで。いまは「新文化」で社長をしている丸島(基和)さんという人が当時編集長で、いまは人を採っていない、でもとりあえず会おうかとは言ってくれて。それで会って、採用はできないけど、なにか書いてきたら、それを載せることはできるかもしれない、と言ってくれました。
それで、山際(敏博)さんという、愛知県にいまじんという書店チェーンがありますけど、当時はそこで統括的な仕事をやっておられた方がいて、いまじんの、書店チェーンとしての全体の戦略なんかを聞かせてもらって、原稿にまとめて、それを丸島さんに持っていったら、まあ載せてやろうかということになったんです。僕はもう、書いたものが「新文化」で活字になるというだけで満足だったんだけど、アルバイトでもいいんですけど、みたいなことを試しに言ってみたら、うーん、じゃあちょっと待ってて、とか、そんな流れで、結局は入れてもらったというのが始まりだったんですね。
「新文化」に入る前、悠飛社という小さな出版社にいて、書店回りの営業をしていたんです。2年くらい、短い間でした。さらにそこへ入る前、僕にとって本屋がどういう存在だったかというと、なんかカッコイイ場所だったんです。ただ僕は、そんなに本屋が好きっていうわけじゃなくて、毎日行かないと気がすまないっていうような人がたまにいますけど、僕は毎日行かなくても平気です。ただ、僕にとって本屋、本屋というか本は、カッコイイもの、カッコイイものっていうか・・・・すみません、今日はすごく緊張しちゃってます。いつになく。なんでだろう。
すみません。話を戻します。それで僕にとって本というのは、たとえば世の中の常識に異を唱えているものだったり、本屋の売場ってそもそも、置いてある1冊1冊のなかに人殺しがいっぱいいたりとか、小説でもノンフィクションでも。そういう、世の中の常識とは違う世界が広がってるというのが僕の捉え方なんです。世の中の良識に対して、それは違うだろって言っているような。僕にとって本の基本的なイメージって、そういうものだったんです。
実際に悠飛社に入って書店回りを始めたときに面白いなあと思ったのは、本屋の人たちって、僕にとっての本のイメージと合ってる人が多かったんですね、少なくとも僕の記憶では。
たとえば、今でも覚えてるんですけど、埼玉の大宮のほうの本屋に行ったときに・・これ営業の方ならわかりますけど、まずその月の新刊を紹介して、それから既刊のラインアップのなかからお勧めしようと思っていたものをいくつか紹介して、注文してください、とお願いするわけですけど、その話を全然聞いてくれないんです。それで既刊のラインアップのなかで、いまはもう会社としても全然押してない、売れなくなっちゃった本を指差して、10冊もらう、っていうわけです。
その店は、BGMとしてFMラジオが流れていたんですね。ちょっと変わってるなと思って聞いたら、局はNACK5で、NACK5の周波数は本を買わせるのにいい周波数なんだ、って言うんですよ。ほんとかなあ、とかって思うわけですけど、その周波数が人の心を落ち着かせ、本を買いたい気分にさせるんだということについて、滔々と1時間、きかせてくれるわけです。そうですか、でも、うーん、とか思ったりして、それで会社に戻って、社長に怒られるんですね。もう売れてないからあまり営業するなって言われてた本を10冊も注文もらってきちゃって。でも翌月にまた行ってみると、5冊くらいは売ってくれてたりして、これはなんか、ただのインチキなオジサンじゃなさそうだなと思ったり。
そういうことがすごく多かったんです、本屋を回っていると。世の中を儚んでいるというか、世の中への不満みたいなものを語り出すと止まらないとか、あるいはプロレス・・僕プロレス好きだったんですけど、そうするとプロレスについて3時間くらい持論を語りっぱなしで、でも注文は1冊もくれないとか。
そういう人達がいっぱいいて、それを僕はカッコイイ、と思っていたんです。最初に話した、僕が思う本のかっこよさというものと、本屋のそういう人たちのもつかっこよさというのは、自分のなかでは合っている気がして。なるほど、本を扱う世界ってこういうものかというのを最初に刷り込まれた。それは今回の本を書いた今の段階においても引きずっているところがあると思います。もしかしたら幻想もあるのかもしれないけれども。
「業界」が気持ち悪い
それで、さっき話したような経緯で「新文化」に入れてもらった。僕が入った当時というのは再販の存廃論議というのが盛んで・・・これも人によって受けとめ方が違ってくるというか、ここ10年の間にこの世界に入った人にはリアリティがないというか、ヘー、そういうムードだったんだ、という話かもしれないし、僕よりベテランの人からすれば、いや再販論議ってのは70年代からあって、というだろうし、その受けとめ方は人によって差があるかもしれないんですけど、僕が入った頃というのは、2001年3月の、再販維持という公正取引委員会の結論に向けて、議論が沸騰していた時期だったんですね。
だから、再販、是か非か、というような話をいろんな人に聞く機会が多かった。いろんな人に話を聞くというのも・・僕は「新文化」に入る前の出版社のころ、本の営業するより本屋の人の話を聞いてるほうが好きだったんです。だから今度はそれを記事にしていればいいなんて、こんな楽しいことはないだろうとウキウキして入ったんですけど、再販論議ということでいろんな人に話を聞いていると、当時、20代後半でしたけど、なんていうのかな・・気持ち悪い世界に映ったんですよ。再販は残ったほうがいい、と99%の人が言ってる、というくらいのアンケートがあってほんとかなあと思って、そのうち、じゃあ再販反対とさえ言ってればいいくらいの気持ちになって、そっちを言う人の話ばかり拾ったこともあったりとか。
というのは、たとえば実際に維持が決まって、いろんなところにコメントを求めて回ったんですね。そのなかで、再販を残すための中心的な役割をした、ある業界団体のリーダー的な立場の人にコメントをもらった後、僕はどうして再販が残るべきなのか、じつはきちんとわからないまま維持の結論が決まってしまったと申し上げたら、その人は、自分もそうだ、とおっしゃったんですね。「いま自分は再販が必要だと言っているけれど、5年後に状況が変わったら、なんて言うかわからないな」と。
あるいは、再販は絶対に残すべきだと強く主張してきた団体の人と話していたときに・・・業界の中心的な団体は中間的な立場をとって弾力運用という言葉で謝恩価格本に取り組んだりとかしている、あるいは消費者団体みたいなのが再販は無くせと言っている、公正取引委員会もそう言っている、そういうなかで、絶対に何が何でも残さなくてはという強硬な立場をとっておかなくちゃバランスがおかしくなるから言うんだ、と。
なんか、常に潮目を見てる、バランスやポジションを考えているというか、これは批判的な言い方になりますけどそういう印象があって、なんかこう、自分が最初に思っていた本のかっこよさに対して、実際にやっている人達は違うなあ、という感じを受けるようになったんですね。ちょっと凶暴な気分にもなってくるっていうか、そういう空気を変えてくれそうなものであればなんでもいいから載せたいなという思いにさえなったりしていたんです。
ただ後々、再販のことについても、いろんな地域の本屋の人に話を聞くようになると、また考えが変わってくるんです。
たとえばある地方の温泉街でやっている小さな本屋、でもいい本・・いい本っていうと、いい本とは何かという話になりますけど、そういう本を丁寧に仕入れ、届けている本屋があって、そういう本屋の人たちが、自分は再販が残ってくれなくては困る、なぜなら再販がなくなるとこういうことになってしまうから、という話を聞かせてくれて、すると再販が残った場合の意義について考える機会を得たりとか。
何が言いたいかっていうと、「新文化」に入ってからも、本屋の人たちに自分を成長させてもらった、本屋に行くことでもう一歩考えさせてもらった、そういうことが多かったんですね。
ひとりの想い
そんな感じで初期、まずは再販論議というのがあった時代が過ぎて、じゃあ次に自分がどんな取材をしていこうというときに、実際に本にたずさわっている人達、その一人ひとりの人たちはいったい、何を思い、何をしているんだろうというところに、関心がどんどん向いていったように思います。なかには、業界紙という場所でやるにはどうなんだろう、ということもあったかもしれません。それでも、この人は何を思い、何をしているんだろうという取材へ向かっていった。自分の中の、本の世界ってかっこいいなというものを、そこへ求めていくようになったのかなという記憶があります。
「新文化」を辞めた後、ここ10年ほどの「新文化」の縮刷版を見直す機会が一度あったんですけど、2002年頃・・これも以前からあったといえばあったんだけど、紙面上で書店の人が書いたり喋ったりする言葉の中に、どうも本の世界がおかしくなった、という意味の表現を見つけることが多くなってくるんです。
その2002年、あるいは2003年頃というのは、『セカチュー』とか『バカの壁』とかが大ヒットした時期です。僕は『セカチュー』や『バカの壁』という本の内容そのものに対する批判的な視線はまったくないですけど、データに基づいて、売れてきた本はより多く売れるようにガンガン、全国の書店の売場をつかって仕掛けていく。その一方で売れない本、もともとたくさんは売れない本をどんどん売場から弾いていくような、極端にいえばそういう状況が進んでいる印象を受けた。書店同士も無謀な大型出店ラッシュが激しくなってきて、本の世界がおかしくなってきた、という書店の現場の人の危機感と、実際に進んでいる全体状況、進んでいる方向というのが、どんどんかみ合わず、ちぐはぐになってきているという印象を持っていました。
その頃、自分がどんなことを記事にしていたかというと、基本的には取次を使わずに書店と出版社が直接取引する、つまり出版流通はもっと多様性をもった方がいいんじゃないかということを考える連載を始めてみたりして、トランスビューのような会社のやり方がとても興味深いものだったり、書店も、大手の紀伊國屋書店のようなところが1点1点、個人的な制作物のようなものも商品としていかに成立するかに取り組んでいる、その意義みたいなものを考えるようになりました。そういう現象を取りあげるのに力を入れるようになって、でもそういうことで業界の全体状況が変わるわけじゃないから、自分がこのさき何を伝えていったらいいんだろうというのは、わからないという気分が常にあって。もう辞めたほうがいいかなと思うこともありました。自分が何を書いたらいいかわからなくなってきていた。
編集長になって
そのころ、いま「新文化」の社長をしている丸島さんから、編集長代理というかたちでやらないかという話がありました。じゃあどうやっていこう、と考えるようになり、2005年からは編集長になり、「新文化」の紙面を預かることになったときに自分がやれることはなんだろうと考えた結果、2つの柱をもつことになりました。
ひとつは「時代を創る―若き経営者たち」という連載タイトルだったんですけど、若い世代の、大手から、ひとりでやっているような規模の会社まで、今どうしているのか、これからどうしようと思っているのか、この業界がどうなるべきだと思っているのか、それを個人的意見として聞く、というものです。これはある人の言葉がきっかけで、いまは社長、当時は副社長だった講談社の野間さんでした。野間さんと、当時はセブンアンドワイという社名だったかな、鈴木康弘さん、この2人の対談企画というのを最初は考えていたんですが、講談社としては、ネット書店の経営者との対談では受けないと。じゃあそれぞれ個別にインタビューしましょうということになった。そのときに、自分だけじゃなくて、いろんな立場のいろんな若手経営者に話を連続で聞いたほうが面白いんじゃないの、と野間さんが言ってくれたんですね。2人に続く3人目としてトランスビューの工藤秀之さんに出てもらって、会社の規模じゃなく、一人ひとりに、個人として話を聞くというのを、ひとつの柱としていきました。
もうひとつ、これはいろんなところへ出るたびに話していますけど、この『傷だらけの店長』。これはもともと「新文化」で連載していたもので、単行本になったのは去年の8月です。これも、書店で仕事をしている人が、今どういう心境で毎日やっているのか、そのことをいっかい、きちんと記録しておきたいというのがあって。どこまで記録できるかということに挑戦してみたかった。
それまでの記憶のなかで、僕にとっての本屋の人というのは、さっき話したNACK5のオジサンみたいに、稀少で、面白い人たちがいっぱいいる。そういう人達が、出版業界の全体の進行のなかで、消えていこうとしている。そのままでいいのかという引っかかりがずっとあって、この人達の心境がどういうものかというのをひとつ代表してもらうために、ある書店長さんに執筆を頼んで、日々抱えている現場の本音をどこまで出せるかというのを、やってみませんかとお願いしたんです。
そういう意味では、自分がどんどん個人に向かっていくというか、人ひとりが本の世界とどう関わっていくべきなのかということを伝えようとしていくようになった。
『傷だらけの店長』については、内情を解説する機会もなかなかなかったんですが、この本は、連載のときは「それでも本屋を続ける理由」というサブタイトルを付けていて、悩みや葛藤、見る人によっては愚痴にしか読めないような内容もあえて語ったうえで、それでもなぜ自分は本屋をやるのか、という次のステージに最終的にはたどり着く、それを目指していこうということで最初は始めたんですね。ところが著者の、ご本人を取り巻く状況というのがどんどん変わってしまって、連載開始当初は、大変ではあるけれども基本的にはそのお店なりに・・というとそのお店に失礼ですけど、いい状態でやっていたんですけど、近隣に大型店ができたりして、ぐっと情勢が変わってしまったんですね。こちらとしては、「それでも本屋を続ける理由」に最後はたどり着くようなルートを進んでいってほしいんだけど、本人の心境というのはとてもそういうところにないから、どうしても気持ちが追いこまれていく、そうなっていく流れをとめられないことに、お互いに悩みながら進めていったということがありました。
業界紙の役割との葛藤
そういうことで、ひとつは若手の経営者がいま何を考えて、どうしようとしているか、もうひとつは書店の現場にいる人の本音に、なるべく近づく。これも、本音といってもなかなか難しくて、文章にした時点でそれは果たして本音なのかという問題もあるんですけど、それでもなるべくそこに近いところでやっていく、この2本立てでいくというのをやっていたんですけど、それもまた、自分の中ではやれることがなくなってくるというか、違うかたちでやりたいなというのが出てきたように思います。
それは、さっき話した再販制ひとつでも、業界の中でそれぞれに立場があって、個々の人は一生懸命にやっている。その、全部の立場の人の気持ちをわかるよというスタンスでやっていると、なかなか伝えるべきことが伝わらないジレンマがあったりして、でもそこを抱えながら常にやっている。ただ、「新文化」というより業界紙というのは、そこでやらなくてはいけないところがあると思うんです。それぞれの立場の人の頑張り、やっていることをどう伝えるかというのがある。業界全体がよくなるといいよね、というお題目のなかで、何をどれだけ伝えられるかというところに役割がある。自分がすこし偏ったような内容のことを打ちだすたびに、むしろそういう自分のやり方にも疑問をもつことが多くなっていって、これは続けていくのがシンドイなという気持ちになっていった、というのがありました。
それで2009年いっぱいで辞めて・・あの僕、大丈夫ですかね(笑)。ずーっと話していってますけども・・。辞めて、僕にはもう、全体に向けていえることはない、この業界はこうなっていくべきだ、といえることはない。
でも、本の周りにいる、本の世界で頑張ろうとしているあの人やこの人、そこに伝えたいことはまだ、いっぱいあるんですね。そこにトライしていきたいという思いになっていってはいたんです。
「新文化」を辞めるにあたっては、喧嘩別れで辞めたんじゃないかと思われていることも多くて、なにかもめたんだろう、社長に不満があったんだろう、とか。そりゃ、社長に対して不満がないなんてことがあるはずないんですけど、それは会社の上司と部下の関係であれば誰だってあるのが当たり前のレベルのことでしかなかったです。実際のところ、辞めたいとなってからも社長の丸島さんは引きとめてくれて、自分の心境がそういうふうに動いているという話を何度も聞いてくれて、じゃあそういう考えを反映したようなことをやってみればいいじゃないかと言ってくれた時期もありました。ただ、「新文化」という場所でやるのは違うのかなあという気持ちが自分にあって、やはり辞めます、ということになりました。
僕がやりたかったことと本屋のしごと
人の一人ひとりを見ていくようなことをやり直したいというのが、まず辞めたときにありました。配られたチラシにある「目次より」というのは、序章から終章までの順番通りに載っていますが、僕が会社を辞めたのと同じ時に、原田真弓さんという人が「ひぐらし文庫」を開業したんです。そのことに、これは僕の一方的な思いですけどタイミングの良さみたいなものを感じて、開店してすぐの頃に会いに行った。彼女はもともと大手書店で働いていたんですね。そこを辞めて、わざわざ自分の店を始める、それはいったいどういうことだろうというのが、始まりでした。それが2010年1月のことです。
そこから、本に出てくるような人達に会っていくんですけど、一人ひとりに会う、そこで得たことをまた一人ひとりに伝えていく、ということをしたかったんですね。そうやっていろんな人に会いに行って思ったのは、自分がそういう風にやりたいと思っていることを、まさに日々やっているのが本屋の人達だったんです。僕のなかでは原点回帰的に、本屋の人達が日々やっていることだけに視点が集中していくというか、そういう心境に1年間、どんどんなっていきました。
「新文化」にいた時というのは、出版の全体状況をわかってなくちゃいけないという強迫観念みたいなものが常にあって、新しい雑誌のことも知らなきゃいけないし、電子書籍のことも知らなきゃいけないし、出版社の倒産危機も、書店の出店情報も知っていなくちゃいけないし、著作権のこともわかってないとか、そういう強迫観念のなかにいつもあったんですけど、辞めてからもう一度本屋の人達に会っていくなかで、結局、自分が見るものはひとつ、という気持ちになって、本を手渡そうとしている人達が、どんな心境でそのことを日々やっているのか、話を聞くと何を言ってくれるのか、そのことだけに集中していく。すごく狭くなっていたかもしれないんです。でも自分にとっては必要な・・その前の年までがまったく違うものだったから、今度はどんどん狭いくらいのところへ入っていくことが必要だったんです。
今回それを本にまとめたことで、人からは作家だねなんて言われたりして、そういう言い方だとなんだかでっかくなったみたいなんですけど、僕にとってはちっちゃくなった感じなんです。たしかに、人ひとりが描いている宇宙というか、そういう意味では広くなったんですけど、この出版というものの状況をどう書くかということでは、どんどん狭くなっていったんですね。ささやかなことではあるけど、気持ちのいい時間を過ごしていました。
いまの本を取り巻く状況はどこか汲々としていて、それは実際に回っていてもたしかに感じます。本が大量に流れてきて、それをさばいていかなくちゃいけない状況で、なんで本屋をやってるのか、なんで出版社で本を作って出してるのか、ということが掴みにくい、なんかどんよりとした状況にあるのかもしれないけど、僕はいま話したような、狭いところで状況を見ることで、違うんじゃないかと思うようになったんです。こういうふうに本を手渡そうとする人たちの存在は、これからもずっと続いていくんじゃないか。でもこういう話も、自分のなかの盲信というか妄想というか、そういうものかもしれない、でもそれだけで終わる話ともいえないんじゃないか、という思いと両方あって、それはわかんないです、自分でも。ぜひ中身を見て、判定してもらえたらなあと思います。
今日お集まりの方々は、ほとんどが本屋とか出版社、あるいは取次、その他でも何らかの形で本に関わっているんだと思うんですが、その所属とか属性以上に、自分という個人がどうするのかということにいま、どんどんかえっていってるんじゃないか・・伝わりにくいですかね? そんな心境というのが、自分のなかでは強くなってきています。
ということで・・話がだいたい終わっちゃいましたけども(笑)。
今回の取材は、自分のなかでやり残したこと、宿題になったことがいくつかあって、それをやっていくということでもありました。
たとえば自分が「新文化」で、記事を書くことで関わったといえるだろうなということのひとつに、書店発ベストセラーというのがあって。有名なところでは、『白い犬とワルツを』という本を、BOOKS昭和堂の木下さんというかたが、火を付けた。その火を新潮社が大きくしていった。でもそういう流れについて、当事者である火付役の人たちは非常に冷静だったりします。書店発ベストセラー、ひとつの本にひとりの書店員が目をかけて、それが広がっていくというのは、その段階では、本が本来持っている、マイノリティへの視線というか、多様性、いろんな可能性を見出していくというか、皆がそうだそうだといってることが必ずしも正しいわけじゃない、そういうことって、本が持ってる本質だと思います。でも、そうして発掘されたものが書店発ベストセラーといわれるものになった瞬間、今度は皆が売らされるものに変わってしまう。「新文化」にいるときに、その部分をうまく伝えきれなかったという後悔がありました。もちろん僕だけが書店発ベストセラーのことを書いていたわけじゃないし、仕掛けていたとかってことじゃなくて、結果的にそういうものになっていくことに加担している一人だった。
自分としては、一人の書店員の営為、頑張りというものに・・光を当てたいという気持ちなんですけど、結局はそれが、本のもつべき多様性を否定する方向へ流れていく。その営為がデータとしてとりこまれ、全国的に広がってということになったときは売らされるものに変わる、そこに自分が加担している感じというのが、ずっとあったんですね。
本屋の人の本来の役割というのは、目の前にお客さんがいて、その人に何を手渡したらいいのか。一人ひとりと向き合って1冊1冊を渡していくことの凄さを、もう1回伝え直したいというか、そこをこの10年、自分がうまく伝えられなかった部分をもう1回、書き直してみたいというのもありました。どこまでできたのか、という感じではあります。
今日は書店の方もいらしていると思います。これは言いにくいんですけど・・なにかの本を一本釣り、この本に光を当てたい、それをやる人って基本的にはもう、能力と情熱のある方なので言うべきかどうかという気持ちもありますが、その手法はどこかでひずみが生じるんじゃないか、といまは思っています。基本的には、その地域の一人ひとりの人の気持ちみたいなものに、本を介してどう応えるべきかということが、本屋にやってほしい役割というか。そのことは今回、全国・・といっても九州とか行ってないところもいっぱいなんですけど、各地を回るなかで、そういう思いが、自分のなかにできあがりました。それが、本屋にやってほしい一番の役割なんだろうなと。
盛岡のさわや書店フェザン店の田口さんという人が、去年、『安政五年の大脱走』という本を仕掛けていて、全国的にも広がっていった。こういうことは今も現場のムーブメントになっていて、それはそれでいちがいに否定できない複雑さはある。でも実際のところ、彼と話していて、ああ、それだったらこういう本がありますよ、って教えてくれるのは、ほんとうにそのときそのときの多様な、僕が考えていることを受けてのものなんですね。彼の書店員としての本質はじつはそういうところにあって、『安政五年の大脱走』の仕掛人である、というのは盛岡発の意地みたいなもので、それだけではない、ということなんだと感じています。
何のために本を作り、売っているのか
出版社がいま、書店のことをどう考えているかも、いろいろでしょうね。電子書籍の時代がきている、これからどうなっていくかという段階ですけど、どうなるにしても、どっちみち本は、少なくとも市場全体の数字上ではこれからも下がっていくに決まっています。そういうなかで、もういちど本屋の人たちを見てほしいっていうのはあって、店という単位だとかデータ上ではどう、ということだけじゃなくて、もう一歩奥の、あの本屋の、あの人になら10冊預けられる、ということが必要になるんじゃないでしょうか。そのために、書店員の一人ひとりがやっていること、店で、棚でやっていることを1回きちんと見てみる、ということが必要なんじゃないかと思うんです。
というのは、書店の数はまだこれからも減っていく、というのは間違いないはずです。そうなると、このままいけば多くの書店員がいなくなる。棚を作り、お客さんと向き合って本を手渡すという行為が、少なくなっていく。あの人たちが全体状況のなかで次つぎと売場を去っちゃって、ほんとにいいのか、ということなんですね。そこをもう1回、見直してもらえたらいいなと思います。著者が書いたものを出版社として出すときに、どの店の誰に売ってほしいのか、初版がたかが数千冊しかない本を誰に預けければいいのかということを、もう1回考えてみていただけると、僕はいいなと思います。
そういう原点回帰のような方向へ行っているんじゃないかという気がするんです・・・伝わってますでしょうか? 一方的に喋っちゃって。
自分のなかではもう話は決まってきているというか、出版社の人たちも書店の人たちも、何のために本を作り売っているのか、そういう根本を考えることが、すでに多くなっていると思うんですけど、そういう原点を思う、ちょっとしたきっかけになれれば嬉しいです。
あと、これはひとつネタをいただいたんですけど、原田真弓さんがひぐらし文庫を開業した話をさっきしましたが、それはこの場所で行われた勉強会がきっかけだったそうです。主催は今日の版元ドットコムではなく「でるべんの会」で、大阪屋と栗田のかたが対談をしたトークイベントがあった。その後の懇親会である人と話をしていたときに、私も自分の本屋をやってみようと思い立ったそうです。そういう意味では今日の話がここでというのも、なんか面白い縁だなあと思っています。
僕は、あと何を・・(笑)。バーっと喋って1時間、短いといわれていたんですけど、長いですね(笑)。口にしてみると、単純な話でした。
――今後の抱負を。
あまり長い先のことは決まってないんですけど、新しく取材が始まっています。これもどこの媒体に載せるかというのがはっきりしていない段階ですが、取材しはじめたのは単品管理のことです。芳林堂書店池袋本店という書店が2003年に閉店していますが、1970年代中盤と後半から80年代前半にかけて、このお店が単品管理に取り組んでいることが業界内で注目された。まだ、POSシステムが入る前、ハンディターミナルでピッとやる世界になる前のことですね。本の大量生産、大量消費、いまに至る状況がいよいよ本格化していった時代に、それでも本の1冊1冊ときちんと向き合う形で本を扱うにはどうしたらいいかというテーマがそこにはありました。柴田信さんという、いま神保町の岩波ブックセンターという本屋で社長をされている人が当時、店長をしていて、柴田さんと現場をやっている人達が、そういう状況にあっても1冊1冊をちゃんと扱いたい、ただ売れてるからとか売れてないからとかじゃなくて、どういうふうに売れているのか、売れていないのか、そのうえで残したり返したりするということを、現場の担当者一人ひとりが自分で把握してやっていこうという取り組みだったそうなんです。
それによって、本屋として売上げをあげるというのは前提なんですけど、1冊1冊とちゃんと向き合って、可能性がある本、見出されるべき本というものを見ていった。また、それをできることによって書店員ひとりの働く喜びをどうしたら担保できるか、そういう姿勢だったんですね。単品管理、というとコンピュータで管理するシステムのイメージが付いてまわりますけど、1970年代に芳林堂はそういう思いのもとで取り組んでいた。そのことについて話を聞いています。
重要なのは、いまの書店ではどうなのか、ということです。今日おいでの方の中にも、当時の芳林堂のやり方をどう思いますかと聞かせてもらいたい人がいますが、そのうちまとめますので、また見てもらえればと思います。
そんな感じで、もうしばらく、この『「本屋」は死なない』という本のつづきになるような話を伝えられたらと思っています。いま話せるというとそのくらいになっちゃうんですが、そういう近況です。
・・・じゃあせっかくだから、やっぱり質問とか(笑)。
――まだ本が出る前なので、質問が出ても、それは本に書いてあるということが起こりうるだろうと思っていたので、今日は質疑応答の時間を設けないつもりだったんですが、そのあたりは石橋さんのほうで案配してもらって、それは本を読んでくださいということは言ってください。
書いてあることも答えちゃって、それはそれで、もう読まなくていいよという話になるかもしれないですけど(笑)。
Q.タイトルでは「本屋」とカッコつきになっていますけど、石橋さんの定義というか、ネット書店というのは石橋さんにとって「本屋」でしょうか。
A.カッコつきの「本屋」というのはひとつのポイントで、このタイトルは編集者が考えてくれたんですね。ひとつ説明しなきゃならないのは、ここで書いている「本屋」は死なない、っていう「本屋」は、いま存在している、一般的な小売業としての書店という意味では、僕としてはないです。それよりも人、ということになる。やっぱり本に書いてあることを話していますね、これは(笑)。ネット書店が本屋か本屋でないかというよりは、そこにいるなかに、「本屋」の人も「本屋」でない人もいると思います。
Q.2つうかがいます。ひとつは、今回載せていない人で話を聞きたかった人はいたか、そういう人がいたら知りたいなというのと、もうひとつは、いつか石橋さん自身が本屋をやりたいという思いはあるかということなんですが。
A.紹介するのを忘れていたんですけど、この『権力を取らずに世界を変える』という同時代社から出ている本があって、2009年に日本語版が出ているんですが、僕はまずタイトルがいいなあと思って。はじめ、僕はこの著者に登場してほしいと思っていました。著者はメキシコにいまして、僕が英語が苦手というのも問題なんですけど、メールのやり取りが始まったんですがこちらが送っても1カ月、全然反応がなかったりとか、かと思うと突然返事が来たりと滞りがちで。そのうち、ここに登場する人たちとの時間がどんどん進んでいって、まあ今回はしょうがないということになっていきました。この本をベースにしたフェアが最近、紀伊國屋の新宿本店の「じんぶんや」のひとつとして行われました。担当の方と話はしていませんが、それを企画した人に、共鳴するものを感じました。
それと、上野の明正堂アトレ店、最後はNTTビル店にいらっしゃいましたけど、田中(賢司)さんという方がいました。『セカチュー』の火付役だった人ですけど、その方がつい最近、退職なさった。ご本人のプライベートな事情もあったようですが、僕の推察する限り、本を取り巻く状況に対する何かもあったんだと思います。その方が辞めた、ということは心に引っかかっています。もともと出てほしいとも思っていながら、出ていただいていない人の一人です。
自分が本屋をやるかというと、今のところはあまり思っていません。いろんなところで本屋さんの作業を見させてもらってきたんですけど、いっさい触ることもなく、手伝いもせず、ただ見ているという立場をとってしまう。そういう接し方を後悔することもなくはないんですけど、やっぱりやるなら最低10年、みたいな世界なんだと思っていて。今、自分が本屋をやるという考えはありません。
Q.『「本屋」は死なない』というタイトルということは、そうなりそうな状況が進んでいるということも思っていらっしゃると思うんですが、本屋の数は実際に減っていますけど、その原因はやはり、本が売れなくなっているからでしょうか。あるいはその原因はどこら辺にあると思われますか。
A.ひと口で言うのは難しいです。本が売れないから本屋がなくなっていく・・・そのとおりですが、なにか解答が導きだせたわけじゃないんですけど、本が売れなくても本屋をやれる方法はないのだろうか、と考える機会は多かったです。話をそらしてしまっているかもしれないんですけど、本というのは、本来はそんなにたくさん売れるのはおかしいものなのに、なるべくたくさん売れないとやっていけないという状況に、ずっとある。それ以外の価値観を何か盛り込めないかということが、自分の頭の中にありました。ただ、これだ! という解答をもてたわけではなくて、探していくことになると思います。書店数は、単純なカウント数という意味ではこれからも減っていくと思うし、でもそのなかで本屋というものの定義自体が変わる・・これも、僕がこう変えて見せる、って言えたらかっこいいんですけど、そこにたどり着いているわけじゃなくて、これから皆さんがやっていくことのなかに、本屋の定義そのものが変わる何かがあるんじゃないか。ちょっと話題をそらし過ぎかもしれないんですけど・・・ちょっと言い方が大きすぎて、明確にこれだっていうことができないですが。
Q.それは、本のなかで紹介している人達もそれを目指しているということを、石橋さんは感じられたわけですか。
A.そうですね。ただ、その人ひとりにすべての結論があるかというと、結論を見つけるためのリレー、そのバトンをもった選手、という感じがします。結論はこれだ、というのは、そんなに簡単ではないですね。
Q.『傷だらけの店長』の著者である伊達さんは、いま・・いまも、お元気でいらっしゃいますか?(笑)
A.お元気です。わりと定期的に会っていますけど、お元気でいらっしゃいます。書店業のようなものに何らかの形で復職されているということはなくて、いまも本屋の現場からは離れた状態にあります。でも、お元気に過ごしています。それは間違いなくて、心身ともに健康でいらっしゃいます(笑)。
Q.ありがとうございます。
A.でも、それがいちばん重要ですよね。そうでさえあれば、再スタートもあるわけで。会うと、明るく、元気にされています。
――今日は刊行記念の会にお越しいただいて有難うございます。今日はまだ本を読んでいないので、共有する部分がなくて、石橋さんも話しにくかったんじゃないかと思います。皆さんも石橋さんの話を聞きながら、共感できるところ、それはちょっと違うんじゃない?というところ、あるいは聞き足りないところ、あったと思いますが、ぜひ明日、このチラシをもって、書店に予約をしてください。となりの席が空いている方は、持って帰って頂いて、明日会社に行ったら、同僚の方に渡してください。また、受付のところに50枚ほどずつ入れた袋がありますので、今日ご来場の書店のかたはお持ちかえりいただいて、チラシとしてご活用いただければと思います。では石橋さん、今日はありがとうございました。